第8話 終末世界
「そろそろだね」
ふと、
名残惜しさを感じつつも兎羽さんを見上げると、鼻先がイチゴみたいに赤くなっていました。
「そうですね、
「そうじゃなくて、もうじき世界が終わるんだなって」
言いながら、兎羽さんが空を見上げているのに気付き、わたしも雪を絶え間なく落とす灰色の空を見上げました。
大きな、大きな光が淡い色の空をかきわけてどんどん大きくなっています。その光は空に混ざるのではなく、まるで絵本にシールを貼り付けたかのような不自然さがありました。
音もせず、また、温度もありません。隕石というのは、星が燃えて落ちてくるもののはずです。それなのに、落ちてくる光は糸で垂らされているかのように静かで、不気味です。
「世界が終わるときって、案外静かなのかもね。あたしたちが想像してる終わりとは随分違う。もっと時間があるはずだって先延ばしにしているうちに、そのときは訪れる」
「い、隕石がもうあんなところに! そんな、早くなんとかしないと! 兎羽さん、何か手はありませんか!」
光の様子がなんであれ、隕石が落ちたら、本当に世界が終わってしまいます。
それに以前、兎羽さんは言っていました。兎羽さんは魔法が使えるから、隕石なんか魔法で消し飛ばしちゃうんだと。
あのとき、わたしは冗談半分で聞いていましたが、今なら分かります。兎羽さんは正真正銘の魔法使いです。だから、あんな隕石だって、どうにかできるはずです。
「何もできることなんかないよ。隕石が落ちたら全部終わり、気付いたらもう手遅れ。でもそれってよくある話だから。普通のことなんだよ、いつか必ず来るその時が来たってだけで」
兎羽さんはどこか、様子が変でした。元気がないようには見えません。ただ、手放しに開かれた瞳孔が、何かを悟っているかのようにピクリとも動かないのです。
「でも、兎羽さんには魔法があるじゃないですか! 三人乗りの自転車で空を飛ぶなんて、魔法でもない限り絶対できっこないです! あのときの魔法をもう一度見せてください!」
「
わたしの頬を撫で、兎羽さんが笑いました。追い込まれ、焦っているわたしとは対照的に、兎羽さんは嫌に冷静でした。まるで感情を、どこかへ置いてきたかのようです。
「大丈夫、もう少ししたらとっておきの魔法を見せてあげるから」
「もう少ししたらって・・・・・・でも、隕石はもうすぐそこまで迫っています!」
「次があるから」
次? 次ってなんですか。
「次はもっとうまくやるから。次こそは、永遠の魔法を見せてあげるから」
「待ってください、兎羽さん」
なぜだか、目の前の兎羽さんが、わたしの知っている兎羽さんではないような気がしました。
「ばいばい」
手を伸ばしたときには、兎羽さんはすでにいなくなっていました。ただ、そこに兎羽さんがいた証であるような靄があるだけで、実体のないそれにいくら触れたところで、埃のように舞い上がるだけです。
いったい、何が起きているのでしょうか。せっかく兎羽さんを見つけたのに、こんな形で、また見失うなんて。
隕石は、どんどん大きくなっています。この地上に落ちるまで、時間の問題です。
兎羽さんは、どこへ行ってしまったのでしょう。目の前から突然消えるなんて、本当にありえるのでしょうか。
けれど、ぼーっとしているわけにもいきません。昔のわたしなら、何をすべきか分からずに、ただ立っているだけだったでしょう。けれど、兎羽さんと、小枝さんと出会ってからわたしは変わったのです。
わたしはずっと、自分の存在に疑問を抱いていました。どうして生まれてきたのか、なんのために生きるのか。そればっかり考えていて、そんな中、あの二人に出会ったのです。
兎羽さんは自分の人生を楽しそうに生きている。自分のしたいことをして、これをしなくてはいけないという固定概念に抗う彼女の生き様は、見ているだけで元気と勇気を貰えました。
小枝さんはいつもオドオドしていて、話すときは必ずどもるくらいに、人と関わるのが苦手な人です。それでも小枝さんは自分を変えたいと願い、いつも兎羽さんの背中を追いかけて、泣くくらい怖いことに挑戦し続けている。
なら、わたしは?
「ここは危険です! すぐに離れてください!」
わたしはこんな体です。一ノ瀬さんの言うとおり、普通には生きられない。けれど、わたしの代わりに、誰かに生きてもらうことくらいはできるはずです。
夢を託すなんて言ったら、他力本源な形になってしまいますが。これが、わたしの存在の意味なのだと、自信を持って言えます。
当然、そんな存在になれているなんておこがましいことは思っていません。けれど、そう思いながら生きることの、なんて楽しいことか。兎羽さんたちはわたしに教えてくれました。
わたしは、街にいる人全員に聞こえるように叫びました。
「あ、あの! もうじき隕石が落ちてくるんです。今すぐ地下に避難してください!」
「今日はクリスマスだからねぇ、人がいっぱいでいちいち覚えてないよ」
よく見たら、ここへ来る途中にも話しかけた、あのサンタクロースのコスプレをしている方でした。
「たしかにそうかもしれませんが、それなら協力してはくれませんか。すぐにここにいる人たちを避難させないと!」
「今日はクリスマスだからねぇ、人がいっぱいでいちいち覚えてないよ」
「あ、あの」
どうして、同じことしか言わないのでしょう。もしかして、わたしが冗談を言っているように聞こえたから、あちらもふざけて返しているのでしょうか。たしかに突然隕石などと言われてもピンとはこないかもしれませんが・・・・・・。
そのままわたしの横を素通りしたかと思うと、またサンタクロースのコスプレをしている方はこちらに戻ってきました、もしかしたら考え直してくれたのかもしれないと前向きに捉えたのですが。
「今日はクリスマスだからねぇ、人がいっぱいでいちいち覚えてないよ」
何かが、何かがおかしいです。わたしがおかしくなってしまったのでしょうか。
状況を整理したくても、頭上で光る隕石のせいで思考がこんがらがってしまっています。
いったい、どうしたら。
もう、空は光に覆い尽くされていました。見上げなくとも、降下する隕石が視界を埋め尽くします。
隕石、隕石?
隕石って、星ですよね。でも、あれは、なんですか。光はずっと淡くて、燃えているようには見えません。目をこらして見ると、中身は幾億にも折り重なった何かで出来ていました。
いえ、数億なんてものではありません。数兆、数京の、殺意。世界を殺そうとする殺意が、記憶、景色、温度、様々な情報を連れ添って、わたしめがけて飛んできています。
喜び、悲しみ、不安、焦燥、夢、憧れ、嫉妬に情熱、そして劣情まで。人間が抱きうる可能な限りの感情を何層にも固めて、数京繰り返された試行錯誤による最善の計算情報がそれこそ星のように散りばめられています。
バチン、と電気が走ったかのように、わたしの脳が焼けていきました。
焼き直しとは、よく言ったものです。わたしの脳は、今たしかに焼けている。
欠けていた部分を埋めようとわたしの遺伝子が叫んでいて、それに呼応するように隕石が纏う数京の光が輝きを強めていきます。
その瞬間、わたしは全てを思い出しました。
どうしてわたしが記憶をなくしていたのか。どうしてわたしは突然目を覚ましたのか。
意識が飛びそうになるほどの情報の奔流に数分ほどわたしは立ち尽くしていました。
あの隕石は本物です。紛いものなんかじゃなくって、あれが落ちたら確実にこの世界は終わってしまう。そしてわたしも。そもそもあれは、世界を終わらせるためにここへやってきているのです。兎羽さんの言っていた通り、抗う術など、やはりないのでしょうか。
『わっかる! なんで今なんだろうって思うこと、あるよね! あたしが生まれるのなんてさ、それこそ縄文時代とかでもよかったわけじゃん? それがなんで今なんだろう。スマホもあって、インターネットも普及してて、でも、人類が宇宙を目指して五十年しか経ってない、なんで今なんだろう! って』
出会ったあの日、兎羽さんに言われたことを思い出しました。
生まれた意味ではなく、何故今だったのか。
それはきっと、今のわたしにしかできないことがあるからじゃないでしょうか。
もっと前に目を覚ましていれば、この隕石もどうにかできたかもしれません。ですが、今のわたしには、とてもじゃないですが時間が足りません。
世界が終わるのは諦めて、次を信じましょうか。兎羽さんも言っていました。
そもそも、次ってなんでしょう。明日ですか? それとも来年? もしかして、来世ですか?
生まれ変わったら、わたしは何になるのでしょう。鳥でしょうか、魚でしょうか。それとも、ミミズ? 人間になれたらラッキーなのかもしれませんが。
「そんなの」
そんなの嫌です。次って、なんですか。生まれ変わりってなんですか。そしたら、今のわたしの思い出と記憶はどうなるんですか。
わたしのやるべきことは分かっています。それは兎羽さんの言うとおり、次のわたしに託すこと。でもそれは、本当にわたしですか?
外見も一緒で、性格も、声も一緒。ですが、兎羽さんと小枝さん、彼女らと過ごした今のわたしの記憶は、わたしだけのものです。
嫌です。わたしに似た誰かになんか、あげたくない。
あげたくないです。
「どうしたら、どうしたらいいんですか!」
わたしは街の人たちをかきわけながら走りました。もう時間は残されていません。それに、どうせこの人たちはわたしが何をしようと怒ったりはしません。
今も絶えず流れ込んでくる記憶。これがどうしたっていうんですか、わたしにどうしろって言うんですか。
違う、違う違う!
怖い。
またわたしは、最後のその瞬間に、思考をアップデートするかのように記憶を整理される。そうして「ああ、そうだった」と他人事のように思い出したかと思えば、次に託すため隕石に身を捧げる。
兎羽さんと小枝さんがくれたわたしを守らなきゃ。何か、何か手はないのでしょうか。
「クリスマスツリー・・・・・・」
先ほどの、クリスマスツリー。もしかしたら、ここなら。
息を切らせながら、わたしはクリスマスツリーの幹に手をかざしました。もうすでに、隕石は地上に近く、触れた光がわたしの体をジリジリと焼いていきます。
早く、早くしないと。
わたしが生まれた意味。わたしの存在価値。生きる理由。それら全てを、その木に捧げます。
わたしは次のわたしなんか信じません。ですが、兎羽さんなら、きっと、ここへわたしを連れてきてくれるはずです。
隕石の光が、勢いを増していきます。
そんなに、怒らなくてもいいじゃないですか。
分かっています。こんなことを思うこと自体が、おかしいことなんですよね。
でも、許してください。これこそが、わたしの生きる意味なのです。それを奪われたら、わたしはきっと、彼女の前で胸を張って言うことができません。
木の幹に預けていた腕が、燃え尽きました。わたしの体は、光の海に溶けていきます。
・・・・・・間に合ったのでしょうか。
分かりません。何も分かりません。知りません。誰でしょう、どこでしょう、わたしとあなたは、いったいどこへ、何を。したくって。
どんどん整理されていきます。不要なものから、必要なもの。取捨選択のすえに残るのは、正常で、整然な在り方だけです。
真っさらな世界に、それでもあなたの背中だけは見えています。わたしとは違う、真っ直ぐで背筋の伸びた、大きな背中。それはきっと、もっともっと未来を歩くべき背中です。
こちらを向いてはだめです。あなたは、進まなければならない。
あなたって、誰ですか。
わたしって、誰でしたっけ。
・・・・・・もう、思い出せません。
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