久堂肇は知っている。大上四助が、恐ろしい男であることを。


大上四助という男は、自分の目で見たものしか信じないような、そんな男だった。例えば神とか妖怪とか、目に見えんものは一切信じようとしない男だった。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、おれたちが出会ったのは学修院の初等科からであったが、その頃には、もうそんな質であったように思われる。尋常小学校に上がる前の、松方密と出会った頃からだから、相当根強いもんだろう。奴は自分の眼球を通して見たものしか信じようとせん奴だ。それはもう、恐ろしいほどに。噂に振り回されることがないという点では、よい男であっただろう。噂が耳に届こうと、真実であると確信することがなければ誰かに話したりしない男であった。


奴は、更には自分の手で確かめんと気が済まぬ質であった。例えば、小学生の頃であった、誰かが云ったことである。「蝸牛の殻を破れば、ありゃあきっと蛞蝓になるんだぜ」これに松方密が興味を持った。それは一体ホントかしら、と。松方密が知りたがったもんだから、奴は試した。ちょうど梅雨の時期であって、松方の屋敷にはたくさんの紫陽花があったから、当然蝸牛も蛞蝓もわんさかいる。「ちっちゃい頃は蛞蝓に塩を掛けてホントに消えるか試したのよ」松方密はうふふと笑って言っていた。あいつもあいつでなかなかの質をしている。奴は、とりわけでかい蝸牛を引っ掴んだ。きゃあ、と松方密が声を上げた。気持ち悪いわ、なんて言いながらも、うごうごとくねる蝸牛を、うずうずと見ていた。奴の、まだ小さくふくふくとした手が、蝸牛をしっかと持って、もう片手にそれなりの石なんかを持って、がつんと、打ち付けたのであった。蝸牛はしんだ。蝸牛の殻を割ったとて、蛞蝓になりはしない。なんたって厳密には別の生き物である。松方密はまた、きゃあ、と声を上げた。平坦な声であった。奴は、そう、フゥン、と口をツンとして、蝸牛の骸に足で土を掛けていた。奴は気づいちゃいないが、口をツンとして、フゥン、と云うのが、奴の、詰まらんといじけるときの癖であった。

これを咎める大人が居らんかったのが悪かったのだろ、奴は、実験を好み、理科や、算術なんかを得意とするようになったのだった。


実験なんかはラットを使えと、おれは思うのであるが、無駄に凝り性なところがある男なので、人体実験なんかを簡単にしてみせる。しにかたを探しているなんて云ってきたときには驚いたものである。生来激しく顔が動かぬ質なので隠し通すのにはもってこいの性分であった。マ、しぬにしにきれんだろうし、家の力で大抵は誤魔化せるだろうから、奴は己の出自に感謝する必要があるなと思うのである。何より奴は計算を得意とし、人に見られる自分すら計算しているような男なので、今のところ全ての「実験」はすべて奴の仕業とは気づかれていないようである。幸運なことに。


大上四助はどことなく恐ろしい男であるが、その幼馴染、おれの片割れを愛する女、松方密なんかはもっと恐ろしい。類は友を呼ぶ。おれも彼奴らと並ぶほどの質であろうか、そんなことあって欲しくないのであるが、果たして。


久堂肇は知っている。松方密が、恐ろしい女であるということを。算術は苦手よ、と云っている割には、実に計算高いところのある女である。彼奴は、世の男どもが望む、何も知らない無垢な女の振りをしながら、その実、全てを知っているのである。知っていて、知らない振りをして、周りを自分の望むようにしているのである。

おれたちと違って、松方密は、華族のご令嬢である。くらいの通り、華々しい血をもっているのである。その血は、いずれやんごとなき家──例えば大上の家とか──に入り、やんごとなき子をこさえ、やんごとなき血脈を残していくのである。間違ってもおれたちと巫山戯て骨を折っている場合ではないし、駆け回りながらおれたちの家に遊びに来る立場ではない。昔は無邪気な女だった、と思っている。昔から計算づくめであったなら、おれはきっと人間という人間を疑って生きて、鬱々として、気*いにでもなっていることであろう。

子供の無邪気さは、時に大人よりも残酷である。

蛞蝓に塩をかけたこと、蝸牛をころしたこと、おれたちと計算なく付き合っていること、様々である。大人たちなんか、華族と繋がりが出来て嬉々としているなんてこと、昔は知りもしなかった。ただ友との戯れを微笑ましく見ているのだと信じていた。そしてそんな自分はもう居ない。おれは大人になってしまった。だから奴らの本質が見える。

「うふふ、よんすけくんに百合の束を贈ったんですよ」

「百合か、またどうして」

「よんすけくんが死にたがっていること、教えてくだすったでしょ」

むむ、と唇を尖らせて可愛らしい表情をしているが、何を考えてそんな顔をしているのかが分からなかった。どうせしにやしない、彼奴の事だからと、松方密にも話した。もしやもしかして、万が一なんてことも考えた時、お気に入りが動かなくなることは、松方密も本意ではないだろうと思った。幼い頃、どうしてお人形が動いてくれないのかと泣いたことがあると云っていたからである。

「よんすけくんは、あたしのためを思って、お人形になってくれようとしたのですって、可愛らしい人ね」

「ああ······」

とりあえず頷いてはみたものの、やはり松方密の考えることは分からないと思った。学修院は男子部と女子部が区切られているからして、おれたちが普段女どものおしゃべりなんかを知ることはないのだが、松方密ほど分からない女も居ないだろうなと思うであった。

「たくさんの百合を贈ったわ、もしやもしかしてよんすけくんが死ぬとなったとき、」

「ウン」

「よんすけくんの周りにたくさんのお花があったら! とても美しいと思うでしょ」

嗚呼。

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