第4話 小さな魔法
「いい?
「・・・・・・はい、すみませんでした」
あのあと家に帰ったわたしは一ノ
兎羽さんたちと遊んでいたことを伝えると一ノ瀬さんは納得したような表情をして、もう付いていってはいけないと釘を刺してきました。一ノ瀬さんは、兎羽さんがわたしを誘ったと思っているようですが、外に出たのは誰でもない、わたしの意思です。
それから一ノ瀬さんは、もう兎羽さんが来ないようにと窓に鉄格子を付けたあと、窓を開けられないように外から木の板を取り付けました。部屋の中は一層暗くなり、以前より自由が効かなくなりました。
わたしの身体の調子は悪化の道を辿る一方で、薬だけではなく点滴も必要となるときがありました。点滴をする前はご飯を抜かなくちゃいけないですし、点滴をしたあとは、押し潰すような強引な眠気が襲ってきて、次に目を覚ましたときにはもう夜になっています。
それから夜ご飯を食べてお風呂に入るとまた眠気がやってきて、わたしは布団に入って目を瞑ります。
テレビを見たり、本を読んだりする時間もなくなりました。暇がない、というわけではありません。ただ、わたしの体が付いていかないのです。襲いかかってくる眠気というのは、そういった体の、SOSだと一ノ瀬さんは言いました。
「切奈ちゃん、落ち着いて聞いてね? 切奈ちゃんの体には悪い病気がいて、今はそれと戦っている時期なの。とっても辛いかもしれないけど、いつか絶対元通りになるから。だからそれまで頑張りましょ? 私も一緒に頑張るから」
あれから二週間が経ちました。兎羽さんたちとは、当然会っていません。
自分でも、不機嫌になっているのが分かりました。ついツンとした態度を取っていると、一ノ瀬さんが慌ててわたしの布団までやってきて、慰めてくれます。
「あとどれくらいなんですか」
「・・・・・・1年だって。でも、そんなのただの予想だし、人間の体ってね? なにが起きるか分からないのよ。しっかりとした治療と処置を根気強く続けていれば、きっとよくなるから」
ほとんど、カマをかけたようなものでした。
どれくらいって、もう、切奈ちゃん。何の話?
そう言ってくれたら、どれだけよかったことでしょう。
一ノ瀬さんがうどんを置いて部屋を出て行きました。最近分かったのですが、わたしがうどんを好きなのは味が好みだからではなく、ただ、喉を通りやすいからなのです。
薬を飲むと全身を蝕んでいた痛みがスッとなくなりますし、一週間ずっと寝っぱなしでいるとちょっと体力が回復します。
けれど、それだけです。
わたしはただ、生きるために生きています。
あの日、兎羽さんたちと見たような景色はこの部屋じゃ二度と見ることはできない。それは記憶のないこんなわたしでも、確信していました。
体が軽くなったって、心が重くなったら意味がない。体の痛みは我慢できるけど、心の痛みは我慢できない。なら、わたしはこの点滴のチューブを外してでも、外に出たい。
ガシャーーーーーーーーーン!!!
とんでもない音が庭先から鳴ったのは、点滴をはじめて一ヶ月経った頃でした。
わたしの様子を見ていた一ノ瀬さんは慌てて音のした方へ走っていきます。わたしも驚いてしまい、一ノ瀬さんから受け取ったコップを持ったまま固まってしまいました。
その間にも、ガシャーーーーーーーーーン!!! という音は鳴り続けています。ガラスが割れる音にも似ていますが、どこか鐘の音にも聞こえます。
すると廊下の向こうから足音が聞こえてきて、一ノ瀬さんが戻ってきたのかと顔を出すと、わたしは信じられない光景を目の当たりにしました。
「ほら、いまのうち」
なんと部屋に入ってきたのは一ノ瀬さんではなく、兎羽さんだったのです。
「今ならあのおばさんいないから、早く早く!」
わたしはまだ状況を掴めていませんでしたが、兎羽さんと再び会うことができた。それが嬉しくて、腕に付いたチューブを強引に外すと、パジャマ姿のまま兎羽さんに付いていきます。
「今、
兎羽さんは真剣な表情をしていましたが、スリルを楽しんでいるのか、口角が上を向いていました。
「っと」
廊下を小走りで進んでいると、ちょうど階段から降りてきた人影とバッタリ会ってしまいました。
金色の髪が、流れ星のように煌めいていて、長いまつ毛は可愛らしくカールしています。頬はやや赤く、それがメイクというものであることは、わたしでも分かります。そして、猫のような鋭い目つきが、とても印象的でした。
明日花さんの方も、わたしが家に住んでいるということは知っているのか、驚きというよりも観察するような視線でこちらをジッと見てきます。そのあと、兎羽さんのことも怪訝な表情で見ていました。
兎羽さんも驚いたようで脚を止めましたが、明日花さんが何もしてこないということを察すると、手招きをしながら先へ進みます。
わたしも何か言おうとしたのですが、言葉が思いつかず、つい慌てて口走ってしまいました。
「え、えっと。綺麗な髪色ですね」
だから、なんなのでしょう。失言だったことはわたしでも分かります。明日花さんは返事をせず、リビングに消えていってしまいました。
家の敷地内を出て十メートルほど進むと兎羽さんは走るのをやめ、突然笑い出しました。
「あっはははは! やっばー! めちゃくちゃ緊張したー!」
それはわたしも同じでした。見つかったらどうしようと思いながらも、やばいやめておけと必死に訴えかける心臓の鼓動に抗うのが楽しくって仕方がありません。
「本当ですよ、もう! それになんなんですか? さっきのすごい音は」
「あれはシンバルだよ。学校の音楽室から持ってきたの。小枝には思いっきり叩きまくれって言ったから相当大きい音鳴ったよ。あ、ほら今も」
遠くから聞こえてくるシンバルの音が合図となって、わたしと兎羽さんは笑います。
シャンシャン、ガチャンガチャン、と乱暴な音が鳴る中、兎羽さんと一緒に歩く道路はまるでアイドルが歩くステージのようにキラキラしていました。自然と足取りが軽くなって、わたしはスキップを始めます。
「あ、音が止んだ。小枝ついに捕まっちゃったかな。今度はあたしが陽動やるから、切奈はここで待ってて」
「いえ、わたしにも陽動をやらせてください。一緒に小枝さんを救出しましょう!」
「切奈・・・・・・やっぱ見込んだとおりだね! よし、じゃあ一緒に大太鼓を叩こう! ほら、塀の前に置いてあるでしょ。あれも音楽室から運んできたの」
兎羽さんの言うとおり、家を囲う塀の前に、歩道にあるにはあまりに不自然な形で大太鼓が置かれていました。バチを渡されると、わたしは思い切り振りかぶります。
叩き方も知りませんし、そもそもこれは、演奏ではなく、小枝さんを救出するための陽動作戦なのです。けれど、真剣に、失敗しないように。そう気を張ると同時に、心の奥に沸々としたものが生まれ始めているのが分かりました。これはきっと、悪巧みというのだと思います。そしてそれに気付くと、自然とわたしの口角もあがっていきます。
ああ、なるほど。さっきの兎羽さんの表情は、これだったのですね。
「いくぞー! せーの!」
兎羽さんが合図をすると、わたしは大太鼓を思いきりバチで叩きました。最初は破れてしまうかと思って手加減してしまいましたが、大丈夫だと分かると、どんどん叩く強さに力がこもっていきます。
雪の降る静かな街に、不釣り合いな轟音が響き渡ります。
一ノ瀬さんが一目散に家の門をくぐって、曲がり角にいたわたしたちを見つけます。
「切奈ちゃん!? 何してるの、って、あなた、百瀬さんね!? うちの子になんてことさせてるの! 切奈ちゃん戻っておいで! その子に脅されてやっているんでしょう!?」
大太鼓を叩くわたしに気付いた一ノ瀬さんがこちらへ走ってきます。
「切奈! もうちょい引きつけて! ほら小枝、ちゃんと掴まって!」
塀によじ登った兎羽さんが、小枝さんを引っ張り上げています。小枝さんは、おそらく一ノ瀬さんに叱られたのでしょう。目に涙を浮かべたまま必死に塀をよじ登ろうとしています。
「切奈ちゃんはね! 病気なの! その子たちと同じようには遊べないの! 普通じゃないのよ! しっかり管理して、治療して、優しくしてあげないとダメなの!」
大太鼓の音の中で聞こえる。一ノ瀬さんの叫び。
一ノ瀬さんはわたしを本当に大事にしてくれています。わたしの体調が悪い日はずっと寄り添っていてくれるし、ここが痛いというとすぐにお医者さんを連れてきてくれます。わたしの好きな食べ物も覚えていてくれて、わたしが本を読まないことに気付くと、もう本を渡してこなくなりました。
優しい人です。一ノ瀬さんは、とても大切な人です。恩を感じています。
でも、違うんです。
「よし! いいよ切奈!」
小枝さんを背負った兎羽さんが、曲がり角の向こうまで駆けていきます。わたしはバチを転がっていかないように地面に置いてから、兎羽さんの後を追いました。
「切奈ちゃん、待って! 切奈ちゃん!」
「切奈、早く乗って!」
角を曲がると、あの日、空を飛んだ自転車が置いてありました。すでに二人が定位置に着いていたので、わたしも、わたしだけの居場所に乗ります。
わたしがハンドルを握ると、兎羽さんがペダルに脚をかけました。
「このままじゃ! 死んじゃうのよ!」
一ノ瀬さんの声を振り切るように、自転車が発車します。一ノ瀬さんは全力疾走で追いかけてきます。ものすごい速さです。
たいして三人乗りのわたしたちは、重力に逆らいながら、じりじりと進んでいくばかりです。
このままじゃ追いつかれる。とはわたしは思いませんでした。
それでも、兎羽さんなら。
どんな絶対的不利な状況でも、兎羽さんならなんとかしてくれる。
だって兎羽さんは、わたしたちを空へ連れて行ってくれた魔法使いなんですから。
そう思ったのと同時、自転車が加速して、三人乗っているとは思えないほどのスピードで一ノ瀬さんを突き放していきました。
「終わった・・・・・・いろんな人に見られた、塾で一緒の子にも見られた。他人の家の庭でシンバル鳴らしてたって絶対お母さんにも知られる・・・・・・帰ったら絶対怒られる・・・・・・」
「そう落ち込むなって、小枝のシンバル、いい音鳴ってたよ。最後のほうのやけくそになってバンバン叩いてる小枝めっちゃ面白かったし。あ、そうだ。大太鼓とかどうしよ。返すの明日でいっか」
「そうだった・・・・・・楽器も学校から許可も得ずに持ってきたんだった・・・・・・。明日先生に呼ばれてお母さんも呼ばれて、全校生徒の前で公開処刑されながら退学させられるんだ・・・・・・」
「あはは! そうなったらあたしが小枝の新しい門出を祝福してあげるから」
「兎羽ちゃんも共犯なんだからねっ!?」
「でもおかげで切奈を連れ出すことできたんだからいいじゃん。ねえ切奈、この陽動作戦、小枝が提案したんだよ」
「え、そうなのですか?」
それは意外です。小枝さんはいつも、振り回されてばかりだと思っていたのですが。
「人聞きの悪い言い方しないでよっ、あれ以来切奈ちゃんと遊べてなかったから、今度一緒に会いに行こうよって兎羽ちゃんに言っただけで、音楽室から楽器持ち出して切奈ちゃんの家の前で鳴らしておびき出すなんて言い出したのは兎羽ちゃんの方なんだからっ!」
「だそうですが、切奈の判定は?」
「お二人ともの、おかげです」
「だって、小枝」
「うぅ・・・・・・共犯者になってるぅ」
小枝さんが提案してくれたから、兎羽さんが会いに来てくれた。兎羽さんの行動に多少振り回されることはあったでしょうが、それでもお二人は、わたしに会いに来てくれました。
会いたいなんて一言も言っていない。けれど、わたしはどうしようもないほどに、お二人に会いたかったのです。
「さて、今日は何しよっか」
「あれっ!? まだ決まってなかったんだ!?」
「そんなのみんな集まってからでいいじゃん? とりあえず裏山から今日理科で習ったペットボトルロケットを街にぶっ放しながら考えよう。切奈もそれでいい?」
「とりあえずの片手間ですることじゃないと思うよそれはっ」
突っ込む小枝さんも、決して兎羽さんの言うことを否定したりはしません。きっと彼女も、兎羽さんに付いていけば楽しいことが待っていると信じているのでしょう。
「はい、もちろんです」
わたしも信じています。
降りしきる雪の中を自転車に乗って風のように突っ切っていく、この魔法使いさんのことを。
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