第7話 黄色いイルミネーション
小枝さんと別れてから、わたしは街中を探し回りました。今日はクリスマスというイベントがやっていて、街全体が賑わっています。
「あ、あの。この辺りでわたしと同じくらいの女の子を見ませんでしたか。髪は短くて、このくらいの背の子です」
わたしはすれ違う人に兎羽さんを目撃していないか聞いて回りました。
「今日はクリスマスだからねぇ、人がいっぱいでいちいち覚えてないよ」
「そうですか、分かりました。わざわざありがとうございます」
サンタクロースのコスプレをしている人に聞いてみましたが、やはり情報は得られませんでした。
どうしましょう。しらみつぶしに探しても、このままでは時間を無駄に消費するだけです。何か、兎羽さんの手がかりとなるものは・・・・・・。
気付けばわたしは、ふらふらとある場所を目指していました。それは街で一番大きなクリスマスツリーの下にあるベンチです。そういえばわたしは昔、あの場所で兎羽さんから大事な話を聞かされたのです。
「・・・・・・・・・・・・」
そういえば? そういえばって、なんですか。
堀り起こすように生まれた思い出は、ずっとずっと、先のことに感じました。そんな事実があるはずありません。わたしはこれまで、兎羽さんと過ごしたすべての日々のことを覚えています。
自転車に乗って空を飛んだこと、大太鼓を叩いたこと、兎羽さんのことを見ていると不思議と生きることが楽しくなる、そんな魔法にかけられたこと。
それほど幸せな時間でした、忘れるはずも、思い違えるはずもありません。
だからこの記憶は、わたしの単純な願いであってほしい。そう祈りながら、わたしはクリスマスツリーの下に向かいました。
「兎羽、さん」
いた。
いました。
膝を抱えてベンチに座り込んでいる、兎羽さんが。
「あ、あの。兎羽さん。こんなところでどうしたのですか、小枝さんも心配していましたよ」
わたしは心のどこかで、兎羽さんの驚く顔を見たがっていました。けれど、兎羽さんはわたしがここにやってくることは分かっていたとでも言うように、膝を抱えたまま返事をしました。
「分かってる、分かってるから」
どこか様子のおかしい兎羽さん。隣に座ろうと思った矢先、「座れば?」と言われたので、雪で湿ったベンチに腰を下ろしました。
「どこか痛いのですか」
兎羽さんは答えてくれません。顔をあげようともしてくれません。困りました。
「わたしも痛いときは泣いちゃうこともあります。だから恥ずかしいことじゃありません。何があったのか、よければ聞かせてください」
「やだ」
きっぱりと断られてしまいました。そういうあっさりしたところは兎羽さんらしくて、少しホッとします。
「キャラじゃないし」
「キャラ?」
「あたしは、そういうキャラじゃないでしょ。だから言わない。誰にも言ったことない。言ったら負けなの」
「小枝さんにも、ですか?」
「小枝にも、当然。切奈にも、言わない」
拗ねたような声色は、鼻が詰まっているのか、くぐもって聞こえました。
小枝さんにも、そしてわたしにも言えないこと。それってなんでしょう。知りたいという気持ちと、同時に、わたしではこの人を救えないんだという虚無感が心の中を空っぽにしていきます。
「ずっと探したんですよ。街の人に聞いても目撃情報がなかったからずっと遠くに行ったのかと思っていたのですが、近くにいてくれてよかったです」
「デカイ奴らは同じ場所を歩いて同じ言葉を繰り替えずだけの生き物だから、聞いたって無駄だよ」
「デカイ奴ら・・・・・・」
前に兎羽さんが言っていたのを思い出しました。街に出れば分かると。
「デカイ奴らは毎日同じ時間に起きて、同じ仕事をして、家に帰って、同じことをするために食べて寝る。それを繰り返すだけ。話しかけたって、なんにも楽しくないよ。あいつら自身が、楽しくない人生送ってるんだから」
「それは、悲しいですね」
目を覚ましたばかりのわたしを思い出します。あのときは、なんのために生きているのか分からず、自分の痛みにすら鈍感になっていました。街を行く人たちが、あのときのわたしと同じような状態になっているのだとしたら、それは悲しいことです。
兎羽さんがゆっくりと顔をあげます。やはり、目が少し腫れていました。
「でも、幸せだから、怖くなることもあるよ」
「それは、今の幸せがいつかなくなってしまうんじゃないかという、不安ですか?」
「似てるようで、ううん。似てないかな。全然違う」
兎羽さんの肩は震えていました。唇は紫色になっていて、瞳は泥のように濁っています。
どうすれば兎羽さんの調子を取り戻せるのでしょうか。わたしも兎羽さんに、何かしてあげたい。これまでもらったものを返せたら、どれだけいいか。
そんなことを考えていたときでした。
突然兎羽さんがわたしの背中に手を回して、ギュっと抱きついてきました。
「もうすぐ、世界が終わるんだって」
「それって、本当の話なんですか? だって、小枝さんも、一ノ瀬さんも、そんなこと一言も言っていませんでした」
それは兎羽さんと出会ったあの日に聞かされたことでした。もうじき隕石が落ちてこの世界は終わる。けれど、兎羽さんは魔法使いだから、そんな隕石魔法で消し飛ばしちゃうなんてことも言っていました。
兎羽さんは魔法使いです。それは間違いありません。しかし。
「あたししか知らないんだ」
「テレビのニュースで聞いたのではないんですか?」
「テレビのニュースだって、デカイ奴らが企画して、デカイ奴らが演じてるだけのハリボテだよ。決まったことを垂れ流してるだけ、信じるとか信じないとか、そういうものの外に生きるあいつらに分かるわけがない」
どこか要領の得ない言い方は、まるでハッキリと言うことを避けているようにも見えました。それは先ほど兎羽さんが言った、小枝さんにも、わたしにも言う気はないということの現れなのでしょう。
「もうちょっとだけこうしててもいい?」
兎羽さんが、わたしの体を引き寄せます。これ以上引き寄せたところで、すでに密着したわたしの体は兎羽さんに埋もれていくだけです。
「コート脱いで」
「え、さ、寒いですよ」
「お願い」
変なお願いだな、と思いながらも、わたしがコートを脱ぐと、兎羽さんは再びわたしを抱き寄せました。
「怖いよ」
「兎羽さん・・・・・・」
掘り起こせ、掘り起こせ。頭の中をかきむしって、脳みそがぐちゃぐちゃになってもいいから、思い出せ。
自分をいくら叱咤しても、記憶を失う前のことは思い出せません。
どうして兎羽さんがこんなになってしまったのか。知りたい、知って、なんとかしてあげたい。
「クリスマスってさ、なんで黄色のイルミネーションなんだろうね」
「黄色だと、何か都合が悪いのですか?」
「嫌いなんだ、黄色って。なんか、危険だって言われてる気がして、赤い服着たサンタも嫌い。赤はさ、止まれって言われてるみたいじゃん」
「信号になぞらえているのですね。なるほど、そういう考え方はしたことがありませんでした」
「どれだけ不幸な人がいたとしても、クリスマスに外を歩く奴らって幸せそうにしてるから嫌い。人の不幸になんか興味がないみたいに、自分が幸せならそれでいい。盲目的に自分が幸せになってるだけ。クリスマスってそういう日。だから嫌い」
危険、止まれ。確かに、それは縁起のいい言葉ではありません。
「街のイルミネーションが全部青になってくれたらいいのに。そしたら、ちょっとでも『進め』って思えるでしょ」
「なるほど、青信号ですね」
「そうそう、『進む』じゃなくて『進め』なのがミソね」
「みそ?」
「肝心ってこと。ま、そんなの、魔法でもかけない限り不可能なんだけど。もうクリスマスは黄色って固定概念に縛られたデカイ奴らだけの世界じゃさ」
兎羽さんの口から零れる言葉は、いつものように空に舞い上がることはせず、ドロドロと地面に垂れていくものばかりです。
「分かりました。青ですね」
「え、ちょっと切奈?」
わたしは兎羽さんから離れると、ショッピングモールに立ち並んでいたホームセンターに入って、青のペンキを買ってきました。それを持ってクリスマスツリーの場所まで戻ると、兎羽さんが目を丸くして待っていました。
わたしは青いペンキを、イルミネーションに塗ったくりつけました。
「ほら、見てください兎羽さん。これで青ですよ」
ペンキはすでに乾き、固くなっていました。ひび割れた間から、微かに光が漏れています。
「青っていうか、光、遮っちゃってるじゃん」
「む、これじゃダメですか。青に濡れば青に光るというわけじゃないのですね」
想像を行動に移すと、思っていたこととは真逆のことが起こる。やはり、難しいですね。わたしには、自転車で空を飛んだ兎羽さんみたいに、物理法則を無視する魔法は使えないようです。
「でもありがと、びっくりしたよ、切奈がそんなことしてくれるの初めてだから」
「喜んでもらえましたか?」
「うん、切奈が会ったときよりもずっと悪い子になっててよかった。それ、勝手に塗ってよかったの? 怒られるよ絶対」
「・・・・・・はっ! たしかにそうですね、そこまで気が回りませんでした」
夢中になると周りが見えなくなるのは、わたしの悪い癖かもしれません。
そんなわたしを見て、兎羽さんが笑ってくれています。けれど、それが作り笑いであることは、わたしでも感じ取れました。
「兎羽さん」
どうしてこの人はこんなにも明るいのに、まるで今にも消えてしまいそうなほど儚いのでしょう。
「切奈・・・・・・?」
今度はわたしから抱きしめます。コート越しの、遮るものばかりの密着は、交わることのない心同士を肌で重ね合わせたようなもどかしさがあり、もっと近くで感じたいという欲求をより湧き上がらせてきます。
どうしてでしょう。
この感情がなんなのか、今のわたしには分かりません。
ただ、こうして意味もなく繋がっていたい。意味ばかりを探し続けてきたわたしにとって、不可解な行動であると言えました。
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