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念のため、足音を抑えて前に進む。制御輪と外界の境目に武器を引っ張り出して、いつでも出せるようにしておくのも忘れない。レイジの場合、武器は銃器類だ。生前世話になっていた訳ではない。暈人が使う武器が銃の形をしているだけだ。取り出せるのは実在の銃火器ではなく、架空の近代銃、あるいは近未来風の造形ばかり。銃口からは火薬式銃弾の音がするが、実際に飛び出すのは光弾やビームだった。自分の体ながら謎が多い。
それはともかく。奥へ進むにつれ、ますます辺りが暗くなる。夜になった時の色合いではない。フィルターをかけたように、周囲全体が怪しい紫色に染まっている。これはもしや、と思い至った直後、悲鳴が聞こえた。あの少女の声だ。
制御輪から拳銃一丁を取り出し、聞こえた方向へと走り出す。ほどなくしてレイジは、道幅広めの十字路まで辿り着いた。恐らくは商店街の中心部だ。革の靴底を滑らせて急停止。大手の雰囲気を放つ電気屋の前で、セーラー服の少女が頭を抱えてへたり込んでいた。手前には人間大の崩壊体が迫っている。歪な黒い腕が、今まさに、少女へ手を伸ばさんとしていた。
実のところ、崩壊体には高度な知性は残っていない。理性より獣性が大半を占める。このため当然獲物に夢中で、背後に現れたレイジへの反応が遅れている。この大きさなら、レイジの実力でも破壊できるはずだ。たとえ実力不足でも、この状況では撃たずにいられなかっただろうが。
淀んだ指先が小さな星を摘み取ろうとして、止まる。気づかれた。一発で仕留めなければ間に合わない。銃口を向ける。
崩壊体が振り返ろうとする。素早く、しかし冷静に。右手を添え、よく制御輪を狙い、鎮魂の祈りを込めて、撃った。
銃声、爆発より少し遅れて爆発音。胴体部は黒い靄となって霧散した。撃ち抜かれた制御輪の、不可思議な動きがぴたりと止まる。嫌な金切り声を上げながら悶絶した後、火花を散らして消滅した。黒い体が砂のように崩れ去っていく。レイジにとっては日常的仕事風景で、慣れた光景だった。しかし少女は違う。呆然と見開かれた瞳から、二粒ばかりの涙が零れた。
励ましてやりたいところだが、今は駄目だ。彼女が隠れられそうな場所を探すのが先だ。レイジは視線を走らせる。『和菓子 はづき』。あそこがいい。ほどよく近く、ほどよく狭く、頑丈そうで、中に崩壊体が隠れている様子もない。レイジは店を指差した後、掌を上から下へ動かしてみせる。
二回目で伝わった。彼女はよく分からない泣き言と共に這って行き、ショーケースの裏で体を小さくする。そのまま動かずにいてもらえると、こちらも仕事がやりやすい。レイジも早急に、守れる範囲まで近づく。ショーケースには、饅頭や団子、餅、あんこを使った焼き菓子などが並んでいる。美味そうだ。……ではなく。和菓子屋に背を向けて新手に備える。
すんでのところで第一の危機を退けたが、悪いニュースもある。悲鳴と銃声を聞きつけ、暗がりから数体の崩壊体が現れたのだ。レイジにとっては想定内で、驚く理由は特にない。やはりここは、崩壊体の溜まり場になっていた。
彼らは争いの気配に敏感だ。命のやり取りに割り込み、どさくさに紛れて魂を掠め取るのも得意だった。獣のルールの範疇で互いに協力するが、可能ならば他の崩壊体を喰らうのも厭わない。
距離が近い順に撃っていると、六発の弾などすぐになくなった。しかしレイジは焦らない。トリガーガードの部分を軽く指で引っかける。くるりと回す、一回転。それだけで、弾が再装填される仕組みになっている。理屈はよく分からない。そんな動作を挟まなくても、無限に撃てれば楽なのにとは思う。
よく分からないと言えば、レイジの視界もそうだ。制御輪もまた四次元構造体のため、現在は視野角外の状況まで分かる。戦闘モード時にのみ解除される、ワンランク上の視界だった。俯瞰の視点がデフォルトだが、意識すれば三百六十度をカバーできる。画面外からの干渉でゲーム内カメラを動かし、自由に操作キャラクターを操る感覚と似ている。
向かいの道から新手の出現を確認し、レイジはもう一丁を左手に装備する。ざっと二十数体。これもまた、想定内だ。レイジの表情は大して動かない。弾は無限だが、銃を撃つ手は二本ある。だてに人間換算で何十年分もの訓練を受けていない。
右手で、左手で、撃つ、撃つ、回す。左手で撃つ、右手を回す。薬莢が飛び出す心配もないため、斜めだろうが後ろ手だろうが気にせず撃てる。多少無理な体勢でも、人体破損はすぐに再生される。崩壊体の爪が左脇腹を裂く。適切なタイミングで反撃する。この頃、裂傷ていどでは怯まなくなってきた。
マガジン部分で殴っても問題ないし、投擲武器として扱った後には同じ銃を出せばいい。三次元を飛び越えて転移する敵も、同じ手を使って対処する。レイジは蹴り技を活用し、時に回避行動を取り、多少のミスをカバーしながら着実に制御輪を破壊していく。伸ばされる黒い手足に加え、少女の挙動にも注意する。難しいが、不可能ではない。暈人である以上、最低限できなければならない事だ。幸い少女は動かない。悲鳴を上げる事はあっても、独断行動は取らずに我慢していた。
戦闘を始めて数分後、動くものは消えた。ようやく全てを還しただろう。レイジはひとつ息を吐き、ゆっくりと両腕を下ろす。
直後、何かに上半身を弾き飛ばされた。しまった油断した、と思った頃には、和菓子屋近くの壁に押しつけられていた。直前の視界情報を確認すると、崩壊体の掌がいっぱいに広がっている。この大きさは三体ほど食っているな、とレイジは静かに考える。死んでも武器を落とさなかったのだけは、自分で自分を誉めてもいい。とっさに敵の指の間へ腕を入れ、全てが潰されるのを回避した事も。
崩壊体が更に力をくわえてきた。背後の壁に刻まれたヒビが深くなる。さすがにだいぶ痛い。普通の人間だったらとっくに圧死をしているところだ。暈人はその程度では死なない。物理的な血肉を持つ人間と違い、霊的なデータのみで構成されているからだ。とは言え、圧死をした時相応の痛みは感じ続けるし、気絶ができないのは辛い。レイジは数秒間動けなかった。銃を落としかけて、慌てて握り直す。せっかく確保した反撃手段を、失う訳にはいかない。右手にも、左手にも、まだ銃がある。
大きな、黒い手だ。両脇から銃口を押しつけて、左右から同時に三発。足りない、もう一発ずつ。片腕をボロボロにされ、ようやく敵はよろめきながら後退る。悶絶する制御輪に、間髪入れず残りの二発を叩き込む。
最後の断末魔が消える頃には、レイジの上半身情報は修復を完了していた。反射的にトリガーガードを指にひっかけ、くるりと回す。間髪入れずに、考えつく場所へと順番に銃口を向けて行く。
しかし、もう必要ないようだ。周辺の光景が、正常に戻りつつある。レイジは両腕の力を緩めた。破壊された商店街は完璧に修正され、壁のヒビはなかった事になる。紫色の空気が引いていく。安心感のある色合いに変わっていく。
平和な朝の賑わいを、ようやく世界は思い出す。
今度こそ、レイジは武器をしまう。軽く上空に放り投げるだけだったが、多少適当でも制御輪が回収してくれるので楽だ。
エテルは誉めてくれるだろうか。いや、彼女は何をしても大体誉めてくれる。全く参考にならない。自己評価としては、駄目だ。損傷の修復にはリソースがいる。避けられたはずの攻撃を避けずに、無駄遣いをしてしまった。それに、最後は特に危なかった。真っ先に制御輪を狙われなかったのが、幸運だっただけだ。身を引き締めなければ。
などと、いつまでも反省会をしている場合ではない。人体部分が潰されたり再生する様子を、少女に見られたのではないだろうか。せっかく苦労して助けたのに、更に怖がられてしまっては意味がない。
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