焔の女《HOMURA's Woman》
焔の女(1)
深夜の住宅街は、とても静かだった。
ほとんどの家がすでに消灯しており、部屋から明かりが漏れている家は数えるほどしかない。
いま来た道順を確かめるように、
この周辺は区画整理の行き届いた地域であり、まるで碁盤の目のように綺麗に区画がわかれている。外観が同じような家がいくつもあるため、油断していると道に迷ってしまいそうな気がした。
「目的地周辺に到着しました。音声ガイダンスを終了します」
スマートフォンの道案内アプリが女性の声で知らせてくれる。
久我は足を止めて、目の前にある家を見つめた。
何とも言えない焦げたような臭いが、鼻腔に届いてきていた。
すでに骨組みしか残されていないその家は、数日前に発生した火災で全焼した。
黒く焼け焦げた柱と基礎のコンクリート、そして鼻をつくような何ともいえない臭いだけがそこには残されている。
数日前まで、ここには立派な家が建っていた。そう言われても、どう信じてよいのかわからなかった。
立ち入り禁止と書かれた黄色いテープを潜ると、久我は玄関であったと思われる場所から、基礎のコンクリートだけとなっている建物の跡地へと入っていった。
足元には水たまりが広がっていた。これは消火活動の際にできたものが、まだ残っているのだ。炭と灰、そして消火剤が入り混じったこの臭いは、どうしても好きになれなかった。
水たまりを避けながら、元々は部屋であったであろう場所をぐるりと一周したところで、久我は足元に転がっていた陶器のかけらのような物を拾い上げた。
目を閉じて、精神を集中させる。
臭覚、聴覚を最大限に研ぎ澄ませ、闇の向こう側を覗き込む。
闇の中に小さな明かりが見えてくる。
その明かりは、次第に広がっていく。
チリチリと何かが燃えるような音が聞こえ、目の前が赤く照らされる。
何かが焼ける臭いがする。
目を開けると、そこは火の海であり、煙が立ち込めていた。
煙の向こう側から、
久我は声の主を探して、煙の中を歩く。
燃え盛る炎が生き物のように動いている。
焼けたドアの向こう側。そこから声が聞こえてきているようだ。
久我は燃えているドアを開けて、部屋の中に入る。
そこはリビングルームのようで、ソファーやテレビなどが置かれていた。
見つけた。
テーブルの脇に男がひざまずくようにして、座っている。
炎に照らされた赤い顔。その顔に、久我は見覚えがあった。
N県警警察本部刑事部長、妻夫木警視正。
その顔に見間違いはなかった。
炎に囲まれた妻夫木は、絶望の表情で目の前にある、ひと際大きな炎を見つめていた。
もう、逃げることはあきらめているようだった。
カーテンに炎が燃え移り、瞬く間に部屋全体に炎が広がった。
そして、妻夫木の身体も炎に包み込まれる。
苦悶の叫び。
炎に包まれた妻夫木は、声をあげながら燃えていった。
久我は部屋の中に、もうひとつ気配があることに気づいた。
はっきりと、その姿を捉えることはできないが、確かに誰かがいる。
それは燃え盛る炎の中であり、その炎の中から苦しんでいる妻夫木のことを見ているように思えた。
これはただの火災ではないのか。
久我がその炎の中にいるものの正体を見極めようと、一歩踏み出した時、後ろの方から声が聞こえてきた。
「キミ、こんなところで何をしているんだ」
背後から声をかけられたことで、久我の意識は現世へと戻ってきた。
振り返ると、そこには自転車にまたがった制服警官がいて、こちらに懐中電灯の明かりを向けていた。
「ご苦労さまです」
「ご苦労さまですじゃないよ、何をしていたんだって聞いているんだ」
強めの口調で制服警官がいう。よく見ると、どこか幼さを残した顔をしている。どうやら新人警察官のようだ。
「火災現場の跡地を見ているんです」
「立ち入り禁止のテープが張ってあるだろ。入っちゃだめだよ」
「すいません」
制服警官に久我は頭を下げる。
「身分証」
「はい?」
「身分を確認できるものを出して。あるでしょ、運転免許証とか」
やはり口調が強い。舐められたくない、そんな気持ちがあるのだろう。
向かい合って立ってみると180センチ以上ある久我が警察官を見下ろすような形となっている。しかも、久我はブーツを履いているので、身長は2メートル近くに見えるはずだ。
「失礼」
そういって久我は着ていたロングコートのポケットから、ケースに入った身分証を取り出して制服警官に渡した。
ライトを照らしながら制服警官は、久我の提示した身分証と久我の顔を何度も見比べる。
「これは、失礼しました」
慌てて身分証を久我に返すと、制服警官は背筋をピンと伸ばした姿勢で敬礼をして見せた。
久我総、警察庁特別捜査官。特別捜査官の肩書きを持つこの男は、警察庁が警察に関係するすべての捜査に対する捜査権限を与えている捜査官だった。階級は無く、特別捜査官の肩書きのみであるが、久我は警察庁長官直属の捜査官という立場にあり、全国の警察官が彼の捜査権を認めなければならなかった。
「ご苦労さまです」
「そちらこそ、ご苦労様です」
敬礼をする制服警官に久我は頭を少し下げて会釈をすると、早く立ち去ってくれと言わんばかりに背を向けた。
「あの、自分、何か手伝えることがありましたら……」
制服警官は久我にそう言ったが、久我は制服警官の存在を忘れてしまったかのように、またリビングルームの跡地をうろうろと歩き出した。
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