1-3


佐々船ささぶね みなと。同じクラスの」

 玲仁は固まったままやり過ごした。

「二年目も同じクラスがいいな」

 玲仁は固まったままやり過ごした。

「ちなみに、わたしも文芸部。かけもちなんだけど……」

 すっかり忘れていた。部室には、最初の一回以来行っていない。なぜかと言えば。

「同じ部活って、覚えてないわよね。一日目で先輩達にめちゃくちゃ弄られて、来なくなっちゃったって聞いたわ」

 詳細をあまり覚えていないが、非常に居たたまれなかったのは覚えている。恐らくは思い出したくない記憶なのだ。闇の封印が解かれそうになっていたので、そっと蓋をしておいた。別に行かなくても問題なかったのだ。運動部には絶対に入りたくないが、帰宅部になるのも嫌だっただけだ。

「うちの学校、毎年文芸部には女子ばっかり集まるらしくて、急に男子来たから珍しかったみたい。わたしからも、ごめんね。先輩達、心配してたわよ。その年の夏くらいまで」

 もっと早く言って欲しかった。内心で玲仁は思う。心配されていたと知っても、部室には行けなかっただろうが。同じ人間と言っても、集団の中で一人だけ性別が違うとやりずらい。そういうものだ。だが知っていれば少なくとも、小さなもやつきを抱え続けずに済んだ。

「鐘霧君。背、高いわよね」

 突然会話の内容が飛んでしまい、玲仁は反応出来なかった。だから何だと言うのだろうか。

「教室で、いつも小説とか読んでるでしょう。わたしもね、実はこっそり、同じ本借りてみたりしてたわ」

 また話が飛んだ。会話のキャッチボールが難しい。とりあえず、聞いてるアピールをする。

「そうか」

「鐘霧君って、大人よね。他の男子みたいに、馬鹿な話で馬鹿みたいに騒いだりしないし」

 意外だ、と玲仁は思った。ただ本を読んでいるだけなのに、大人に見えるのだろうか。友達の少ない寂しい奴に見えている、と考えていたが。

「馬鹿な話とは」

「女の人の胸の話とか」

 何気なく投げかけた質問に、とんでもない魔球が返ってきてしまった。食らったのはデッドボールかもしれない。息が詰まりそうな気分だ。変な顔をしていないのを祈る玲仁だったが、恐らく駄目だろう。湊の表情を見るに駄目だ。ここは取り繕うよりも、正直に言った方がいい。無理して歪曲表現をすると、致命的な誤解を与えかねない。これが数秒間の脳内会議の末、玲仁が弾き出した答えだ。

「まあ、うん。全然全く百パーセント興味がないと言えば嘘になる、けど。あまり露骨なのは、嫌な気持ちになるかな……」

 今度はおおむね滑らかに言えた。

「やっぱり! 鐘霧君はそういう人だって思ってたの!」

 湊は唐突に声を弾ませた。嬉しそうに玲仁の両手を取り、軽やかに上へ下へ振る。よく女子同士でやっているあれだ。条件によっては男子にもやるのか。

「わ、ごめん! 無理やり触っちゃった?」

 湊が慌てて手を離す。玲仁は腕を曲げた形のまま、そっと指を動かした。皮膚の表面がふわふわする。少し驚いたが、不快感はない。柔らかくて、サラサラで、温かい手だった。穂乃火とは違う匂いがする。穂乃火は爽やかな柑橘系で、湊はほんのり甘い花だ。気にする事は何もないと伝えるために、玲仁は首を横に振った。

「いいよ」

 少しの沈黙の後、湊は喋り出した。

「彗星が衝突するって話、あるじゃない? あの大きさだと、絶対に地球が滅亡するだろうって。それって全然未来の話じゃなくて、わたし達が二十六歳になった時なのよ。考えたんだけど、わたしやっぱり、後で後悔しないように生きたいなって思うの」

「信じてるのか?」

「完全に信じてる訳じゃないけど。そういう気持ちで生きてたら、ああしておけばよかったなあ、とか、大人になった時思わなくて済むんじゃないかしら」

 また違う話になっている。本題は一体いつ切り出されるのか。このままでは日が暮れてしまう。待っても待っても雑談が続くなら、玲仁から始めるしかない。



「と、ところで、あの、手紙の」

「好きです付き合ってください!!」

 突然の大声に、飛び上がりそうになる。だいぶ早口だったが、なんとか聞き取れた。そこまではいい。すぐさま押し寄せた無数の疑問で、玲仁の頭はいっぱいになってしまう。産まれて初めてだ。嬉しい。と同時に怖い。なぜ自分なのか。こんな男のどこがいいのか。自分でいいのか。いつからそういう気持ちでいたのか。なぜ。なぜ。

 湊もまた、固まっていた。自分の叫びに彼女自身も驚いたようだった。だんだん頬が赤らんでいく。ぎこちなく両手を泳がせてから、突然小さな声を上げ、慌てて鞄に手を突っ込んだ。リボンのついた可愛らしい小袋を取り出す。両手で持って、玲仁に向かってつき出した。

「わたし達、二人だけの契約を結ぶの。玲仁君がやってみたかった事、なかなかできなかった事、わたしが全部叶えてあげる。その代わり、玲仁君はわたしの傷ついた心を癒して、ずっとずっと側で守って欲しい。玲仁君の力があれば、この世界をもっといいものにできるはずなの。どうかしら」

 玲仁は返事ができなかった。これをくれると言うのか。こんな冴えない自分に。バドミントン部の女子が。ライトノベルか何かか。ここは現実だぞ。玲仁はすっかりパニックに陥ってしまった。

「…………なんで?」

 なんで。

 あまりにも最悪だ。客観的に言って、冷酷だとさえ表現できる。そんな返事をする奴は、今まで触れたどんなフィクションにもいなかった。玲仁の脳は、自分のミスにトドメをさされた。つまりキャパシティオーバーを迎え、以降の思考を停止したのだ。


 その間に事態は悪化する。湊は目を大きくして、小袋を握り締めてしまった。行き場のない感情が指に集中して、力が入りすぎている。可愛い柄の袋に凄い皺が寄ったと思えば、みるみる内に大変な事になって行く。現在進行形で。堪えきれずに涙が零れた時、玲仁は我を取り戻した。即座に発生する、激しい動悸、ストレス性の発汗、眩暈のようなもの。これで冷静に対処するなど無理な話だった。泣き始めた少女を前に、ただただ狼狽える事しかできない。

「あーっ! あー違うんです! 俺はあの、そういうんじゃなくてあの」

 湊は崩れ落ちるようにして、しゃがみ込んでしまった。くぐもった嗚咽と、微かに鼻を啜る音が聞こえる。玲仁も泣きたくなってきた。

「ごめんなさいごめんなさい違う人が、いいと思いますよ、こんな、こんな奴じゃなくて……」

 湊は泣き止まない。玲仁が悲観するせいで、余計に悲しくさせてしまっている気配さえある。逃げ出したい気持ちが沸いてくるが、このまま放って帰るなど絶対にできない。かといって、落ち着いてもらう方法も、許してもらう方法も分からない。気が遠くなってきた。


 かなぎりーー!


 幻聴が聞こえる。穂乃火が怒っている時の声がする。



「鐘霧ぃ!」

「うわあ出……どっから出た?!」

 玲仁が振り返ると、怒り心頭の少女が仁王立ちしていた。聖海高校のセーラー服。そして学生鞄。肩上辺りで切り揃えられた黒髪。強い意思の宿る瞳。玲仁の幼馴染み、雅里みやさと 穂乃火ほのかだ。全て聞かれていたとは恥ずかしいが、この状況では救世主のように見える。

「湊が勇気を出してお手紙出したのに何だその返事は! このダメガネ! 童貞! 彼女いない歴年齢!」

 穂乃火は思いつくまま叫びながら、右腕を振り回し接近してくる。翔利の予測通りの反応をする女子だ。翔利は凄い。だてに歳の近い妹がいない。などと感心している場合ではない。あの怒りようだと、胴体辺りを一発殴られるかも知れない。


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