1-3
揉めている二人の姿は、船内映像に映っている。レイジのうっかり大声も、船内中に何度か響いている。立場の強い者が颯爽と現れて、状況を変えるはずだ。そろそろ来て欲しい。
「エ テ ル さーん! また霊魂活性アンプルを持ち出しましたねぇ?!」
噂をすれば艦医のサフォスだ。騒々しい足音と共に、声変わり手前の少年声が廊下から響いてきた。
やや乱暴に病室のスライドドアが開いた直後、白衣を着た少年が滑り込んで来る。金髪碧眼で、背は外見年齢相応に低い。制御輪は二重、色は水色。普通よりも輝いており、回転速度も早い。どうやら興奮している。
「早く、元気になってもらいたくて……」
さきほどまでの威勢はどこへやら、エテルは口ごもった。ばつが悪そうな顔で、二人の男から視線を反らす。そのわりにはスプーンを下げようとしないし、力が緩まる気配もない。レイジとしてはサフォスの、また、という言葉も気になる。もちろん悪い意味で。
「こんな小さい子に与えるなんてとんでもない。劇物ですよ。劇物、分かります? 下手すりゃ爆散です」
サフォス医師は喋りながら接近し、エテルの持っているスプーンを奪った。中身を一瞥して、溜め息をつき、元の器へと突っ込む。スプーンが埋まる際におぞましい音がしたのは、気のせいではないだろう。かくして、精神的死亡フラグは排除された。レイジはようやく、エテルの手を自由にする。
「そうなの?」
「そうなのじゃねーよ」
サフォスは、エテルに厳しい視線を向けた。怒りが収まらない様子で、腰に手を当てている。自分より年下に小さい子などと言われると、複雑な気分になるレイジだった。しかし、年下なのはあくまで外見上の話だ。人によく似た暈人だが、本質は人の形をしていない。頭の制御輪が本体である。正確には、制御の内側にある空間だ。
と、言われても、レイジにはピンと来ない。いつ見ても真ん中は透明な空間で、何もないように見えるからだ。
「この子はまだ、輪っかが一つしかないんですよ」
サフォスの説教が続く。彼の言う通り、個体としての強さと成熟度は輪の本数で決まる。つまり、人の形をしている部分では判断ができない。地球人はついつい、人の形をした構造物に目が行ってしまうが。最後に外見上少年は、空中に向かって拳を振り上げる。同時に一段と、薄青色の輝きが増すのだった。眩しい。
「僕の的確完璧な治療計画が! 狂ってしまうじゃないですか! 素人は手も口も出さず、大人しく医者に従っていてください!」
このように熱くなりやすく、少しばかり過激だ。仕事熱心なのはいい事だが、時と場合によってサフォスの欠点でもあった。誰にも邪魔されず散々喚いてすっきりしたのか、ようやく彼の制御輪が大人しくなる。
ちょうどその時だった。サフォス以外の二人が、同時に虚空へ視線を向けたのは。
「レイジ」
エテルが目配せをする。言われる前から、レイジは分かっていた。自分にしか聞こえない短い音が、三回ほど響いている。聞き慣れた着信音だ。だが、念のため頷いておく。
「任務だ」
エテルがはっきりと口に出す。レイジの脳内……正確には制御輪に、メッセージが届いている。いつも通り、エテルと全く同じ内容のはずだ。上層部は、このような形で指令を送って来る。受け取り方、見え方には少なからず個人差があった。個体の精神に合わせた形で、それと分かるよう形作られるからだ。レイジにとっては視覚イメージで、電子メールの姿だった。
視界に滑り込んで来た封筒マークを、意識を向けるだけでクリック。開封する。現れたのは誰にでも同じ態度で、人格の気配がない機械的文面。新しい任務がある事、何時何分までに指定の降下ポッドに入っている事、幸運を祈る旨、が書かれている。毎回全く同じだ。
送り主は便宜上、上層部と呼ばれている。上層部の正体をレイジは知らない。ここにいる者は全員知らないだろう、と全ての局員が言う。姿を見た者はいないし、何人いるかも分からない。隠された銀河連邦国家のひとつかもしれない。誰も知らない機密機関かもしれない。とてつもない力を持ったいち暈人かもしれない。無限に近い計算能力を有する超宇宙文明の思考機械、という説が最近では有力らしい。レイジは最初の説明で、それの正体がなんであれ、余多ある宇宙を守る存在だと聞かされている。それが最初の宇宙を作ったのだと。
確かな事はひとつだけだった。上層部は高度な思惑によって、乗り越えられる任務しか与えない。まあ胡散臭い話だ、とレイジは常々思っている。乗り越えられなかった者は、それ以降喋らないからだ。サンフォスが小さく肩を竦めた。
「いくら志願したとはいえ、ひとつ輪ちゃんにこんな危ない仕事をさせるなんて。上層部はどうかしていますよね」
「私の心配はしてくれないのかな?」
「エテルさんは爆散して別宇宙に吹っ飛んでも執念で戻って来そうじゃないですか」
レイジもそう思ったので、素直に頷いておいた。静かに、二回。もちろん、執念で戻って来そうの部分だ。
「しかもこの子、一回脱走しましたよね。本当に行くんですか、ク」
「レイジと呼んでやってよ」
エテルが口を挟んだ。サフォスが言いかけたのは、名前、だろうか。
「この子は今、それがとても気に入っているんだ」
「……レイジさん。いいんですか? また絶対に、怖くて痛い思いをするんですよ?」
レイジは親指を上げて、前向きな意志があると示す。表情こそ明るいものにはできなかったが、このハンドサインが一番伝わると判断した。病み上がりであれ、レイジに拒否する理由はないのだ。
任務を拒否したとしても、他の者に回されるだけだ。しかしレイジは、どこへでも行くと決めていた。自分が一番に選ばれた根拠があるのならば。助けを待っている遭難者が、大切な友人の可能性があるならば。
「レイジは、頑張りたいって。私もサポートするつもりだから」
「サポートって……いつまで経ってもエテルさんの負担、減らないじゃないですか。この子の性能は、はっきり言ってピーキーですよ」
「そんな彼の相棒が務まるのは~」
「私しかいないってんでしょ。はいはい。第一宇宙が終わるまで言っててください」
辛辣だ。だが、事実だ。レイジは眼鏡を外し、状態を確認しながら考える。サフォスの懸念とは別の事を。耳にタコができるほど聞いた耳が痛い話なので、あまり聞きたくない。
いざ友人達を見ても、同一人物と分からないかもしれない。それに向こうは、確実にレイジだと分からないだろう。暈人になると、地球で生きていた頃とは全く違う外見になるからだ。それでも意味はある。助けた後、解析結果を見ればいい。名前を見れば、きっとすぐに分かる。大切な友人だったならばよし。違ったなら、また探しに行くまでだ。それを何度も繰り返して来た。
「ほら、また。単純三次元構造体に対する執着が酷い」
眼鏡の事を言っているのだろうか。サフォスの言い草は、幼児がお気に入りの毛布をいつまでも手放さないので困る、と同じ類のものだ。レイジは思わず苦笑した。
「レイジにとっては大事なものなんだよ」
「長い目で見守るしかないですかねえ」
顔に眼鏡を戻す。やはりメンテナンスは必要ない。どうやら制御輪は、眼鏡も服も、身体情報の一部と判断している。
「行けるかい? レイジ」
エテルが呼びかける。二つ輪同士の会話は終わったらしい。任務地は三十六番地球だ。レイジは、今日も頷く。彼女の赤い瞳に、しっかり視線を合わせながら。
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