第17話 呪われたクリスマス

兎羽とわさん?」


 ハッとして顔をあげると、鼻先に雪を乗せたままの切奈せつながあたしの顔を覗き込んでいた。


「どうしましたか、急に立ち止まって。なにか思い悩むことでもあるのですか?」

「あ、いや」


 どうして、切奈が目の前にいるんだ。


「そうだよ兎羽ちゃん。兎羽ちゃんが缶蹴りやろうって言ったんだからっ」


 隣から聞こえてきたのは小枝こえだの声。幼く、サイズの合っていないミトンを落ちないように付けている。子供の頃の小枝。


 よく見ると、あたしの視線も、いつもより地面に近い。声を出すと、気だるさのない、高い声が出る。


「そうだね、早く探そう」


 思い出した。今は、人格更生プログラムの世界にいるんだ。


 あたしは明日花と別れてからすぐ眠りに就いてこの世界にやってきた。


 人格更生プログラムは利用者の記憶を主軸に、世界を形成する。あたしの今いるこの世界では、あたしも、小枝も子供の姿だ。そして切奈は、生きていた頃の姿でいる。


 それはおそらく、あたしの記憶の中で最も印象強く残っているのが、このとき。小学校高学年の頃なのだろう。


「じゃあ、缶見つけた人が鬼ね!」

「えーっ、私もう鬼やるの嫌だよ」

「あ、あの。鬼、わたしがやってみたいです」

「せ、切奈ちゃん。大丈夫? 兎羽ちゃん手加減してくれないよ。どうせ本気で逃げるんだから。私のときなんて捕まえるのに二時間もかかったし・・・・・・」

「そうだよ切奈。それに、缶を先に見つけるのはあたしだからね! おりゃー!」


 あたしは新雪の中に飛び込んだ。


「やっぱりここにあったー! よーし、ほらほら! 切奈、鬼やりたいんだったら小枝よりも先に捕まっちゃダメだよ!」


 何も考えず、何も背負わず、ただ楽しいことだけを追いかける。このときが人生で一番楽しかった。


 なにより、人の死を足かせのように引きずってしまう。


 それに、この時代には切奈がいる。


「と、兎羽ちゃんっ。切奈ちゃんは身体の調子がまだよくないんだから」

「大丈夫です小枝さん。わたし、一度でいいから全力で走ってみたかったんです」

「活きのいい獲物がいるねえ! それじゃあ切奈、行くよ――わあっ!?」


 走りだそうとした瞬間、雪玉が顔面めがけて飛んできた。


「こういうのも戦略のうちです!」


 そう言って走って行く切奈の足取りは、とても小学校高学年とは思えないほどに鈍重だ。何度も転んで、雪に脚をすくわれている。鼻に付けっぱなしだったチューブも片方外れているし、袖もめくれあがって、枯れ枝のように萎れた手首も見えている。


 あれだけ闘病ブログを徘徊していたあたしだ。切奈の様相を見れば、切奈が今どういう状態なのかはすぐに分かった。


 それでも、切奈は「わー!」と走ること、遊ぶことを全力で楽しんでいる。健康なあたしのほうが、考え事ばかりで楽しいことにのめり込めていない。


 切奈を見ていると、もしかしたらって思えた。


「待てー! 切奈ー!」


 もしかしたら、あたしたちは特別なのかもしれない。


 切奈の病気なんて、あたしと小枝で吹っ飛ばしてあげる。


 笑顔でいれば、きっと病気だって克服できる。


 余命? 知るもんか。むしろ、それをひっくり返したらさ、超カッコいいじゃん。


 世界初、余命宣告を克服した人間! みたいにニュースで取り上げられてさ、一躍有名人。それからあたしたちは何度も試練を乗り越えて、他の人は死ぬかもしれないけど、あたしたちだけは死なずに生きていくんだ。


 切奈に追いついて、その小さな背中を抱き寄せる。切奈は悔しがりながらも、笑いながら、あたしを見上げた。


「兎羽さん。どうして、泣いているのですか?」 




 テレビで流れているニュースを観て、あたしは足早に家を出た。


 もうじき、隕石が地球に落ちてくる。それは、この世界が終わることを意味していた。


 人格更生プログラムを起動してから、この世界では約三ヶ月経過している。とはいえ、この世界の時間と現実の時間の流れはだいぶ差がある。おそらく現実世界ではもうじき二日が経とうとしている頃だろう。


 『ヒルフェ』の利用規約では、人格更生プログラムの利用は二日までとされている、フリータイムがそもそも一日までなので、それを過ぎると延滞料金が加算されるシステムとなっていて、大体の人はそこで自分からログアウトの手続きを取る。


 二日を過ぎてしまうと、それ以上は規約違反となり、世界の強制終了処置を執られることとなる。突然のシャットダウンは脳に負担がかかるため、世界の中で利用者を死亡させるなどして辻褄を合わせるのだと以前立房さんから説明を受けた。


 つまり、この世界に落ちてくる隕石というのは、もうじき終了時刻が迫っていることを意味する。


 あたしは仮想現実とはいえ、やはり死ぬのは怖いので隕石が落ちる直前でログアウトすることにしている。ログアウトは、各自持たされているタブレットで処理を行うことができる。


 外に出ると、相変わらずの雪景色だった。


 街ではイルミネーションが輝き、サンタクロースのコスプレをした人たちが蔓延っている。


 この世界は、毎日がクリスマスだ。それは切奈の命日が、12月25日であったことを意味している。


 あの日、あたしは切奈の容体が悪化したと小枝から電話を受けて、高校の授業が終わってすぐ、カバンを担いだまま病院に向かった。


 活気づく街を駆け抜けて病院に着いたころには、すでに切奈は息を引き取っていた。


 遺言や、感動的な別れがあるとばかり思っていたあたしは、病室に広がる無機質なアンモニア臭を嗅いで、ひどくショックを受けたのを覚えている。


 小枝の制止も効かずに、あたしは泣きながら街を走った。


 切奈が死んだ。その事実に打ちひしがれているというのに、人々はクリスマスというものに取り憑かれたように、大切な人と手を握り合いながら幸せを噛み締めていた。


 あいつらは、自分の幸せに盲目になって、他人の不幸になど興味ないのだ。


「クリスマスなんて、嫌いだ」


 落ちていたサンタの帽子を、思い切り蹴飛ばした。


 そもそも、なんでクリスマスのイルミネーションはいつも黄色で、サンタの服は赤なんだろう。


 黄色も赤も、あたしは嫌いだ。


 黄色はなんだか、危険を意味するようにも思えるし、赤は止まれと言われているみたいで、どちらも後ろ向きな気持ちになる。


 どうせなら、全部のイルミネーションを青にしてくれたらよかったのに。


 青は空や、海みたいにキレイだ。それに、切奈がよく着ていた服の色でもある。


 赤や黄色にはない、前向きな色。


 「進め」と言われているようで、そんな青一色のクリスマスさえあれば、と思わずにはいられない。どうしても、赤や黄色を見ると、あの日のことを思い出してしまうのだ。


 だから人格更生プログラムを利用しはじめたときの設定では、常に夏であるよう設定したのに、いつからか冬に、しかもクリスマスに変わってしまっていた。


 プログラムの不具合か何かなのだろうが、悪趣味だ。


 あたしは街を未練もなく抜けて、切奈の家の前までやってきた。


 窓を叩いても返事はなかった。駐車場を確認すると、いつもは停まっている車がない。切奈の母親は不在のようだ。


「切奈、開けるよー」


 隙間風のような返事が微かに部屋の中から聞こえたので、踏み台の上に乗って窓を開けた。


「おはよ、切奈」

「・・・・・・おはよう、ございます。兎羽さん」


 切奈はベッドに横になったまま返事をした。切奈の声と共に、窓枠に積もっていた雪が、サラサラと消えていく。


「遊ぼうと思ったんだけど。体調、あんまりよくない?」


 あたしは性格が悪い。この世界が終わりに近づくほど、切奈の体調は悪くなっていく。それを知っていながら聞いたのだ。


 この世界のことも、そして人格更生プログラムのことも切奈に伝えてしまおうかと思ったことは何度かあった。ただ、『ヒルフェ』の利用規約にもあるように、プログラミングを施した人格に現実世界のことを伝えると、エラーを起こして世界が崩壊してしまうので、あたしはこうして、この世界の住人として切奈と接する必要があった。


「いいえ、遊びたいです。兎羽さん、遊んでください」


 切奈はゆっくりと首を振って、生気のない目であたしを見た。


 それと同時に、隕石が降ってくる。


 もうじき、この世界も終わるのだ。


 切奈は窓の外まで見る余裕がないのか、ぐったりとあたしの顔だけを見ている。


「そうだね、じゃあ。切奈は何がしたい?」

「魔法が使いたいです」

「お、いいねー! この魔法使いに任せておきなよ、どんな魔法が使いたい? 空を飛ぶ魔法? それともお菓子を作る魔法? あ、人をカボチャにする魔法はダメだよ、あれは切奈にはまだ早い」

「人を、幸せにする魔法が使いたいです」


 小学校の頃、あたしは魔法使いと呼ばれていた。


 死を忘れることに必死だったあたしは、人を笑わせたり驚かせるために、考えつく限りのことをした。誕生日ケーキにびっくり箱をしかけたり、離任式で先生の前で歌を歌ったりもした。入学式では新入生の前でやるショーの主役に自ら立候補したし、手品を覚えてからは、いろんなクラスに出向いて披露していた。


 あのときのあたしは、もしかしたら人生で一番輝いていたのかもしれない。


 歳を取った今のあたしに、そこまで自分を誤魔化す気力は残っていない。


「わたしも、兎羽さんみたいな魔法を、使えるように」


 切奈が静かに、目を閉じていく。


 見届けたいという気持ちもあったが、やはりあたしは、いつも通り、隕石が落ちる寸前にログアウトすることにした。


「ばいばい、切奈」


 また来るよ。


 手を振って、この世界の切奈に別れを告げる。


 ・・・・・・そういえば、前回は切奈が、世界が終わる直前におかしな行動を取っていた。


 街の中で、隕石がもうじき落ちそうだったからあたしはログアウトをしたのだけど、その処理中。切奈は顔を上げたかと思うと、何かを思い出したかのように突然どこかへ走り出してしまったのだ。


 そのあとはすぐに現実世界へ戻ったので、切奈が一体、何をしようとしていたのかは分からなかったが。あれはなんだったのだろう。


 この世界が夏から冬になったように、不具合でも起きたのかと心配していたが、今回の切奈はそんなことはせずに、静かにベッドに横たわっていたのでホッとした。


「大丈夫だよ切奈。また、新しい魔法を見せてあげるから」


 現実世界には、魔法なんてものはない。あっちの世界はクソだ。バカ正直に、いつまでも自然の在り方を守り続けてる。


 そう、魔法なんて、存在しない。


 切奈が、病気に負けて死んでしまったように。魔法や奇跡なんて、一つもありはしないのだ。


 でも、この世界でなら。


 あたしが作り出したこの世界でなら、魔法だってあり得るのかもしれない。


 子供の姿をしたあたしは、あのころと同じ、無垢で、力強い、無敵の存在だ。なんだってできる。


 だから見ててよ、切奈。


 あたしはまだ、諦めてなんかいないんだ。

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