第6話 三人の絆

 家事代行の方が作ってくれた晩ご飯を食べ、お薬も飲み終わってベッドに横になっているとき、家のチャイムが鳴りました。


 家にはすでにわたしと明日花あすかさんしかいません。廊下から明日花さんの足音が聞こえます。慌てているわけではなく、むしろ向かっている途中で帰ってくれないかな。なんて思っていそうな、そんなゆっくりとした足音です。


 しばらくすると部屋の扉が開き、明日花さんが顔を覗かせました。


「なんか、お客さんだって。入っていいって言ったんだけど、肩震わせちゃって全然話しになんなかった。」


 明日花さんが眉間にシワを寄せたまま玄関の方を指さします。お客さん? 誰でしょう。もしかしたら、兎羽とわさんたちかもしれません。


 今日はずっと寝ていたので、歩く体力くらいはありました。ベッドから降りて、玄関に向かいます。


「大丈夫なん?」

「はい、今日は少しだけ調子が良いみたいで。心配してくれて、ありがとうございます」


 近くで見ると明日花さんは髪色やメイクこそ派手ですが、瞳は無垢な丸い形をしていて幼さを感じさせます。


「行っちゃダメって言われてるんでしょ。なんで行くの?」

「えっと、すみません。行きたいからです」


 罪悪感はありました。一ノ瀬さんにあれだけ釘を刺されていたのに、わたしはまた外に出ようとしています。このことを知ったら一ノ瀬さんは悲しむはずなのに。


 ですが今は、わたしのしたいことをしたいのです。それが終わったら、一ノ瀬さんに恩返しをしたい。そんな時間がわたしとこの世界に残されているかは分かりませんが。


「ふーん」


 話は終わったのか、曖昧な相槌を残して明日花さんが二階に上がっていきました。


 玄関へ向かうと、小枝こえださんが一人、ドアから顔を半分だけ覗かせた状態でぷるぷると震えていました。


 わたしの顔を見ると、小枝さんはホッとしたような顔をしてぺこりとお辞儀をします。なんだか小枝さんは、小動物みたいです。


「小枝さん、こんな夜にどうかされましたか?」

「あ、あのね切奈ちゃんっ。えっと、さっき兎羽ちゃんのお母さんから電話があったんだけど、実は兎羽ちゃんがまだ家に帰っていないみたいで。ここに来てるのかもって思ったんだけど」

「ここには来ていませんよ。兎羽さんは何か言っていなかったのですか? たとえばまた夜中の学校に忍び込んでみたりとか」


 音楽室から持ち出した楽器をこっそり返すために夜中学校に忍び込んでくる、と兎羽さんが意気込んでいたこときもありました。兎羽さんは行動力がある人なので、今回もどこかへ意気揚々と赴いたのかと思ったのですが、小枝さんは首を横に振ります。


「兎羽ちゃん、どこかへ行くときは必ず私のこと誘いにくるの。それでうちのお母さんに追い払われるまでがいつもの光景なんだけど、今日は来なかったから。兎羽ちゃん、たまにふらっと一人で消えるときがあるんだけど、そういうときって基本、良くないときなの」

「良くない、ですか?」

「うん、兎羽ちゃん。いつもはあんな風に振る舞ってるけど、時々すっごく悲しそうな顔をするの。最初は気のせいかもって思ってたけど、一回学校でその顔をしたときがあって。それからすぐにどっか消えちゃって、授業が始まっても戻ってこなかったから先生に言われて私が探しに行ったの。そしたらね、誰もいない屋上にいたの。私が話しかけたらすぐに立ち上がって『バレちゃったか』なんて言って笑ってけど、私にはあれが、作り笑いにしか見えなかったんだ」


 そんなことがあったのですね。いつもの兎羽さんからは、たしかに想像も付かないことです。


「だから今回もすごく心配なの。もしかしたらあのときみたいに、どこかに行っちゃたのかもしれない。そ、それでっ、切奈ちゃんにも探してほしいなって思ったんだけど」


 小枝さんの視線が、パジャマ姿のわたしに止まります。


「分かりました。わたしはどこを探せばいいですか? 小枝さんと別の方角から、追い込み漁のように探せば兎羽さんを見逃すことはないと思うのですが」

「あっ、そ、それなんだけどね。私もう門限過ぎちゃってて、今もこっそり家を抜け出して来ちゃってるから。お母さんが私の部屋を覗く前に帰らなくちゃなの。だから切奈ちゃん・・・・・・私の代わりに兎羽ちゃんを探してほしいの」

「そういうことだったのですね。大丈夫です。わたしは門限もありませんし、唯一家にいる明日花さんも、わたしが帰ってこなくてもあまり気にはしないと思います」

「明日花さんってあの怖い人だよね・・・・・・そうなんだ、優しい人なの?」

「どうでしょう。実はあまり話したことがなくて。でも、わたしを心配してというよりは、わたしに興味がないんだと思います。だから平気です」


 わたしはハンガーにかけてあった一ノ瀬さんのコートを借りて外に出ます。


 外は変わらずの雪で、歩くたびにギュッギュッと、質のいい雪の音が鳴ります。街の方には黄色のイルミネーションが煌めいていて、まるで夜空に浮かぶ星のようでした。


「私ってほんとう、こういうとき役に立たないんだ。門限なんてなければいいのに」

「怒られてもいいんじゃないですか? 怒られる時間と楽しい時間を天秤にかけたら、きっと楽しい時間の方に傾くと思いますよ」

「でも、うちのお母さん怒ると怖いし、すごく悲しそうな顔をするの。塾とか習い事とか、お母さんがわたしのためにさせてくれてるのは分かるから、そういう顔をさせちゃうと胸が痛くって」

「小枝さんは優しいのですね」

「そ、そんなんじゃないよ」


 雪を踏んで歩く速度は、小枝さんのほうが速いです。前に進みたいと願うわたしは、意思と反して、中々順調には進めません。


「前に楽器で陽動してくれたときがあったじゃないですか。あのときわたしに会いに行こうって提案してくれたのは小枝さんだって、兎羽さんから聞きました。わたしはあのとき、小枝さんに心配してもらえて嬉しかったです」

「心配だなんて、私はただ、カッコいい兎羽ちゃんを見ていたかっただけだよ」


 後ろに手を組んだ小枝さんは、雪道を慣れたように歩いて行きます。


「兎羽ちゃんってすっごくカッコいいでしょ? なんにでも突っ走って、最初は無謀だって思うんだけど、なんだかんだ成功させちゃう。そんな兎羽ちゃんを見てるとね、不思議な気持ちになるの。胸がドキドキして、うわーって叫びたくなっちゃう。じ、実際には叫ばないよっ!? でも、それくらい、カッコいい兎羽ちゃんを見てるのが好きなの。だから私が兎羽ちゃんをけしかけたのは優しさじゃなくて、ただの自己満足」


 終わりにつれて、自虐的な言い方になっていった小枝さんは、まるで私から逃げるように歩幅を広くしていきます。


「兎羽ちゃんの頬に傷の跡があるの、わかる?」

「はい、薄くですが、切り傷のようなものが残っていましたね」


 出会ったときから気になっていました。まだ消えていないのを考えると、あれは最近できた傷ではなく、もっと昔の、いわゆる古傷というものなのかもしれません。


「あの傷はね、私のせいで出来た傷なの。私前まで学校でイジめられてたんだけど、そんな私を助けるために兎羽ちゃん、いきなり教室に殴り込んできたんだ。同年代の男子にも勝っちゃって、今思えばすごかったな。でもね、取っ組み合いの最中に相手の子に引っかかれちゃったみたいで、そのときの傷が、ああやって今も残ってるの」「そうだったのですね」

 

 なんだか、兎羽さんらしいエピソードだなと思いました。


「私、あの傷を見るたびに胸がギュッと苦しくなるの。私がイジメっ子なんかに負けないくらい強い子だったらあんな傷できてなかったのにって」

「イジメに強いも弱いも関係ないのではないですか? 集団による性格の凶暴性にはきちんと人間的心理の科学的根拠があります。未成熟な精神から成る防衛本能に過ぎませんので、小枝さんが気落ちすることはないと思います」

「えっと、そう、なんだ?」


 小枝さんがポカンと口を開けて、わたしを見ています。


「びっくりした、急にロボットさんみたいに難しいこと言い始めるから」

「すみません、もう少し砕いて話しをするべきでしたね」


 たしかに今のは、答えを出し急ぎたのかもしれません。


「気にしないでって言ってくれたのは分かったから、ありがとうっ、切奈ちゃん。でもね、私、このままじゃダメだなって思ってるの」

「というと?」

「実はね、イジメられてたとき、もう全部がイヤになって、死んじゃおうかなって思うこともあったの。もしあのままイジメられてたら、私は本当に自分で自分を殺しちゃってたと思う。でも、兎羽ちゃんが助けてくれたからそんなことしちゃいけないって思った。兎羽ちゃんが顔に傷を作ってまで救ってくれたこの命は絶対に無駄にしちゃいけないって。だからね、私もいつか、私が救われたみたいに、兎羽ちゃんの力になれたらなって・・・・・・えへへ、思ってるだけで、まだまだなんだけどっ、門限も破れないし・・・・・・でも、大人になったら、きっと」


 小枝さんは恥ずかしそうに言いますが、わたしはとても感銘を受けました。


「素敵なことだと思います。頑張ってください、小枝さん」

「う、うんっ」


 こうして小枝さんと二人きりで話したのは、そういえば初めてかもしれません。兎羽さんが一緒にいるときより会話のテンポは落ちますが、その代わりとても居心地のよい落ち着きがこの空間にはありました。


 小枝さんも同じことを思ってくれているのか、少し砕けた口調になり、声色も明るくなっています。


「それとね、私。切奈ちゃんにちょっと嫉妬してるの」

「嫉妬、ですか?」

「うん。兎羽ちゃんね、私を呼ぶときはお母さんに追い払われたらそれで退散するのに、切奈ちゃんのときは、切奈ちゃんを連れ出すためならなんでもするって感じだから、そこまでされる切奈ちゃんは羨ましいなって、ずっと思ってた。な、なんてねっ、この通り私ってば、嫉妬深い嫌な子だから」


 そんな風に思われていただなんて、考えもしませんでした。


「嫉妬って悪いことじゃないと思います。嫉妬できるほど特別で、強い感情を抱けるって必死に生きている証拠じゃないですか。それにわたしだって、小枝さんに嫉妬するときはありますよ」

「そ、そうなの!? わ、私なんか嫉妬されるような人間じゃないよっ」

「兎羽さんといつも一緒にいられて、いいなって、羨んでいます。わたしは体が弱いせいで遊んだ次の日は寝込んでしまうので、一度、お泊まり会なんかもしてみたいです。みんなでお菓子やジュースを飲み食いしながら、トランプをしたり、好きな人について話したりして、そういう、幸せな時間を、当たり前に過ごしてみたいです」


 こんな体じゃなければ、そう、何度も思いました。小枝さんどころか、わたしはこの目に映る人すべてに嫉妬していました。妬んだところで仕方がない。そうやって諦めていたのですが、小枝さんの話を聞いて、妬んだっていいのかもしれないと思いました。


 妬むものこそ、その人にとっての目標なんだと思います。


 小枝さんにとっての目標は、兎羽さん。小枝さんは心の底では、兎羽さんみたいになりたいと思っているはずです。わたしも、目に映るすべての人のように、一人の人間として、当たり前の生活がしてみたい。それが、わたしにとっての目標なのです。


 嫉妬すればするほど、わたしはもっと必死になれる気がします。


 小枝さんはわたしの話を聞くと、悲しそうな顔をしました。ですがすぐに眉をつり上げて、わたしの手を握ります。


「なら、今度切奈ちゃんのおうちでお泊まり会しようよっ! お菓子とジュースは私が持って行くし、トランプとか、ゲームとかは雪見ちゃんが持ってきてくれるよ。体の具合が悪くなりそうだったら、ベッドに三人で寝てさっ」

「三人も入りませんよ」

「でも、ギューギューのほうが楽しいよっ。もっとそっち寄って~なんて言い合いながら、押し合いっこして。そうやってるうちに寝ちゃって、気付いたら朝になってるの! そしたら朝ご飯を食べながら、お昼は何しようなんて考えて。ね? 想像するだけで絶対楽しいよっ」

「小枝さん・・・・・・」


 そう提案してくれる小枝さんには、どこか兎羽さんの面影がありました。


 この人もきっと、わたしと同じで、兎羽さんに変えられた人の一人なのでしょう。そして、小枝さんは限りなく、兎羽さんに近づいている。いつか背中を追うだけじゃなくなるんだろうなというのは、真っ直ぐな瞳から伝わってきました。


「兎羽ちゃんを見つけたら、是非その話をしてみて。兎羽ちゃん、お泊まりとか大好きだからすぐに飛びつくと思うよっ」

「そうですね、ありがとうございます。その話をするために、頑張って探してみます」


 小枝さんのおかげで、断然やる気がでてきました。


「ううん、こちらこそありがとうっ。なんだか、切奈ちゃんに話したら気が楽になった。私、嫉妬しててもいいんだよね」

「はい、かかってこいです」


 わたしと兎羽さん、それから小枝さんは、大きな三角形で出来ているようでした。誰かが誰かに関与すれば、その人が誰かの背中を押す。かと思えばその人が手を引いて、気付けば誰かが前を向いている。


 一人でも欠けてしまえば。きっとわたしたちは立ち止まってしまう。


 その中に、わたしが含まれていることが、とても嬉しかったです。


「でも、私たちがこういう話してるって兎羽ちゃんが知ったら、今度は兎羽ちゃんが嫉妬しちゃうかもね。兎羽ちゃんとはあんまり、こういうかしこまった話しないから」

「そうですね。ならこれは、わたしたち二人だけの秘密ということで」


 小枝さんと指切りをして、笑い合います。これから先、小枝さんとはこうして何度も腹黒い話をして、互いに慰め合うのでしょう。


 兎羽さんはもちろんですが、小枝さんと出会えたことも、私にとって、とても幸せなことでした。

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