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 超次元融合炉『那由多』の暴発は、レイジにとっては全く未知の事件だった。銀河間航行中のミスだったらしい。事故の影響は大きかった。なにせ次元に干渉する機械なので、一瞬の内にパズルのピースが散らばるが如くばらばらになってしまった。現在過去未来全ての三十六番地球が。もちろん『那由多』暴発時の宇宙船群も一緒に墜落したが、数隻ほどは小さな世界の欠片を見つけて不時着した。

 頭上に光る輪を冠する彼らは、『暈人かさねびと』という。レイジもかつて彼らに助けられた者の一人だ。遠い宇宙の知的生命体。全ての惑星文明人類の祖先であり先祖である上位種。あるいは、地球上では天使と考えられていた存在だ。その高度な知的生命体が、星に同族の種を落として回っている。つまりは、暈人が姿を地球人に似せているのではなく、暈人から作られた全ての知的生命体が暈人に似ているのだ。レイジにとっては難解な話だ。



 助けられたわずかな地球人達は、後からやってきた然るべき組織から事情を説明された。彼らは第一宇宙連合 惑星管理局 地球型惑星部と名乗る。そして、二択を迫られたのだった。

 『いったん魂の源流へ還って、どこかの宇宙のどこかの星で何かとして産まれ直せるのを待つ』か、『不可逆的な進化施術を受けて暈人になり、遭難した魂を助ける手伝いをする』か。一番目の選択肢は、また人間になれる確率は低いが、多分平和に暮らせる。二番目の選択肢は、条件をクリアできる者のみが志願できるが、その業務は過酷だ。彼らの提示する試験に受かった後、特殊な訓練を通過できなければならない。

 一方的に巻き込んでおいて、理不尽極まりない話だ。責任をもって三十六番地球の修復が進められるとはいえ、だ。暈人の技術力をもってしても、輪を持たずして死んだ生命体は元に戻せない。事実上、選択肢はないに等しい。魂の多くは源流還りを選んだ。土星の輪ほども輪っかの多い軍服の暈人から、九割はそうしたと説明された。レイジも死後、その選択を迫られた事がある。仲間になってくれると助かるとも言われた。よく分からないが、猫の手でも借りたい状況だそうだ。

 レイジは暈人になると決めた。別段美しい大義などない。このまま普通に死ぬのは惜しかっただけだ。人間をやめたら何か変わるか、試してみたかっただけだ。大切だったような気がする友人達が、源流還り志願者リストに記載されていなかった。ついでにそれを探すのもいいと思った。確か、名前は。名前は。上手く思い出せない。



 そして。そばの椅子に座って微笑んでいる、この白い眼帯女は。

『宇宙人』

「うわ、いきなりとんでもなく大きな声を出さないでよ。びっくりしたじゃないか」

 レイジの上司にして、相棒だ。第一宇宙連合 惑星管理局 地球型惑星部 霊魂回収課所属の、確か、名前は。レイジは難しい顔になってしまう。海で助けてくれたのは彼女だし、ずっと一緒に仕事をしてきた。よく知る存在なのに、今さら誰ですかとは聞けない。本調子ではない制御輪の中に、意識を向けて情報を探す。確か、エテルだ。エテルという名の宇宙人……ではなく。

『暈人《かさねびと》』

「何か言った? 今度は小さすぎて、何も聞こえないんだけど」

 違いが分からない。レイジは上体を起こしながら、小さな溜め息をつく。念話は難しい。特殊な精神器官を扱う必要があるのだが、地球人の段階ではほとんど発達していない。まさに、次元が違うというやつだ。たった一言でも、レイジにとっては走りながら大声を出すくらいの労力だった。かと言って、口話では喉が痛いし、また酷い咳が出たら苦しい。何とかして、流暢に念話できるようになりたいところだ。他人と意志疎通するためには、単語しか言えないのでは不十分だ。と最初に思ってから、どのくらい経ったか分からない。なかなか上手くならないものだ。

「同じ地球の知的生命体なら、クジラ類の方がずっと念話が上手だね」

 クジラ類が高度な知性を持っているのは知っていたが、会話可能までとは知らなかった。彼女はいつ、クジラに会ったのだろうか。暈人は高度な文明を持っているし、秘密裏にどこかの地球を訪問していたとしてもおかしくはない。もちろん、クジラ類のいる。



 それはともかく。レイジは思考を中断した。顔の前にスプーンを差し出されたからだ。見慣れた形なので、スプーンだとすぐに分かる。中身の方は、何度見ても見慣れない。緑色をした半固形物が、鉱物的な怪しい輝きを放っている。あまり美味しそうではないが、暈人がくれる食物としてはマシな方だ。薄目で見ればゼリーなので。何をどうしたら毒々しい蛍光緑になるのか、さっぱり分からないが。

「食べるといい。精神が落ち着く」

 未来の人類は、食事を必要としない。三次元上だけで生きる者とは身体構造が違うのだ。何となく残っている食欲を満たすために、適当なものを口から摂取する。消化器官はなく、排泄も必要ないし、代謝しないので肉体的寿命もない。生殖機能も失われたが、レイジにとっては大した問題ではなかった。むしろ、厄介なものから解放されて清々とすらしている。

 ついでに言えば重力の影響を受けないし、ウイルスや細菌の感染もなく、高熱だろうが絶対零度だろうが放射線だろうがすぐには崩壊しない。体は四次元構造体でできており、頭上の制御輪が損傷を検知して即座に修正してくれる。あくまでも、理論上は。

 やっかいな事に、相応の痛みは感じる。実際の物理法則よりも、気の持ちようの方が影響しやすい。だから、万能に見える制御輪でも、修復できないものはあった。例えば、魂に刻まれた深い傷。これは魂に近すぎるため、傷ではなく魂の情報と見なされてしまうそうだ。


 スプーンから少し距離を取る。もの言わぬゼリーに向かって、訝しげな視線を散々ぶつけた後、レイジは首を横に振った。口に入れても喉の傷に影響しないが、嫌なものは嫌だ。

「おかしいな。私があげるものをレイジが警戒するなんて。やっぱり、表層情報がバグってるかな」

 暈人の味覚は地球人と同じではないし、感覚も離れている。地球の構造物を想定して食すと、もれなく精神が混乱する。落ち着くどころではない。

 レイジが思うに、暈人は全ての感覚がぶっ飛んでいる。乱暴な言い方だが、ぶっ飛んでいるとしか言いようがない。スポーツと称して彗星に飛び乗ったり、煙草と称して木星の大気を吸ったりする。こんな半不老不死は嫌だ。この体を便利だと思ったのは、最初の数日だけだった。精神的にも霊体的にも、まだついて行けない部分がある。レイジは少し後悔している。食事は思った以上に、人間にとって重要な位置にあった。

「君の好きな単純三次元構造体だよ」

 単純三次元構造体。

「見た目は怪しいかもしれないけど、地球のアミノ酸と同じ配列にしてあるよ」

 地球のアミノ酸。


 レイジはもう一度、首を横に振った。地球のアミノ酸と言っても、前回食べたものと味が同じ保証はない。心の準備がいるのだ。

「ほら、口を開けなよ」

 またスプーンを近づけて来たので、レイジは手首を掴んで阻止する。エテルは、何としても食べさせたいらしい。目つきに異様な雰囲気を感じたレイジは、絶対に食べない方がいいと悟る。しかし腐っても人間の上位種、案外力が強い。

『拒否』

「野生の感が鋭いなこの子は」

 エテルが諦める気配はないが、レイジも諦めない。なんとか平和的に解決できないものか。食べ物を床に叩き落とすのは、気分的にやりたくない。たとえこの気味の悪い物体が、食べ物と言えるのか分からなくても。地球人として培ったものが、レイジの中にはまだ残っていた。


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