消えた警官(9)
片倉の住んでいるマンションは、駅から少し離れたところにあった。
周りが田畑であるため、だだっ広い平地に突然巨大な建物が現れたかのように感じられるが、マンションは地上10階建ての高さであり、駅前にあるビルや県庁などと比べてもそれほど大きいというわけではなかった。
事前に管理会社から鍵を借りておいた姫野は、久我と一緒にエレベーターに乗り込むと8階のボタンを押した。
「ここのマンションは、分譲なのか」
「いえ、賃貸って話です。いまでも片倉さんの口座から毎月家賃が引き落とされているはずですよ」
「家賃って、いくらぐらい」
「それはわかりません」
姫野は背負っていたリュックサックから資料の入ったファイルを取り出そうとしたが、それよりも先に久我が質問を重ねてきた。
「ちなみに、姫野さんはひとり暮らし?」
「え……まあ、そうですけれど」
なんで、そんなことを聞いてくるのだろうか。久我の真意が掴めず、姫野は少し警戒した。
「この辺の家賃相場って、いくらぐらい?」
「駅前だと、それなりに高いですけれど。5、6万円ぐらいですかね」
「どのくらいの広さで?」
「えーと、うちは……って、久我さん、この質問に何の意味があるんですか」
姫野は久我が何を知りたいのかわからず、思わず言ってしまった。
「いや、参考情報までに」
「なにのですか?」
「家賃の」
「え、どういうことですか」
「何週間もこっちにいるとなると、ホテル代も馬鹿にならないんだよ。ウィークリーマンションとかでもいいんだけれど、どこか住む場所を見つけないとならないんだ」
「え、久我さんの住む場所ですか」
「そ」
そこまで話したところでエレベーターが8階に到着した。
エレベーターを降りた久我は、先ほどまでの話が無かったかのように無言で廊下を歩く。
片倉の部屋は812号室だった。廊下の突き当たりにある角部屋で日当たりは良さそうだ。
姫野は捜査用の手袋をはめると、借りてきた鍵を取り出して、部屋の鍵を開けた。
「どうして手袋をするんだ。我々は事件の捜査でやってきたわけではないだろ」
「あ、そうですね。いつもの癖で」
笑いながら姫野は手袋を外すと、玄関のドアを開ける。
部屋は2LDKだった。姫野の話通り、家具と呼べるようなものは何も置かれておらず、フローリングの床の上には薄っすらとホコリが積もっていた。
「本当に何もないな」
久我はつぶやきながら、持参したスリッパを履いて部屋の中を歩き回った。
そういうところに関しては用意が良いな。姫野は自前のスリッパを履いている久我を見ながら、そんなことを思っていた。
人の匂いがしなかった。あるのは、締め切られていた部屋特有のホコリの臭いだけだった。
妙だな。久我は部屋に入った時から、そう感じていた。
片倉が姿を消したのは2週間前のことである。たった2週間で、ここまで人の生活する匂いというものがなくなるだろうか。そんな疑問を覚えながら、久我は部屋の中を隅々まで見てまわった。
床に積もったホコリは、人がほとんどこの部屋に足を踏み入れていないということを現していた。積もり方を見てみると、どの場所もほぼ均等であり、空気の入れ替えすらも行われていないということがわかる。
床についた自分の足跡を見つめながら、久我はキッチンへと向かった。
キッチンには、食器などは何も置かれてはいなかった。それどころか、シンクに水を流した形跡もない。試しに水道の蛇口をひねってみたが、水は出なかった。どうやら、元栓が閉められているようだ。シンクの状態を見ても、ここ2週間使っていなかったという感じではない。
奥にある部屋に入ってみたが、やはりここにも生活の匂いというものは感じられなかった。ただの空き部屋。そうとしか感じられないのだ。
部屋にカーテンは取り付けられていなかった。そのため、部屋の中に日差しが差し込んできていたのだが、部屋のどこにも家具による日焼け跡はなかった。もし家具が置かれたりしていれば、多少の色の違いがフローリングに現れているはずだが、それはどこにもなかった。
「本当に、この部屋に片倉は住んでいたのか」
久我は一番の疑問を姫野にぶつけた。
「N県警に提出されていた住所は、ここで間違いありません。わたしも何度か、このマンションを訪ねていますし」
「書類上の住所はここだったが、別の場所に住んでいたということは」
「うーん、どうでしょうね」
姫野は背負っていたリュックサックからファイルを取り出して、住所の確認を再度したが住所に間違いはなかった。
この部屋には、片倉が住んでいたという気配のようなものがまったくなかった。
少しでも気配のようなものがあったりすれば、その残留思念を辿ることが可能なのだが、それらしいものを久我は感じ取ることができなかった。
「誰か、片倉と仲の良かった刑事はいないのか」
「いないこともないとは思いますが……」
「誰が仲が良かったかを教えてくれればいいさ。会いに行くのは私だけで大丈夫だ」
他の刑事に話を聞きに行くのは乗り気ではないという、姫野の心中を察したかのように久我はいう。
「いえ。わたしもご一緒します」
はっきりとした口調で姫野はいった。
その眼にはどこか決意のようなものが現れているかのように久我には見えた。
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