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 『和菓子屋 はづき』の店員が、立ち止まった客に声をかけている。優しそうな中年女性だ。ちょっとした手土産のおすすめについて、穏やかに語る店員。の足元から、恐る恐る顔を出すのは例の女子高生である。レイジは壁にもたれ掛かったまま、ゆっくりと手招きをしてみた。彼女は相変わらずこちらを警戒していたが、意を決して立ち上がり、ショーケース裏から出てくる。見たところ異常なし。人体部分の欠損や変色はなく、頭上の星も正常に輝いている。レイジが動かないでいたおかげか、もう逃げようとしなかった。今なら、書いた文章を見てもらえるだろう。ポケットからメモ帳を出し、上下を確認してから表を見せる。


 当機は あなたを助けに来た者です。



 文字を読むために、女子高生は近づいて来た。また脅かさないよう、座った姿勢のままで待つ。彼女はしばらく言葉に迷っていたが、おずおずと切り出す。

「あの……さっきの……。痛く、ないの?」

 レイジは正直に書いた。

 めちゃめちゃ痛かった。

「じゃあどうして? そんな目に合ってまで、わたしを助けたの?」

 仕事だから。と書いた。少女はもう一度、レイジの手元を覗き込む。そして呻いた。

「社畜じゃーん」



 社畜ではない。俺は宇宙平和のために働いている。君のような迷子の魂を保護したり、悪い霊を還るべき場所へ還したり、やる事はたくさんある。正直わりに合わないが、人の役に立つ名誉ある仕事だ。……珍しく長い文章を書いた。このメモは、捲ると無限に白い面が出るようになっている。理由は分からない。分からない事だらけだ。

「知ってる。そういうの、やりがい搾取って言うんだよ」

 少女はなぜか、得意気に教えてくれる。知った風な口をきくものだ。レイジは返事をしなかった。学生に大人の大変さは理解できない。

「っていうか、何でメモ」

 文字で書くより、直接見てもらう方が早い。レイジは必要な範囲でネクタイを緩めると、襟を広げた。いつも通り、首には白い包帯が巻かれている。

「それ痛いの?」

 喋らなければ、あまり痛くない。少女が文字を読んでいる間に、手早く首回りを直しておく。

「そっか。大変だね」

 少女はひとつため息をつくと、レイジの左隣に座る。二人はぼんやりと、生者達の往来を眺め始めた。彼女が何も言わないので、レイジも黙っている。とは言え、ずっと休憩している訳にもいかない。どこからどう切り出そうか考え始めた頃、ぽつりぽつりと話しだした。

「やっぱりわたし、どこかで死んだんだね。誰も私が見えなくなって、誰に話しかけても反応なくて、何も触れなくなってて。もう本当にどうしようって」

 レイジは静かに耳を傾ける。

「この間ね、強そうな輪っかのある人いたから、まさか天使?! って思って助けてもらおうとしたんだけど、自分の担当じゃないから無理って言われたんだ。役所の人かよ!」

 実は大体合っているのだが、一般人には黙っておく。第一宇宙平和維持局と言っても、色々な性質がある。少女が接触したのは恐らく監査部だ。彼らの仕事は、担当世界の欠片で発生した異変や不具合を調査し、報告を上げる事だった。レイジやエテルと違って戦闘員ではない。

 それに、暈人は身内以外に対して結構ドライだ。必要以上に現地人に関わってはいけない、との規則がある。仕事に支障が出るため、現地人や崩壊体に余計な情を持ってはいけないのだ。

「ごめんなさい。お兄さん黒スーツだし、何か顔怖かったし、死神だと思っちゃった」

 優しく微笑んだつもりなのだが、恐ろしい顔とは心外だ。それに、死神はもっと怖い。レイジは首を横に振り、気にするなと意思表示する。今まで無事でいてくれてよかった。危険な存在は崩壊体だけではない。魂さらいを生業とする暈人や、崩壊体になりかけの狂暴な霊が。

「わたしミカ。お兄さんは?」

 なるほど、自己紹介だ。必要以上の交流は推奨されていないが、これくらいなら応じてもいい。レイジは自分の名前を書く。レイジ。

「……へえ」

 妙な間があった。レイジは、なにか不思議な事でもあるのかと文字で尋ねる。

「わたし達と同じような名前だから、意外だなーって。もっと宇宙人みたいなやつかと思った」

 なかなか鋭い。

「だって輪っかの人達、どこの国の人か全然分かんない感じの見た目してるし。なんて言うか、微妙に違和感あるんだよね。この世のものではない感」

 ミカの言う通り、暈人は彼女と同じ世界の存在ではない。レイジも施術を受けていた頃は、暈人と化して行く己の些細な変化が気になって仕方なかった。しかしいつしか、自分の外見について考えなくなっていた。暈人と共に、暈人として毎日を過ごしているためだ。自分も元々は、ミカのような顔をしていたのだろうか。などと、よく変わる表情を眺めながら思う。

「もしかして名字もある?」

 レイジは、多分あったが忘れた。と書いた。ミカがおかしそうに体を揺らすと、頭上の星も軽快に煌めく。

「下の名前は覚えてるのに?」

 だんだん忘れて行くんだ。自分が人間として生きていた頃の事は。

 彼女のペースに乗せられて、ついつい書いてしまった。まだ余白はあったが、見られる前に次のページをめくる。ここまで言っては、情報を与えすぎになるからだ。

「えっ、今何書いたの? 見せて」

 駄目。おっと、文字を大きく書きすぎた。

「みーせーてーよー!」

 ミカは身を乗り出し、しつこくメモを奪おうとする。鬱陶しい。面倒になったレイジは、人型部分を一時的に三次元情報構造体へダウングレードする。勢いあまった少女は、頭から地面に激突した。レイジの体をすり抜けて。


 ミカは打ちつけた額を押さえるのも忘れ、しばらく呆然としていた。それもそうだろう。何が起こったか把握するまで時間がかかる。しかし立ち直りは早かった。いそいそと振り返ると、レイジに向かって片手を伸ばす。感触を確かめようとしているが、何度やっても突き抜けてしまう。触られるたび、レイジには何とも言えない不快感が発生する。別次元の存在から触られるとは、そういう事だ。

「もしかして、実体化的な?」

 やろうと思えば。と書き、レイジは縦に頷いた。正確には違うが、細かい説明をするのも面倒だ。返事を聞いたミカの顔が、ぱっと明るくなる。すかさず学生鞄に手を突っ込むと、長財布を取り出した。柔らかい水色をしていて、歳相応の可愛らしい造形だ。

「じゃあじゃあ、これでムンダの新作買って来てよ。レイジさんも好きなの買っていいから。助けてもらったお礼!」

 レイジは体を四次元情報構造体に戻して、財布を受け取った。身につけているものくらいなら、ついでに変換できるのだ。そのていどの未練なら晴らしてやっても構わない。

 そもそもムンダとは何か。メモ張には、ムンダとは? とだけ書いた。

「知らないの? コーヒーのムーンダックスだよ」

 どうやら有名コーヒーチェーン店の事を言っている。レイジは掌を拳で軽く叩き、理解したのを表現する。



 ほどなくして、二人は白鳩駅前に戻ってくる。鷹と天秤の女性像がある東口だ。目的の店はすぐに見つかった。幾らかかるか分からないので、紙幣で二千円を借りる。これだけあれば、二つ買ってもお釣りが来るだろう。生者に紛れ込んだレイジは、魂のミカを連れてメニュー表の前まで行く。店に入る前に、注文のメモを書いておこう。正確に書いて店員に見せれば、こちらの意図は通じる。テイクアウト、と最後に書く。生者のための椅子を奪っては悪い。





 コーヒーが旨い。アイスと迷ったが、ホットにしてよかった。なぜなら、とにかく香りが立つ。一仕事終えてからの贅沢は格別だ。駅前のベンチに腰掛けながら、二人は一服していた。

「ほんとにただのブラックでよかったの? 何でも好きなの買ってって言ったのに」

 メイプルナッツクリームラテチョコソースがけホイップ増量とやらを飲みながら、不満げにミカが言う。確かにブラックコーヒーは全商品の中で一番安い。お礼の気持ちをありがたくいただいても、バチなど当たらなかっただろう。

 しかし決して、遠慮している訳ではないのだ。これが好きなのだ。この香りが、ずっと嗅ぎたかった。向こうでろくなものを食べられないレイジにとっては、十分わりに合う報酬だ。眼鏡を蒸気で曇らせながら、レイジは右の親指を軽く上げた。ミカが屈託のない笑顔を向ける。

「さっきのレイジさん、すごくカッコよかったな」

 真っ直ぐな不意打ちに驚いたレイジは、動揺を悟られまいと顔を背けた。暈人の仕事としては、あのくらいできて中の下か、と言ったところなのだが。レイジは誰かに頼ってばかりで、頼られる事がほとんどない。少し照れる。

「ありがとう。助けてくれて」

 レイジは横を向いたまま、空いている方の手をひらひらと動かした。


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