1-2
「俺が入った瞬間負けの流れになるという、あの……」
「死神(味方チームに死をもたらすという意味で)……レージちゃんどんくさいからね」
「どんくさいって言うな」
他の人間と同じように動くのは、想像以上に難しいのだ。それに、ゲームに負けるていどで例えにするなど、死神に失礼だ。死神はその百万倍は恐ろしいはずだ、と玲仁は思う。手紙の真相が気になって、弁当に手をつけられない。悪い想像ばかりしてしまう。なんとなく憂鬱だ。
「オレ的には行かない方がヤバい気がするけど。○○ちゃんが勇気を出してお手紙出したのにあのクソ眼鏡無視しやがった……て女子がヒソヒソするじゃん」
「どちらにせよ社会的死は免れないのか」
「いやどちらにせよじゃねーから」
いつの間にか、翔利の弁当は半分以上片付いていた。腕時計を見る。昼休み終了まで、あと三十分。しかし玲仁は箸を置く。
玲仁は傍らの友人に向かって、深々と頭を下げる。ついでに勢いよく両手を合わせた。合掌する音が、人気のない空間では妙に響く。
「翔利、こっそりついてきてくれ」
「え無理。てかお前さあ、女子じゃないんだからさあ」
「待ち構えていた不良の群れに俺が殴られてもいいのか?」
「ウチのガッコにそこまでの奴いねーよ! 偏差値って知ってる?」
翔利のツッコミはいつも的確だ。自覚的ボケから無自覚ボケまで、全てを拾ってくれるので話しやすい。現在の玲仁にとって、ここまで気が置けない存在は彼くらいだ。
「無理か」
「今日バイトあるから」
高校生のバイトは小遣い目的が多いが、翔利の場合母親の金銭支援も兼ねている。彼女は一人で自分達を育ててくれるので、少しでも役に立ちたいそうだ。安易に一日くらいサボっちゃえよとは言えない。仕方ない。玲仁は両腕を下ろし、前に向き直ると、そのまま肩を落とした。
「骨は拾ってくれ」
「リア充の骨は拾わぬ」
ボケは拾ってくれるのに何故なのか。
「いやーいいなー。彼女欲しいなー」
「そうかな」
「手繋いだりさ、お喋りしたりさ、二人で遊びに出かけたりさ、したいっしょ」
「そうかな」
「俺も身長さえあればなあ。身長伸ばして出直して来いって笑われるもんな」
「ふざけながら言うからだ。告白は真面目にやるべき、だと思う」
そうは言ったものの、玲仁は一度として告白した事もされた事もない。正直に言って、玲仁はよく分からなかった。いまだによく分からない。こんな感覚で生きているなど、誰にも、親にすらも言った事がない。そもそも、はっきり自覚したのは高校生になってからだ。突然周囲が一斉に、他人に特定の興味を持ち出した。あるいは、少し戸惑っていた。他の人間への焦がれ。触れ合ってみたいという欲求。危うくも力強い生命の輝き。若い群れの中で、玲仁はぽつんと冷えていた。そのどちらでもなかった。女子を見ても男子を見ても、ああ人間がいるなあ、としか思えない。玲仁は時々、自分が世界に一人だけな気がして不安になる。
人間は好きだ。当然たまには嫌いになる事もあるが、おおむね好きと言える。しかし、恋が分からない。周囲の好きと玲仁の好きは、微妙に違うように感じる。特定の女子を見て素敵だと思う時はあるが、玲仁の場合は花や絵画を見た時の気持ちと大体同じだった。
だから、嬉しいよりも怖さが勝る。手紙の主に会ったとして、なにをどう話していいか分からない。大人になるのが遅いだけだとすれば辛い。もう少し大人になれば、自然と分かる時が来るだろうか。
翔利には分からない。一度も話していないのだから当然だ。本当は、この事を相談するべきだったかもしれない。
「知ってっか? 女子の手って、柔らかくてサラサラで、いい匂いとかするらしいぜ」
言える訳がない。彼に理解してもらえないかもしれない。それが怖かった。なので、なんとか話を合わせるしかない。
「そう言えば、穂乃火の手も近年そんな感じだな。ハンドクリームかな」
「出たよ幼馴染み! 天は容赦なく人から一物を奪い二物を持ってる奴にまた与える! ちくしょう爆発しろ!!」
翔利がオーバーに悔しがっている。よく分からない。昼休みが終わる。完食できなかった弁当に、そっと蓋をする。後で隙をみて、続きを食べよう。
放課後、玲仁は第二体育館裏に到着した。馬鹿正直に。無視して帰る方が怖いと判断したのだ。それに、玲仁の勘は行くべきだと強く主張している。こういう時は、従っておいた方がいい。
果たしてそこには女子がいた。夕日に照らされながら、体育館裏の壁に軽く寄りかかっている。聖海高校のセーラー服を着て、玲仁と同じく学生鞄を肩にかけている。足元にバドミントンラケットのケース。穂乃火と同じ部活だ。彼女は難しい顔でスマホを操作していた。幻覚ではなく本物の人間だ。背中まである柔らかそうな栗色の髪に、緩く癖がついている。
産まれて初めての状況で、玲仁は酷く緊張していた。意を決して近づいてみる。穂乃火より若干背が高い。優しそうな雰囲気で、しかも見た事のある顔だった。玲仁は少し安心した。静やかな足音を聞きつけた少女が、予測よりも手前で顔を上げる。思わず玲仁は立ち止まる。目が合った。しかし、彼女はすぐ目を反らしてしまう。黙ったままでスマホをしまい、落ち着かない様子で髪を弄り出す。その間に玲仁は、会話ができる距離まで接近しておく。
彼女はうつ向いてしまって、話し出す気配がない。玲仁は困った。彼は自分が会話下手だと強く自覚している。素敵だと感じた女子とは、なおさら上手く喋れる訳がない。用事がある方から切り出して欲しい。そもそもだ。手紙の主が彼女とは限らないのではないだろうか。どうやって確認すればいいのか。もし聞いて人違いだったら、明日から当校できない。……ぐらい恥ずかしい。
結局玲仁は、彼女の正体について考え始める。確かに顔は知っている。たまに側へ来ては、玲仁の読んでいる本に興味を示していた。そこそこ喋った事があるならば、十分接点はある女子ではないか。もう少し落ち着いて対応できてもいいものだが。なかなか会話を始められない玲仁を見て、少女が髪から手を放す。そして、口を開いた。
「来てくれたのね、鐘霧君」
声はかなり小さいものの、どことなく親しげだ。名前を聞いたら失礼になるだろう。焦ると余計に名前が思い出せない。玲仁は緊張にすこぶる弱かった。
いや、待てよ。玲仁は思い出した。何より優先すべき行動を。周囲に誰もいないのを確かめる作業だ。邪悪なスマホが仕掛けられていないか、調査する必要もある。玲仁は近くの植え込みを軽く叩いて回る。木の枝に向かって目を凝らしたり、軽く揺らしたりする。体育館の中を窓から覗いたりもした。向こうの角へ行って顔を出し、念のため反対側へ戻って顔を出す。体育館の床下を確認しようと這いつくばっている時、ついに声をかけられる。慌てて立ち上がったせいで、軽く頭を打ちつけた。
「何してるの?」
「あ、ああ……安全確認」
邪悪な陽キャの影は欠片もない。翔利のいう通り、壮大な被害妄想だったようだ。最悪の事態は起こらないだろう。頭を擦りながら振り返ると、声の主は近くまで来ていた。彼女は胸の前で両手を合わせ、困った顔をしている。不審な動きで不安にさせてしまっただろうか。予想以上に距離が近い。玲仁は素早く後ずさった。
「ごめん、えっ、あの、ササブネさん、だっけ」
またしても不審な動きをしてしまった上に、無意味な言葉がいくつも入ってしまった。もう少し滑らかに喋る予定だったのだが、これではあまりに格好が悪い。玲仁の心は早々に挫けそうになる。と言うか、もう挫けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます