071/顕現
僅かに、生温い風が頬を撫でたような気がした。
周囲の物音が、少しだけ止まったような気がした。
生物の声も。
葉の立てる音も。
呼吸音さえ。
視線の先に、吸収されていくような錯覚を覚えた。
『――――――――けひっ』
奇妙な声……声、でいいのか?
そんなものが周囲に響き。
唐突に……空気に重さと匂いが入り混じり始めた。
呪法陣の中心。
そこに向けて何かが漂っていく。
先程、灯花が呼んだ何かしら。
彼女の背筋、首元辺りから何かが抜けていくように霧が移動し。
陣の一番中央部分の縁が鈍く輝き、脈動し始めた。
(…………動かなきゃいけないのは、分かるのに)
指の先、或いは呼吸そのもの。
行動、生存本能、活動の全て。
意識しながらも一切に意識と肉体の活動が分割されている。
ゲームで見ている
一切動くことが禁じられながらも、目の前で広がっていくそれ。
否が応にも視界に叩き込まれるような感覚と。
目の奥、普段から感じる異常なモノを見る視界が強く働くような感覚が同時に起こる。
周囲が揺れる。
風が集まっていく。
糸が寄り固まり、何らかの形を形成していく。
『――――――――けひっ、へひっ』
聞こえる声色は確かに定まっていき。
老若男女が不透明な存在だったのが、明らかに一つの方向性へと近付いていく。
少しばかり意識して若作りしたような。
明らかな老婆のような、弄ぶような甲高い嘲笑い声。
耳の奥から脳裏を犯すような、耳障りを通り越して洗脳していくかのような色合いを秘め。
同時に……俺を除いた全員へと、頭上の糸の量が加速度的に増していく。
にも関わらず、手を伸ばすことが出来ない。
行動自体を封じられ、その上で操られようとしている。
それを認識しながらも何も出来ない――――微かな暗闇が心の中に浮かびそうになる、その寸前。
『…………ふん』
背後から、不愉快そうな声色と共に。
其れ等が全て切り落とされ、地へと落ちて宙に溶ける錯覚を捉える。
『穢らわしい……と呼ぶだけでは済まないか。
契約者よ、最低限の干渉はしたぞ』
そんな背中からの声を、奇妙にゆっくりと感じる時間軸の中で耳にし。
同時に、手先足先へと熱が走っていくのを体感した次の瞬間。
「……ゲホッ!?」
唐突に呼吸が楽になり、地に伏せそうになりながらも咳と奇妙な痺れを覚え。
揺れる脚をしっかりと立て直しながらも、目線を再び陣の内側へと向け直す。
(なんだ、何をされた…………格上相手への不利なペナルティか!?)
相手が圧倒する時。
相手が明確な殺意を見せてくる時。
余りに格差があるのなら、それは霊能力そのものや行動自体の
けれど、それは父上で体感している。
何かしらが本質的に違う、と霊的な奥底で叫んでいる声を聞きつつ。
意識して、常時効果……その中でも呼吸を介する幾つかの能力を起動しながらも安定させていく。
視界に入る仲間達の内、俺と同じような状態に陥っているのはリーフを除いたほぼ全て。
白は俺と同じく、呼吸を繰り返しながらも震える手で刃を握り直し。
伽月は特に脚をブレさせながらも、見つめる目線だけは一向に変えず。
紫雨は当初握っていた弓から手を離しながらも、格納した道具に手を伸ばし始めている。
灯花は自分の意志から掛け離れたような、半ば浮いているような状況を保ち。
そして、リーフは。
「…………圧を、掛けてくるだけですか」
普段の、何処かオドオドしたような……単語単位の話し方と違う流暢な言葉遣い。
その瞳に宿しているのは明確な敵意、そして殺意にも似たような怒り。
よくよく見れば、彼女の周りだけは俺達に降り注いだ糸よりも遥かに数が多い状態で。
雪だるま、蜘蛛に捕らえられた哀れな生贄と言った幾つかのものを彷彿とさせるような違和感。
(リーフの周りだけ、糸が未だに張られてる……?)
恐らく、最も気になったのはその点だろう。
今までは操るような頭上に垂れ落ちるような数本程度だったというのに。
その姿を表したからなのか、その数は明らかに増している。
黒闇天。
或いはアラクシュミー。
吉祥天の妹として、そして負の役割を押し付けられた神にして共にある存在。
日ノ本では明確に貧乏神として恐れられ、けれどその役割を反転させ福の神としても崇められる神。
運命自体を操作し、そしてその名前から――――恐らくは別の役割を無理に習合している存在。
知らなかったはずの存在、けれど脳裏に刻まれていく存在。
検索することは叶わなくとも、その正体の名を知ってしまえば引き出せてしまう。
ある意味反則で……そして、常に絶望の淵に立たされることを理解する、意地が悪い契約で得た権能は。
世界に刻まれて得た、知識を大元とする血盟能力と誘発して見えるものだけを無制限に拡大していく。
「その程度でしょうね、唯弄んでいるお人形遊びしか出来ないのなら」
明確な挑発。
そして、彼女がするはずもない行動。
その時点で……漸くに理解する、内側から顔を覗かせているもう一人のダレカの存在。
降り注ぐ糸は、彼女の周りへと逸れて散っていく。
直接的に向けられた指から放たれた暗闇は、陣の側面へと当たって軋んだ音を立てている。
「そこで見ていなさい――――自分が消される最後の時間を」
侮蔑、嘲笑、そして憎悪。
恐らく、其処までするのは外の……リーフ自体に危害を及ぼそうとしたから。
そして、だからこそ。
その悪感情は、敵だけでなく俺たちへも波及する。
「話は聞いていました。 幼子、直ぐに自身に神を降ろしなさい」
明らかな違和感と共に、断じるような口調のそれは。
「滅します」
その目的意識だけは、今の俺達と重なり続けていた。
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