消えた警官(15)

「どうして、私が一緒に行かなければならないんだ」

 不満そうな声を妻夫木があげた。


「このメンバーでN銀行で貸金庫を使っているのは、妻夫木さんしかいないからですよ」

「だからといって私が行く必要はないじゃないか。代理で来たとかなんとか言えばいいだろう」

「余計な疑惑はなるべく少なくした方がいいんじゃないですか。本件を表沙汰にしていいと刑事部長がおっしゃるのであれば、私と姫野さんで行きますけれど」

「……わかったよ。行くよ、行けばいいんだろ」

 納得がいかない。後部座席のシートに座る妻夫木の顔にはそう書かれていたが、助手席の久我はそれを無視していた。


 ふたりのやり取りを聞いていた姫野は気が気ではなかったが、久我に車を出してほしいと言われて、捜査車両のハンドルを握っていた。


 久我たちが向かったのは、N県を代表する地方銀行だった。

 この銀行の貸金庫に1000万円が入っている。そう片倉の手紙には書かれていた。

 貸金庫を開けるための鍵は、掌紋と5本の指の指紋だった。

 その鍵は現在、久我の膝の上に置かれているクーラーボックスの中に入っている。

 生体認証というのがどこまで有効なのか、久我は知らなかった。

 切り取られた手であっても認証するのだろうか。

 そんな疑問もあったが、そのことを久我は口にすることは無かった。


 銀行につくと、支店長だという男が久我たちを出迎えた。正確にいえば、妻夫木を出迎えたといった方がいいだろう。事前に妻夫木が銀行に行くことは、妻夫木の秘書が電話で伝えていたのだ。

 まるで大名行列かのように、支店長を先頭に妻夫木、銀行の関係者、警備員、久我と姫野といった感じで貸金庫室へと向かう。


 貸金庫室の分厚い扉の前には、タブレット端末のような電子機器が設置されており、そこで生体認証をして扉を開く仕組みになっているとのことだった。

 その扉のセキュリティに関しては、世界トップクラスのものであり、絶対にセキュリティを破ることは出来ないのだと支店長は妻夫木に語った。


「では、どうぞごゆっくり」

 ひと通り貸金庫室の扉がどれだけ厳重なセキュリティで守られているかの説明を終えた支店長は、頭を深々と妻夫木に下げると、警備員たちと一緒に去っていった。


 久我は支店長の説明を聞いている間に、監視カメラの位置を把握していた。どこに立てばクーラーボックスの中身を見られずに作業をすることができるのか、それを頭の中で何度かシミュレートして立ち位置を決める。

 久我と姫野が妻夫木の横に立つことによって、妻夫木の手元は防犯カメラの死角となる。

 そして、妻夫木はクーラーボックスから片倉の右手を取り出した。


 最初、妻夫木は「どうして私がやらなければならないのだ」と抵抗した。

 しかし、銀行の貸金庫なのだから、実際にこの銀行で貸金庫を借りている人間でなければ怪しまれると言って、久我は妻夫木のことを説得したのだった。


 クーラーボックスの中でキンキンに冷やされた片倉の右手を持った妻夫木は、ゆっくりと認証装置に近づけ、片倉の手をスキャンさせた。

 電子音が鳴り、機械が片倉の手を読み込んでいく。


 表示されていた数字が10%からはじまり、20%、30%と数字が上がっていく。

 そして、最後に100%と表示された時、貸金庫の扉から小さな金属音が聞こえた。


 どうやら、読み込みは成功したようだ。


 久我たちが貸金庫室へ入っていくと、ひとつだけ飛び出している引き出しが存在した。そこが片倉の借りていた貸金庫のようだ。


 妻夫木はその長細い引き出しを取り出すと、慎重な手つきで蓋を開けた。

 貸金庫の引き出しに入っていたのは、ひとつの鍵だった。


「おい、1000万はどこにあるんだ」

 引き出しの中身を見た妻夫木が、怒りのこもった口調で言う。


「どうやら、ここには無いみたいですね。まあ、こんな小さな引き出しでは、1000万円もの札束をしまっておくことはできないでしょうからね」

 皮肉にも聞こえるようなことを久我は言ったが、妻夫木の耳には届かなかったようだった。


「片倉の野郎、舐めやがって」

 引き出しの中に入っていた鍵と一枚の封筒を取り出した妻夫木は、怒り心頭といった感じで口汚く片倉のことを罵る。


 妻夫木から封筒を受け取った久我は、その中身を取り出して姫野と一緒に確認した。

 そこには、住所が記されているだけだった。

 どうやら、この住所の先に鍵を開けるための何かがあるようだ。


「では、ここへ向かいましょうか」

 久我は妻夫木にそう言って、貸金庫室を出た。

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