第5話 トライ&バグ
タブレットを弄っていると、時々画面がフリーズして一切の操作を受け付けなくなることがあります。それはバグというものなんだと、
明日花さんは仕事で人工知能に関する研究をしているらしく、それもあって機械に詳しいのだそうです。人工知能と言われてもわたしにはピンときませんでしたが、ロクでもないものだよ、と明日花さんが呆れたように言っていたのを覚えています。
最近明日花さんとは時々話すようになったのですが、そのきっかけのせいで、わたしは素直に喜べずにいました。
一ノ
一ノ瀬さんは午前はわたしの看病に付きっきりで、午後の仕事から帰ってきたらすぐにお薬を持ってきて、毎日打たなくてはならない点滴を打ってくれました。お薬はともかく、点滴はチューブを刺す場所や、点滴落下速度の調整などをしっかりしないと効力が失われるどころか体に悪影響を及ぼすので、指導を受けていないわたしではできません。それを一ノ瀬さんは、欠かさず慎重な手つきで行ってくれました。
それからお風呂に入る体力がないときは体を拭いてもらったりもしました。それに加え家事も自分でして、わたしの朝食を作るために早く起きる日々。
思えば、一ノ瀬さんには自分の時間というものがなかったのではないでしょうか。過労と睡眠不足というものには、厭というほど身に覚えがありました。
『お薬はもう飲んだ? もし忘れちゃっても、二錠を一度に飲んだりしたらだめだからね? 点滴は引き続き最中にお願いしてちょうだい』
今もこうして、タブレットの向こうから一ノ瀬さんが話しかけてくれています。これをビデオ通話というのだそうです。不思議なものです。遠くの人と、こうして顔を見て話せるなんて。
『・・・・・・
「あの、一ノ瀬さん」
『どうしたの?』
一ノ瀬さんはどうしてわたしにここまでしてくれるのでしょう。思い返してみれば、出会いは室外機のある場所でした。拾っていただいたときは、一ノ瀬さんという女性が優しいからなのだと思っていましたが、今は違います。ここまでしてもらえる理由を、わたしは知りません。
一ノ瀬さんは出会った頃に比べるとだいぶ痩せてしまいました。目の下にはクマがあって、顔色はみるからに悪いのに、わたしのために無理な笑顔を作っています。
わたしは一ノ瀬さんに感謝しています。一ノ瀬さんはわたしにとって大切な人です。だから、これ以上、あまり無理はしてほしくない。
「もう、わたしのことは気にしないでください」
大丈夫ですから。そう伝えようとしたのですが。タブレットの液晶に、取り乱す一ノ瀬さんの姿が映し出されて、続きを声に出せませんでした。
『どうして!? 切奈ちゃんは私の言うことを聞いていれば絶対に長生きできるのよ!? 最近の医療技術なら完治だって夢じゃない! 外国の先生にもね、電話して連絡を取ってみたの。もしかしたら力になれるかもって、今新薬の研究もしてるから切奈ちゃんの病気だって治るかもしれないって言ってた! 治る! 治るのよ! 最高の医療技術と、資金さえあれば! だからお願い切奈ちゃん、諦めないで!』
「一ノ瀬さん・・・・・・」
ここ最近、お薬の量が減りました。もしかしたら回復に向かっているのかもしれないと思っていたときもありましたが、反比例していくように増えていく痛み止めが、その僅かな希望をもみ消していきます。
『分かった! そんなことを言うのはあの百瀬さんの影響ね!? どうせ変なことを吹き込まれたんでしょう! いい!? あの子になんか付いていっちゃだめ! 切奈ちゃんはね! おか――』
一ノ瀬さんが半ば叫んでいる途中で咳き込み、心配した看護師さんが駆けつけてきたところでビデオ通話が終わりました。
一ノ瀬さんは最後に、何を言いかけたのでしょう。
暗くなったタブレットの液晶に映るわたしも、随分と痩せこけて見えます。
『おか』
タブレットが、一ノ瀬さんの音声を拾い上げて、スピーカーから流しています。もう通話は終わったのに、どうしたのでしょう。
『おか』
ああ、思い出しました。これがバグというものなのですね。
機械には時々バグが発生することがあって、そうなると外から何をしても、同じ動きを繰り返したりする。人工知能の調整にもそれで手間取ることがあるのだと明日花さんがぼやいていました。
『おか』
『おか』
「どうしましょう、バグです」
覚えたての言葉は使ってみたくなります。それはさておき、この状況、どうしたものでしょう。
『おか』
そういえば、明日花さんが言っていました。
バグが発生してしまったら、電源ごと落としてしまうのが一番手っ取り早いのだそうです。
サイドに付いているボタンを長押しすると、タブレットの電源が落ちて、まるで世界が一瞬で消滅するかのように、真っ黒になりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます