四節 data.2020.02.14
1-1
『放課後、第二体育館の裏に来てください』
落ち着け。これは何かの間違いか、もしくは罠だ。
眼鏡を外して、かけ直して、眼鏡の位置を直す。何度見ても、やはり同じ事が書いてある。世間では今日をバレンタインデーというらしいが、玲仁にとってはただの二月十四日だ。二千二十年の、二月十四日だ。毎年同じような二月十四日を過ごしている彼にとって、地球が爆発するレベルの大事件だった。聖海高校に入学して以来の……は少し言いすぎか。とにかく非常に困った事態だ。二年生に上がる手前に。このような不穏なメモを。一体誰だ。メモだけでは情報が少なすぎて、首謀者の見当すらつかない。女子と交流など、ほとんどした事がないのが災いした。
そういえば。幼馴染みの
そうこうしている内に、朝礼の時間が近づく。周囲に生徒が増えてきた。いつもの生徒が隣のロッカーを開けに来たので、慌ててメモを手の中に隠す。危ないところだった。と思ったのもつかの間、玲仁の聴覚はクラスの中心的男子の登校を察知する。いつものようにいつもの四人でつるんでおり、朝っぱらからテンションが高い。今日が二月十四日だからだとすれば、実にアホだと思う。彼らは脳の容量の多くを、性愛の事と、学校内ヒエラルキー闘争の事と、ボールを追いかける事に使っているのである。元々同じ知的生命体とはとても思えない。
とは言え思うだけだ。脳内でだけならどうとでも言える。玲仁は背の高さに反比例して小心者だった。あるていど気心が知れてからでないと、日常会話すらまともにできない。メモが奴らにバレるのだけはまずい。当然そう考えた。
奴らは陽キャ、玲仁は陰キャだ。奴らは栄光と悪名を欲しいままにするサッカー部、玲仁は日影に生きる文芸部(ほぼ幽霊部員)。玲仁は静かに小説や教科書を読む事で、不用意な接触を回避して生存してきた。背が高いと目立つため、変な奴に絡まれないようにするのが大変なのだ。もしも彼らにコイツをつつくと面白いんだなと発見されたら、最悪しつこく弄られるに決まっている。そうなれば、のんびり読書もしていられなくなるだろう。
絶対に嫌だ。平穏が脅かされるのだけは、なんとか避けなければならない。玲仁はできる限りの冷静さを保ちながら、さりげなく紙を元通りに畳み、ブレザーの襟の中へ入れる。不穏なメモをワイシャツの胸ポケットに隠すためだ。そして流れるように上履きを履いて、何事もなかったかのように教室へ向かった。
「という訳なんだが、どう思う?」
「どう思うって言われましても、玲仁のくせに羨ましいぞこの裏切り者としか」
パック牛乳を啜りながら、
たくさんある椅子と机も、たったひとつの小型ヒーターも、今だけは二人のものだ。着席する翔利の前には、家から持ってきた弁当と、購買で買った焼きそばパンとメロンパンが仲良く乗っている。翔利はだいぶ小柄のため、向かいに座る玲仁とかなり身長差があった。二人で出かけている時、兄弟か何かと勘違いされた事さえある。翔利は玲仁が沈黙している隙に、どちらのパンを先に食べようか迷い始めた。当然の行動だ。昼休みは一時間しかない。
とは言えだ。玲仁にとっては深刻な話なのだから、もう少し真面目に聞いて欲しい。翔利は牛乳を飲みながら、焼きそばパンの封を開けはじめる。小柄なわりに食欲旺盛だ。牛乳を啜る音が大きくなって、完全に空になる。非難の視線に気づいた翔利は、ストローをくわえたまま、頭の後ろで両手を組んだ。彼の地毛は元々明るい色をしている。
「オレだったら行くけどな~」
「アホか。死ぬぞ」
「死ぬんかい」
「よく考えろ翔利。俺が馬鹿正直に、放課後第二体育館裏に行ったとする。そこには校内一とは言わないまでもかなり素敵な女子が待っている。俺の知らない子だ。実は対して向こうも俺を知らない。なぜかと言うと彼女は取引で雇われた者で、邪悪な陽キャ……ここは邪悪な陽キャと言わせてもらうが、邪悪じゃない陽キャもいるとちゃんと知ってるからな。心配は無用だ。とにかくな、大して俺を知らないのになぜここにいるかと言うと、邪悪な奴らの仕組んだ巧妙なトラップの加担者だからだ。彼女はなんかいい匂いがする可愛いチョコレートの小袋を渡しながらなんかいい感じの告白をしてくる。産まれた時から告白した事もされた事もない俺は、絶対に狼狽えるだろう。挙動不審、赤面、そしてドモる、とにかくまあ酷い。その様子はあらかじめ潜伏していた者にバッチリ録られている。多分写真も撮られている。邪悪な陽キャが帰宅後に、見て~これマジウケる~、童貞キモーイとか言いながらシェアする。LEENEかなんかで。夜の間にシェアがシェアを呼び拡散されまくる。翌日には学校中の一部生徒に知れ渡っており、登校した瞬間、俺は社会的死を迎える。これってそういうやつだろ?」
「急にスゲー喋るじゃん」
翔利は、たっぷり二秒遅れて話し出した。上体を引く動作つきで。
「やっぱお前の妄想力宇宙一だわ。本の過剰摂取は体に悪いぞって、後でまーちゃんに言っとこ」
まーちゃんとは
「いや毎回思うけど、被害妄想激しすぎだって。ってか飯食えば」
翔利は気を取り直して、玲仁を励ましてくれる。焼きそばパンを食べながら。
「そうかな」
友人の言葉に、玲仁は思い出す。そうだ、昼食を食べないと。仕方がないので弁当の蓋を開ける。昨日の唐揚げや冷凍食品のグラタン、プチトマトとブロッコリーなどが入っている。自分で入れたから別段新鮮味はない。玲仁は毎日、昨晩の残りと冷凍食品を詰めて弁当にする。
「俺なんて、別に学年何位とかでもないし、スポーツはできないし、特にイケメンとかでもないのにな」
「玲仁君ね。誰かが誰かを好きになる理由って、別にそういうんじゃないからね?」
翔利は何故か知った風な顔だ。
「ってネットに書いてあった」
「ネットかい」
玲仁は脱力した。感銘を受けた自分が馬鹿のようだ。
「もしかして、球技大会の報復かもしれない」
「いや何ヵ月前の話してんの? もう誰も気にしてねーよ」
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