消えた警官(7)
朝食は取らなかった。
久我が目を覚ましたのは7時30分のことであり、シャワーを浴びて着替えを済ませたところで約束の時間になっていた。
8時ぴったりにホテルのロビーで姫野と落ち合った久我は、姫野の運転で県警本部にある捜査本部という名の会議室に出勤した。
姫野は刑事部の朝の捜査会議に顔を出すと言って会議室を出て行ったが、久我はコーヒーを飲みながら姫野が戻ってくるのを待っていた。
もちろん、ただコーヒーを飲んでぼーっとしていたというわけではない。姫野が用意しておいた片倉に関する資料に目を通し、様々な情報を頭の中に入れておいた。
30分ほどして姫野が戻ってくると、久我はファイルを閉じてスーツの上に厚手のコートを羽織った。このコートは東京から持ってきたものではなく、N県で購入したものだった。
「ちょっと行きたいところがあるんだが、いいかな」
「わかりました。車を出します」
姫野はそう言って、久我と一緒に地下駐車場へと向かった。
捜査車両はシルバーのセダンだった。
運転席には姫野が座り、助手席に久我は腰を下ろす。
久我が姫野に行きたいところの大体の場所を伝えると、姫野は首をかしげた。
てっきり、片倉警部補の自宅マンションへと向かうものだと思っていたのだが、久我が指定したのは片倉警部補のマンションとは逆の方向にある場所だった。地元民である姫野にも、そこに何があるのかはわからなかった。
「そんな場所に、なにかありましたっけ」
姫野は久我に問いかけたが、久我は聞こえていないかのように姫野の言葉を無視した。
ちょっとむっとしたが、姫野は言われた通りの場所へと車を向けて走らせた。
久我の指定した場所は、市街地から少し離れた場所だった。国道を左折して、しばらく直進すると見えてきたのは一軒の喫茶店だった。看板には『OZ』と書かれている。
「その店だ」
そう久我に言われ、姫野はセダンを駐車場へと入れた。
車から降りた久我は、スタスタと喫茶店の入り口へと向かっていく。
この喫茶店で会議でもしようというのだろうか。それとも、何か捜査と関係することでもあるのだろうか。姫野は疑問を抱きながら久我の後を追った。
まだ早い時間ということもあって、店内は空いていた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの内側にいた若い男性店員が声をかけてきた。
久我はまるで知り合いであるかのように、若い店員に片手を挙げて挨拶をすると、窓際のテーブル席へと腰をおろした。
「きょうのコーヒーは何かな」
メニューも見ないで久我が男性店員に尋ねる。
すると男性店員の方も、慣れた様子でニコニコと笑顔を浮かべながら答えた。
「きょうはエチオピア産のモカです」
「そうか。じゃあ、それをパンケーキセットでもらおうか」
「わかりました」
一連のやり取りの後、久我は姫野の方を見てメニューを差し出す。
状況が全然わからない姫野はメニューを受け取ったものの、どうすればいいのかわからず、そのままフリーズしてしまった。
「彼女にも、同じものを」
姫野がメニューを受け取ったまま開こうともせず、固まったままの状況を見かねた久我が代わりに注文をする。
「少々お待ちください」
男性店員が去っていくのを待ってから、姫野はようやく口を開いた。
「あの、久我さん。どういうことでしょうか」
「どういうことって、そのままだよ。朝飯を食べに来たんだ。パンケーキ嫌いだったか?」
「いえ、そんなことはありません」
「じゃあ、良かった」
久我は、ほっとしたような顔をする。
「いや、良かったじゃなくて、捜査はいいんですか。今日は片倉さんの部屋を見に行くんじゃなかったんですか」
「ああ、行くよ。でも、まずは腹ごしらえからだろ」
まるでそれが当たり前かのように久我はいうと、コップに入った冷水をひと口飲んだ。
しばらくすると、パンケーキの焼けるいい匂いが鼻腔に届いてきた。
どんなパンケーキが出てくるのだろうか。それを想像しただけで姫野の口の中にはよだれが溜まりはじめていた。
いけない。いつの間にか、久我さんの術中にハマっている。
姫野は気を取り直すために、冷水を半分ほど一気に飲み干した。
「え、なにこれ。すごーい」
出てきたパンケーキに、姫野は思わず感動の声をあげていた。
パンケーキには、バナナと生クリームが添えられており、ブラックコーヒーがセットで付いてきた。
久我は何も言わずに、出てきたパンケーキをナイフとフォークで器用に切り分けて、口へ運んでいる。
ふたりはあっという間にパンケーキを食べ終えて、食後のコーヒーを満喫していた。
「どうでしたか、きょうのパンケーキは」
男性店員がお皿を片付けにやって来ながら、感想を聞いてきた。
「とても美味しかったです」
「よかった、ありがとうございます」
男性店員はそう答えてから、久我の方に視線を向ける。
その視線には、あなたも感想を言いなさいという強いメッセージが込められていた。
「美味かった」
久我がボソリとつぶやくようにいうと、男性店員は満足そうな顔で皿を片付けていった。
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