第19話 333

「あ、どうも奇遇ですね百瀬ももせセンパイ・・・・・・って、なんでそんなびしょ濡れなんですか。顔も死んでますよ」


 『ヒルフェ』に付いてすぐ、ロビーで明日花と出くわした。立房たちふささんも一緒にいて、どうやら二人が話し込んでいる間に、ちょうどあたしが来たみたいだ。立房さんが会釈をしてきたので、あたしも思い出したかのように頭を軽く下げた。


「立房さんと何か話してたの?」

「実は、昨日仕事先から電話があって、チームが今手がけている研究に使っているデータの統計をメールで送れってい言われちゃったんです。いつもはソフトを使って統計を出してたんですけど、実は職場から持ち出したパソコンにコーヒーこぼしちゃって今電源が入らない状態なんですよ。で、なんとか自力で計算してるところなんですけど」

「ポアソン分布を使って確率を導き出せばいいんじゃないの? って話をしていたのよ」


 立房さんが割って入る。


「違います立房さん、人工知能の学習計算結果に基づく場合は製造設備なんかに使われる標準正規分布表でばらつきを修正して、発生率を測らないといけないんです。えっと、なんだったかな。ヒグマみたいな、しぐれ? ほら! 小文字のaみたいなやつです!」


 難しい話をしているんだか、適当な話をしているんだか、明日花の口調で分からなくなる。


「3σ?」

「あ、そうそれです! ほら、やっぱり百瀬センパイ分かってた。確か前に工場で働いてたって言ってましたもんね!」

「そうだね、工場のコンベアに配置された機械が、一日の業務の中で全く同じ動作をするわけじゃない、みたいなのを教えられた。そのときに正規分布表を見せられた気がする。統計学なんて知らなかったし、今思えば知ってても知らなくてもどっちでもよかったんだけど」

「ああ、なるほど。たしかに、人工知能を扱ったコンベアロボットにも動作不良はあるものね」


 立房さんが納得したように頷いた。


「それで兎羽さんに聞きたいんですけど、3σだとどういう計算になるんでしたっけ?」

「99.7%だから、3/1000.だったと思う。不良動作を起こす確率は千回に三回。それを複数回じゃなくって初期値により近づけるんだったら、333」

「あー! そうですそうです! しっくり来ました! さすが百瀬センパイ!」

「百瀬さんはとても物知りなのね」

「さっきも言ったとおり工場で教えられただけなんで。ほんとに、これだけ知ってるってだけです」


 文言を丸暗記しているだけで、その統計論や式をどこかに応用したりはできない。レジの店員が同じような言葉を喋るように、あたしもまた、教え込まれた定型文をそのまま説明したにすぎないのだ。


 明日花は満足したように伸びをすると、持っていたペットボトルを潰してゴミ箱に投げ込んだ。


「これから利用ですか?」

「うん。明日花も、随分ハマってるみたいで何よりだよ」


 あたしは窓口で受け付けをしながら、後ろから覗き込んでくる明日花に返事をした。


「最初は研究のため、だったんですけど、利用してみれば案外面白いですね。質のいい映画を見たような気分になれます。でも、やっぱり機械は機械ですよ。人工知能と会話をしてても、どっか、やっぱ機械だなーって思うときはあるし」

「まあ、これから発展していくんじゃない。そこら辺は」

「人工知能がどれだけ美しい音色を奏でても、独創的なイラストを描いても、それは所詮血の通っていない機械の作品です。人工知能によって出来上がった、人間の偽物も、所詮は機械。私はあまり、好きじゃないですね」

「人工知能を研究してる人がそんなこと言っていいんだ」

「研究してるからですよ。毎日毎日向き合ってると、嫌いになるんです。それに、好きで研究してるわけじゃないんで。元々は服飾系の仕事に就きたくて上京したのに、今や服は人工知能が作る時代だーなんて言われて、どうすれば服を作る仕事に携われるかとあがいているうちに、人工知能の研究施設に辿り着いちゃったんです」


 人生はうまく行きませんね、なんて言いながら、明日花は肩を竦めて見せた。


「後悔はしてませんけどね。あのとき家を飛び出して、よかったと思ってます」

「それは素敵なことだね」

「思ってもいないお世辞、ありがとうございます」


 語尾にハートマークが付いてそうな作り声で明日花が投げキッスをしてきたので、それを手で払ってスタッフのロボットからタブレットを受け取った。


「そういえばさっき相川あいかわセンパイから連絡がありましたよ。『ヒルフェ』に通おうと思ったら、百瀬センパイに断られたって」

「小枝のやつ、もう明日花にチクったんだ。ていうかあんたらそんな頻繁にやりとりしてたの?」

「はい、相川センパイからはちょくちょく相談を受けていて」


 相談、か。小枝が誰にどういう相談をするかなんてどうだっていいけど。


「あれー? もしかして嫉妬してます? すいません、愛しの相川センパイを奪っちゃって」

「そういうのいいから」


 明日花のテンションに付き合っていると、こっちが怪我をする。


「でも百瀬センパイ優しいじゃないですか」

「はあ? どこが」

「だってちゃんと、相川センパイをここから遠ざけているじゃないですか。百瀬センパイも本当は気付いているんでしょう? 人格更生プログラムの危険性について」


 背中に、明日花の探るような視線が突き刺さっているのを感じた。


「さあね」


 あたしはなるべく、まともに取り合わないよう意識して、明日花から逃げるように歩き出した。


 長い廊下を渡って、部屋番号を確認してから中に入ると、今度はまた別のスタッフが応対してくれる。


『こんにちわ、百瀬兎羽さん。利用開始前に、スタンプを押させていただきます』


 タブレットを差し出して、利用するたびに加算されていくスタンプを押してもらう。


『これにて333回目の利用となります。いつもありがとうございます。今回は説明は省かせていただき、これより人格更生プログラム起動の準備に取りかからせていただきます』


 無機質な声にあたしは頷き、ベッドに横になった。


 ゴーグルを付けられる際、ロボットの手があたしの額を掠めていき、ひんやりとした感触が残った。明日花の言っていた、血の通っていない機械という言葉を思い出した。


 それはたしかに、冷たいかもしれないけど。


 でも、血の通っていないということは、逆を言えば、血を必要としない、ということでもある。


『それでは、良い夢を』


 ロボットの声と共に、あたしは手元のボタンを押す。睡眠ガスが鼻腔いっぱいに広がり、あたしは沈んでいくような眠りに、身を任せた。

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