代替わり

美しい幼馴染と、ずっとふたりで居られると思っていた

京二には美しい幼馴染がいた。京二の隣家で京二より一年だけ先に産まれ、共に学び育ってきた、この世の何よりも美しい女だった。女は美しいだけではなく賢くて、賢いだけではなく淑やかで、淑やかなだけではなく愛らしかった。この女より優れている女などいないと思っていた。女の名前はスエと云った。スエはロクに算盤も弾けない京二にパチパチと弾いて教え、ロクに字を覚えようとしない京二に童謡をもって言葉を教えた。京二が人並に凡庸な生き方をしていけるのはスエのおかげであった。京二はきっとこの幼馴染と育ったこの村で、一生共にいることになると、ただ漠然と考えていた。京二がスエを突き放すことなど考えられず、スエもまた京二を見捨てないという自信があった。京二はそんな人間だから、これ以上何か努力をしようとかいう気持ちもなかった。このまま凡庸に生きていこうと思っていた。

それを後悔することになったのは、スエの嫁入りが決まったことによる。京二は知らせを聞いてただぼんやりとした。嫁入りという言葉を知らないフリをした。相手はこの村随一の名士だと聞いた。京二の知るその男は、年寄りで、ケチ臭くて、笑い方がいやらしい男だった。前にも妻がいたが、歳を食うと捨てられたように実家に帰っていることを京二は知っていた。そんな男にスエが嫁ぐことが許せなかった。スエはただ、微笑んで、しかしその目の奥に光がないのに京二だけが気がついた。京二はスエに怒鳴った。お前が悪い。何を笑っている。お前なぞ嫌いだ。この、──何を言ったか。云ってはいけないことを云った気がする。その時の京二には怒りだけが宿り、ただ目からは涙が溢れていた。スエが、スエが美しいのが悪い。スエが美しく、賢く、愛らしい女だからあんな老人に目をつけられるのだ。あの男は醜女を娶ることはなかった。つまりスエのせいであの男はスエを娶るのだ。スエのせいで、俺はこんなにも気持ち悪い思いをしている。スエのせいで。スエのせいで。

スエが謝るまでは口を利かぬと決めて、結局、嫁入りの日までスエと話すことは無かった。スエはあんな男の傍に立っても美しかった。京二は息が詰まる思いをして、思いがけず、足元の石を男に投げつけた。投げたあとで、自分が何をしたのかを胸に問うた。答えが出る前に、名士に媚びる大人たちに押し倒されて、地に伏せることになった。ただただ息がしづらくて、爪の先が土をえぐった。

京二が折檻から解放されたのは、三日後のことだった。スエはもう男の屋敷に入って、滅多に見ることはなかった。屋敷を睨め付けて、手のひらに爪を立てたが、爪の間に詰まった土が柔らかくて、京二を現実に戻すほどの痛みはなかった。

次にスエを見たとき、スエの腹は膨らんでいた。腹をさするスエを見た京二は、気づくと夜中の道中でぼんやりと立っていた。口は力無く開いて乾き、肩が沈んで背は丸まり、拳を握るほどの力もなかった。虫や蛙が鳴く音だけが現実的だった。京二はふと思い立った。スエを取り返すだけの力をつけよう、と。

名士にまで成り上がろうと思った訳では無い。背後をとれるだけの膂力か、スエを買い取れるだけの金か、騙し取れるだけの知恵か、そのどれかさえ身につければ京二の勝ちだと思った。京二はスエの光を失った微笑みを思い出して、舌を打った。


京二は隣に立つ美しい女を眺めて、昔を想った。スエは三人目の子を産んだ後、肥立ちが悪くてあっさり死んだ。京二はそのときただがむしゃらで、その知らせを聞いたのは男が馬車に轢かれて死んだ後であった。ふたりともが呆気なく川を渡っていって、京二は、またぼんやりとした。結果的に成り上がることになった京二は、そうしてぼんやりと日々を過ごし、壮年となった頃に、村一番の美しい女を娶ることになった。京二が変わっても、金持ちに媚びる大人たちは変わらなかった。女に豪奢な着物を着せ、さて屋敷で披露だというところで、京二の背中に何かが投げられた。振り向くと、押さえつけられる坊主頭の少年が、恨めしそうに京二を見ていた。周りの大人が歪んだ笑顔で、冷や汗をかきながら謝っている。少年の指は土を抉って、京二と、妻になる女を睨め付けていた。京二の背に、ぞわ、と這うものがあった。京二はわざと女を引き寄せて、汚れきった笑みを浮かべた。

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