第13話 人格更生プログラム
「『ヒルフェ』とは人工知能を応用した仮想空間で、利用者の記憶とリンクさせた世界を作ることができる技術を用いた心療施設。人格更生プログラムは元々VRゲームのソフトだったらしいが、そこに可視化プログラムや神経接続端子などの独自の技術を用いて、疑似体験を可能にした。
そこに睡眠を意図的に操作できる麻酔薬を含んだガスを鼻腔から流し込み、好きな夢を見させることができるという元々心療内科で使われていた医療法を合わせ仮想空間をより具体的なものに進化させた。最終的に、その夢に登場する世界や人間をより詳細にするため、人工知能が搭載された」
どうして、なんで、そういう疑問符が見せつけられているスマホの液晶に浮かんで見える。
明日花は鋭い目つきで、それこそ、さながら研究者の顔つきであった。
「人格更生プログラムの利用者はまず最初に、登場する主要人物を一人決めることができる。一人と定められているのは、プログラムへの負荷を軽くするため。今の技術では一人を具体化するのが限界ということなんでしょうね。
最初は百通りの問答を人工知能と交わし、それをプログラムによって数京に至るまで繰り返す。それによって利用者が望む主要人物の人格というものが形成されていく。外見は人格とは違って作成が簡単で、画像さえあれば高度なスキャン機能で姿形を複製できるし、細かな箇所は利用者の手によって編集もできる。そうして夢の中で、会いたい人と会う、と。
ただ、人格更生プログラムを利用するには抽選に受からなければならなくて、そのため誰もが利用できるというわけではない。中には数百回挑戦しても抽選に受からなかった人もいるとのことで、意図的に選別されているのではないか、なんて噂もネットではちらほら見かけるが、定かではない。
そういったこともあり、たしかな技術と唯一無二のサービスながら、あまり表沙汰になることはなく、ひっそりと営業を続けている」
跨線橋を降りたあたりで、丁度明日花の話は終わったようだった。引き締まった表情は和らぎ、明日花は緊張から解き放たれたかのように息を吐いた。
「どっか間違っているところはありましたか?」
「・・・・・・ないと思う」
「よかったぁ、実は今の文言、職場の上司から無理矢理覚えさせられたんですよ。調査に行くなら施設の概要くらい頭に入れておけって」
「でも、どうして『ヒルフェ』にあたしが通ってるって分かったの」
そこまで聞いたところで、あたしはハッとした。すぐにその出所が、小枝だということに気付いたのだ。
小枝だけには、あたしがこの心療施設に通っていることを伝えてある。
「あ、その顔、なんとなく察しましたね? さすが幼なじみ。そうです、百瀬センパイがここに通っているということは相川センパイから聞きました。まぁ、理由は別にあって長くなるんですけど」
跨線橋を登っても、明日花は横並びになって付いてくる。そしてわざとらしく、スマホの液晶をこちらに向けているのも全てを見透かされているようで憎たらしい。
けれど、だからといって、どうして明日花がこんな心療施設に用があるというんだろう。心の傷なんてものとは真逆の生き物であるはずなのに。
「実は、今働いている研究施設で『非現実症候群』というものについて調べているんです。百瀬センパイは知っていますか?」
「・・・・・・・・・・・・」
不意に放たれた単語に声を出しそうになったが、あたしは必死に堪えて平静を装った。
「知ってる、というか。聞いたことはある。最近ニュースでもやってたし。人工知能に脳みそが乗っ取られる、みたいな奴でしょ」
「半分正解で半分間違いです。非現実症候群は人工知能を用いた、VR空間で可視化した世界を疑似体験する媒体の過剰利用によって起きる症状のことで、主な症状は重度の栄養失調と昏睡。今のところ発症者が意識を取り戻したケースはなく、治療法も確立されていない。前兆としては、脳の収縮により依存症が併発すること。ギャンブルでも酒でもそうですが、これまで一滴も飲まなかった酒をたくさん飲むようになる、なんてデータもありますね。いかんせんデータの母数が少ないので今のところ推測でしかありませんが」
今の言葉は覚えさせられたのではなく、明日花が自分で調べたんだろうなというのはやや砕けた口調から伝わってきた。
「世間では昏睡、もしくは植物人間になるのが非現実症候群だと思われている方が大半ですが本当のところは違います。うちの施設での研究でも明らかになっているんですが、非現実症候群を発症した患者の脳を調べると、細胞が全て死滅した代わりに、基盤やコードのようなものが脳幹に生えていたんです。もしかしたら、非現実症候群とはただの疾患ではなく、もっと、私たちの想像の遥か上を行くものなんじゃないかって、私たちは他社に協力を依頼して徹底的に調べ上げました。そうしたら、驚くべき事実が分かったんです」
明日花は唇を噛みながら、苦い顔で言う。
「非現実症候群は、人工知能の暴走により、人間の脳が機械に浸食されて起こる現象なんです」
「それじゃあ、その、脳幹から出てきた基盤とかコードとかって、元々あったとか、埋め込まれたとかじゃなくって」
「はい、さっき言ったとおり、生えてきてるんです。人工知能の電子信号によって、脳が自身を機械にしようと細胞に訴えかける。最新の研究では、その人の持つDNAすら操作しているという結果もでています」
「そんなことがありえるの?」
「人間の体から、木が生えてくる症例も世界にはあります。先天的遺伝子の誤作動と、後天的遺伝子の異常指令という違いでしかありません」
結果を出すまでに至る過程をしっかりと踏んでいる明日花は、自分ではあまり言わないがれっきとした研究者である気がした。あたしがジロジロ見ていたからか、明日花は首を傾げながらあたしの顔を覗き込んできた。
「話、ちゃんと聞いてたんでしょうね」
「最初の半分しか聞いてなかった」
「もう! せっかくマジメに話してたのに! でも私も喋り疲れたんでこの辺にしておきましょうか。『ヒルフェ』も見えてきましたし」
明日花の言うとおり、もうすぐそこに白いビルが見える。
「まあ事情は分かった。明日花がどうしようがあたしが口出すことじゃないし、せいぜい研究頑張ってね。それじゃあね」
踵を返して立ち去ろうとすると、思いっきり肩を掴まれた。
「さっきスマホの画面見せたじゃないですか。私、抽選に受かったんです」
万有引力に勝るその力に、あたしは悪い予感を抱きながらも振り返る。すぐにその悪い予感は、的中することとなった。
「私、初心者なんで心細いです。一緒に行きましょ、百瀬センパイ」
目尻の下がるその笑顔は、切奈によく似ていて、あたしは大きくため息を吐くしかなかった。
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