第2章

第9話 クソほどにつまらない夢

 目を覚ますと、白い天井があった。


 起き上がるのも待たずに、入り口からスタッフのロボットが稼働音を響かせてあたしの隣までやってくる。


 ロボットの持ったトレイには、あたしの財布とスマホ、それから水の汲まれたコップが置かれていた。


『ご利用ありがとうございました。これでスタンプが貯まりましたので、次回のご利用は無料とさせていただきます。お荷物のお忘れ物にご注意ください。またのご来店をお待ちしております』


 ロボットは内蔵されたスピーカーから、無機質な声でマニュアル通りの接客をする。それはあたしが最初にこの施設に来てから、一年経った今でも全く変わっていない。


 部屋を出ると、自動でドアが閉まる。このあと、ロボットが布団のクリーニングと部屋の消毒をしてくれるのだそうだ。


 プラスチックケースに入れられた自分のネームプレートを抜いて、返却口に放り投げた。


 しっかりと延長料金まで請求してくる受付ロボットにバーコードをかざして電子マネーで決済する。表示された利用明細は、見ないふりをした。


 二日寝ていたせいで、足元がおぼつかない。あたしは壁に手を付きながら、ロビーに設けられたソファに座った。


 まだ若干、頭がぼーっとしている。背にもたれて何もない空間を目で追っていると、向かいから声がした。


「随分長かったのね。延長料金、とられたんじゃない?」


 向かいに座っていたのは立房たちふささんだった。立房さんは暦六十歳の女性だが、まだ肌は瑞々しく、三つ編みにされた髪も相まって年齢より若く見える。


 あたしは気怠い態度を隠すことも忘れ「まぁ」と無愛想に返事をする。しまった、と思ったが、立房さんはあまり気にしていないようだった。


「気をつけたほうがいいわ。期限を過ぎると延長料金を払うだけじゃなくて、強制終了の処置もとられるんだから。処置の内容は人それぞれだけど、中には銃で撃たれたり、溺れ死ぬんて終わり方もあるって噂よ。私は体験したことないけど、その様子じゃあ気分の良い目覚めじゃなさそうね」


 立房さんは杖を付いてゆっくり立ち上がると、毛糸で編まれたバッグからハンカチを取り出してあたしに渡した。


「目、真っ赤よ」

「すみません」

「どうして謝るのよ、泣くことは悪いことじゃないでしょう?」


 あたしだって、自分が悪いと思って謝ったわけじゃない。ただ、自分に非があろうとなかろうと謝っておくのが大人としてのマナーだからと、皮肉のつもりであたしの何倍も長く生きた人間に向かって愚痴を吐いただけなのだ。


「でも、そうね。ここは傷ついた心を癒すために来る場所なのに、そんな風に悲しい顔をしていたら本末転倒じゃない?」

「そういう立房さんは、今回もいい夢を見られたようで」

「そりゃあもう! マッキーに会えるだけでも夢みたいなのに、マッキーとタカシがね、私を取り合うのよ。『悦子ちゃんはどっちを選ぶんだよ』『俺はえっちゃんじゃなきゃ嫌だ』って。マッキーは嫉妬深いから私が他の男と喋ってるとすぐ不機嫌になるし、タカシはワガママだから意地でも私を奪おうとするのよ」


 頬に手を当てて笑う立房さんは、本当に幸せそうだった。


「顔も骨格もキャプチャと自動メイキング機能で本物そっくりだし、性格も最初は別人だったけど問答ログと私の記憶を同期させてからは安定したわ。世界観がちょっと、私が過ごした幼少期に似て古くさくなっちゃうのが難点だったけどね」


 ちなみに、マッキーとタカシというのは、十年ほど前に活躍していた男性アイドルだ。今も活動自体はしているらしいがテレビであまり見ることはなくなった。立房さんはその二人の熱狂的なファンだったらしく、ライブには何度も足を運んだのだと、初めて立房さんと出会った日に聞かされた。


「それに今回は、私も当時の姿でじゃなくて今の姿でマッキーとタカシに会うことにしたの。二人は年齢差なんかで恋愛を諦めるような人じゃないって、ずっと一緒に過ごして分かったから」

「素敵なお、考えですね」


 とってつけたような丁寧語に、立房さんが目尻を下げた。付けすぎにも見えるファンデーションが、照明の光の一切を遮断している。


 あたしもその眩しい光は、あまり見たくはなかった。照明から逃げるように俯くと、立房さんがあたしの隣に座って、優しく肩を撫でてきた。


「なにも百瀬ももせさんの考えが間違ってるって言っているわけじゃないのよ。この施設を利用する人のほとんどは、亡くなった人に会いたいって理由でここへ来てる。むしろ私の利用方法がちょっと特殊なだけよ」


 あたしがこの施設に来ている理由も、最初出会った日、立房さんに話した。詳しい内容は伏せたが、死んだ友人に会いに来ていると伝えると、立房さんは何も言わずあたしを抱きしめてくれた。化粧品とポマードの混じった薬品のような香りを、今でも覚えている。


「けど、そういう人はみんな一度利用すれば満足してこの施設から去って行きます。あたしとは違います」

「お酒に酔いやすい人がいるように、夢もまた同じなのよ。それを良い悪いで決めつけないで。百瀬さんは友人を今でも想い続けてる、優しい人間よ」


 あたしがどういう顔をしていたかは分からない。ただ、立房さんが聞いてもいない、あたしの人間性まで肯定しようとしているということは、よっぽどひどい顔をしているのかもしれない。


「そろそろ行きます。お腹空いたので」


 利用中、栄養剤は点滴で入れてもらっていたけど、それではやはり、足りないものもある。かといって、お腹が空いているというのはこの場所からいち早く出るためについた嘘だった。本当は飯を食う気力なんて一ミリもない。


「ええ、帰り道には気を付けてね。百瀬さん。今日も良い一日を」


 まだ居座るつもりらしい立房さんは、肘を曲げて上品に手を振った。あたしも手を振り返すかどうか迷って、結局、逃げるように背を向けた。



 外は雲で覆われ若干暗くなっていたせいで時間が分かりづらかったが、スマホを見るとまだ昼らしい。あたりは騒がしく、過剰なイルミネーションが街を照らしている。


 そうか、今日はクリスマスか。


 施設の中は無菌かつ無風、そして常に一定に保たれた室温によりまるで時間や空間が停止しているんじゃないかと錯覚してしまうことがある。だから時間感覚もよく狂うし、今日が何日なのか分からないなんてことはザラだ。


 振り返ると、閑散とした場所に、ぽつりと建つ白いタイルで覆われた殺風景なビルがあるが、とても異質に見える。


「きゃっ!?」


 ふいに視界の端が光ったかと思ったら、遠くで地を揺らすような大きな音が轟いた。


「雷・・・・・・」


 気付くのとほぼ同時に、強い雨が顔に当たる。空はいつのまにか真っ黒の雲で覆われて、そこかしこで雷の音が落ちる音がする。


 あたしは持っていた傘を握りしめたまま、全力で走った。


 どうして今日はブーツなんかで来てしまったんだろう。走りづらくて仕方がない。


 不格好な走り方で、地面を鳴らしながら、あたしは走った。まるでマラソン大会で最後の方で遅れてやってくる走るのが苦手な子みたいに、腕をぶらんぶらんと振って、一心不乱に走った。


 通り過ぎる人が全員あたしを怪訝な目で見ていたが、あたしからすれば、こんな雷の落ちる外で傘を差している人たちのほうが異常だった。


 木のそばを通るたび、次の瞬間には感電して死ぬんじゃないかとドキドキしたし、高い建物がなくなったら、早く避雷針の役割を果たしてくれる建物がある場所まで行かなきゃと必死で走った。


「はぁ・・・・・・」


 アパートに着くと、あたしは廊下でスカートを絞った。もはや雑巾だ。


 部屋の郵送口には、多くのチラシが溜まっていた。


 玄関にはゴミ袋や脱いだシャツが散乱していて、赤い封筒はおそらく公共料金の支払い用紙だろう。そういえば払うのを忘れてた。昔から学校の提出部とか、そういう期限を定められたものが苦手なのだ。


 それらを踏みつけながら歩くと、何かブニュっと柔らかい物を踏んだ感触があったが、確かめる気にもならなかった。


 リビングは、ひどい有様だった。エナジードリンクの空き缶に、最近飲み始めた缶チューハイの空。食べきれなかったコンビニ弁当もそのままに、部屋には異臭が立ちこめていた。


 掃除しなきゃという危機感はしっかりとあるはずなのに、あたしは気付けば、スウェットに着替えて、頭にタオルを巻いてから布団に潜り込んでいた。埃っぽくて、すぐに鼻がズビズビといいはじめる。


 これも掃除しなきゃか。でも、布団の掃除ってどうやるんだっけ? クリーニング? 天日干しじゃダメなのか。けど、天日干しするには日の当たる関係もあって午前じゃなきゃダメだ。ってことは、早起きしなきゃってことで。


 シャワー浴びてから寝たほうがいいのか。でも、もしかしたらこのアパートに雷が落ちたら水を伝って感電死するかもしれない・・・・・・。


 行動も、思考も、頭の中で計画立てることも億劫で、あたしは目を瞑った。


 この眠りに、希望はない。


 ただ暗いだけで、目を覚ませば現実が待っているだけの、クソほどにつまらない夢。


 この世界に、一ノいちのせ切奈せつなは、もういない。




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