一品目 食前酒:スーパー・マーケットを攻略せよ
クリスマス・リースが飾られたガラス扉と、スプレーで雪だるまが描かれたショー・ウィンドウが非日常を作り出す。出入りする近隣住民の中に混ざって紅白帽子の人々が「うんしゅうみかん」と書かれたダンボールを抱えて忙しなく動いている。
いざ、戦場へ。
買い物袋(数年前から日本ではマイバックと言うようになった)の紐を握りなおし、嘉穂は人混みの中へ進む。
店内は昼間だというのに普段の五割り増しの人数といったところだろうか。カートを押す子連れの家族もプラスチック籠を下げた中年男性も真剣に冷蔵ケースに並んだ品々を吟味している。
そうである。問題はその冷蔵ケースである。
普段なら端から魚介、牛、豚、鶏肉、その他とほぼ等しく区分けがされていたはずである。それが今日はどうだ。
鶏肉の支配地域が大きすぎるだろう!
日本では一年間の三五五日は並ばないであろう平伏した姿勢の丸鶏(解凍マーク付き)が大・中・小とサイズ別に三段にわかれ、その右側を通常は隅の隅まで後退余儀なくされているチキンレッグが陣取り、左を銀紙の巻かれた手羽元が固める。目算六、七メートルのケースの約半分を鶏肉の陣営が占拠しているとは。いつもの唐揚げ用やヘルシーささみはどこへ消え失せた?
そして鶏の支配下を逃れた領域は、赤、白、銀の新鮮な身を輝かせた刺身セットが、堂々たる髭をピンと張った有頭海老のパックと共に制されている。ついでに食べる箇所はいかほどかと問いたくなる殻つき帆立まで参画。
目にしているのは激安スーパーのはずなのに、この異世界感はなんだろう。
いや、異様なのは見た目だけではない。値もである。
鶏肉など丸鶏でなければ百グラムあたり五九円で買えるというのに、全て余すところなくという
真鯛、烏賊、蛸、鮪が切り揃えられた詰め合わせはそれぞれ四切れずつほどしかないのに白ラベルに税込二千円を超える値段が印字されている。計算違いではないだろうか。柵で買えれば何割か値引きされるはずなのに、どうして柵売りがここまで少ない。柵のほうが常に安いのだ。
嘉穂の選択肢は奪われた。殻付き帆立は論外。すまぬ、おぬしではいくら女子といえどお腹は満たされぬ(そのままグリル焼きで最高に美味しいのは存じておりますれば。どうか別の機会に)。
クリスマスだというのに大学生になんと無慈悲なことか!
異世界感は醸し出されているだけで、嘉穂には巷で聞くチートスキルだの最強魔法だのはなく、嘉穂は聖女でもなければ優秀魔道士の参謀もいないのである(言葉しか知らないけど)。
——チキン断念、お刺身却下、豚肉は食指が動かない……
嘉穂は冷蔵ケースの前を一往復し、二往復し……
——スモークサーモン……高い。ブロックハム? しょっぱい……
三往復し……
——黒毛和牛なんて脂っぽいのにどうして高いの……ケーキもあるし、もっとヘルシーで……赤身で……あ。
三往復半し、足が止まった。冷蔵ケースの上段左隅に二列のみ並ぶ白トレイ。黒毛和牛の黒トレイと明確に区別されたまっさらな色に、鮮烈な赤色。
『豪州産輸入牛ももかたまり 100グラムあたり198円』
漆黒の堕天使の羽根とは対照的な神々しい天使の白よ!
嘉穂は即座に人混みをかき分け、408グラムのラベル付きトレイを掴み取った。
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