第80話 転化
◇ 【アーサー視点】
——5月7日 9時 国境中央。
国境付近にある広大な平原、そこに停戦交渉の場が設けられた。
建物はなく、中央に置かれた木の机といくつかの椅子だけが並べられていた。
魔族軍、連合軍と共にその場から100メートルほど離れた位置で待機している。
タクミ達は魔族軍の先頭、停戦交渉の場から一番近くにいた。
僕が王国軍を掌握した今、王国軍が彼らの味方になることはあっても敵になることはない。
それでも何が起きるか予断を許さない状況だ。
タクミ達が近くにいてくれるのは心強い。
連合軍は、停戦交渉の場に近い順からメルキド王国軍、冒険者ギルド、エルフ軍の三層で並ぶ。
エルドールとレゴラスは、本部ではなくそれぞれの軍に戻り指揮をとっている。
ギブソンとメアリーは、王国軍の中央で待機中だ。
本当なら、僕の近くにいてもらいたかった。
敵である冒険者ギルドやエルフ軍から遠ざけたかった。
しかし、ギブソンから反対されてしまい、妥協案として中央で待機になっている。
彼は僕と魔族軍の関係を知らない。
だから、メアリーを敵である魔族から遠ざけるよう意見するのは当然だろう。
——双方の準備が出来たので、僕とカルラ王女が座る。
それに続き文官達が座った。あちらの文官はゲイルだった。
文官なのだから、せめて紙とペンぐらい持ってきて欲しかったが……
「さてと、そろそろ始めましょう——」
そのとき、カルラ王女の声を遮るように、拡声されたエルドールの声が辺りに響く。
「くっくくく。私はエルドール。連合軍の総大将をやっているわ」
声のする方を見ると、空にいくつかの球体が浮いていた。
あれはスピーカーの役割をする魔道具なのか?
「魔族のみなさん。今、王女の目の前にいる男はアーサーと言って、あなた方の同胞を殺した男よ。あなた達バカよね。やっと逃げた王女をこうも簡単に処刑人の前に連れ出すなんて……」
あの女狐……何を考えている。
「さあ、アーサー将軍。計画通り魔族の目の前で王女を殺してしまいなさい」
こんな戯れ言がエルドールの策なのか?
魔族がそんな嘘に騙されると思っているとは、浅はかすぎる。
現にカルラ王女やゲイルは無反応だ。
——そのとき魔族軍の方から大きな叫び声が聞こえた。
「お嬢ォォォ! 逃げるんだァァァ! このジイが助けるぞォォォ!」
なんだあの巨体の男は。……魔物?
つられて周りの魔族も、どうすればいいのかとオロオロとした後、巨体の後を追うように走り出した。
まさか……こんな手にひっかかるのか!?
カルラ王女とゲイルが慌てて席を立ち、止めに行こうとしたときだった。
ここへ向かってくる魔族達の前に1人の女の子が突如現れた。
あれは……日本の……巫女姿? ……尻尾が生えている?
わ、わけがわからない。
このままだとあの子があぶない。助けに行かないと。
——その瞬間、濃厚な死の匂いがした。
視覚化できそうなまでの粘着性のある死。空気を吸うことさえ身体が拒絶する。モワッとしたものが身体を包み汗が噴き出す。
なんだこれは……まさかあの子の殺気なのか?
突進していた魔族達は、少女から少し離れた位置で足を止めガタガタと震えていた。
その魔族達のもとにタクミとミア……そして、さっきの少女と瓜二つの女の子がやってきた……双子か?
タクミと巨体な魔族が話しているうちに、最初に現れた女の子は跡形もなく消えてしまった。
後で知ったのだが、これはミアの新しいスキル『
そして、タクミから念話の着信が入った。
『驚かせて悪かった。まさかあんな手にひっかかるとは思わなくてな』
『それはいいんだけど、あの女の子は何者だい?』
『あの子は味方だ。話すと長くなるから後で話すよ。エルフが仕掛けてきたから、停戦のプランは中止かな? カルラどうする?』
停戦交渉中に、エルフ軍と冒険者ギルドから奇襲を受けるケースも想定済みだった。
その場合のプランも、もちろん用意してある。
『そうよね。こうなったらプラン変更よ。打ち合わせ通り魔族軍と王国軍による逆襲プランでいきましょう!』
◇ 【メアリー視点】
「あらつまらない。そこまで単純じゃなかったのね」
拡声されたエルドールの声が響く。
相変わらず上から目線ね。
「じゃあ、相手を変えようかしら……」
その直後、王国軍の後方で爆発がいたるところで起こった。
よく見ると、後方から魔法や弓が飛んできている。
冒険者ギルドが王国軍を攻撃してきたのだ。
けど、被害は少ない。
これはお兄様が昨夜の内に、停戦交渉中に冒険者ギルド、エルフ軍から襲撃される可能性があること、そのときの対応策を軍内部に説明していたからだ。
「全軍、反転せよォ! 敵は魔族軍にあらず。冒険者ギルドとエルフ軍だァァァァ! 各隊、予定通り行動開始せよォォ!」
お兄様の声が響く。
私の隣にいるギブソン様が頷き、馬に乗る。
「メアリー。ここから避難する。急いで馬に乗ってくれ」
馬に乗ったギブソン様が手を伸ばし、私を馬上へ引き上げてくれる。
「これから移動する。落馬しないようにしっかりと俺に掴まってるんだ! 俺がいいと言うまでは離さないように!」
「わ、わかりました」
その後、ギブソン様は味方と味方の間を縫うように馬を走らせる。
私も落馬しないようにギブソン様の腰をしっかりと掴む。
うっ、うっっ……、この揺れは気を抜くとすぐに落馬しそうですわ。
『メアリー、ギブソンはどこに向かっている? 予定では僕と合流するハズだが』
こんなときにお兄様から念話が……うっ、馬の揺れで気持ち悪いですわ。
『ごめんなさい。揺れが酷いし、方向も目まぐるしく変わって……口を開くと舌を噛みそうで、ギブソン様にも聞けませんわ』
『我が軍の陣形から抜けようとしている。少し冒険者ギルドよりに移動しているんだ』
そのとき、ちょうど目の前から王国兵の姿が消え、無人の荒野に出た。
王国軍の陣を抜け出したようだ。
誰もいない荒野を戦場から遠ざかるように馬は走って行く。
蛇行はなく揺れが少し落ち着いてきた。
「ギブソン様。どちらへ行くつもりですか? 自陣から離れてしまいます」
「もう3分は経ったでしょう。この距離なら……大丈夫そうですね」
ギブソン様はそう言うと、腰に回している私の手を掴んだ。
驚いた私は手を振りほどこうとしたけど、ギブソン様は掴んだ手を離さない。
何か様子がおかしい。それにいつもと口調が変わったような……。
「ギブソン様、こんなときにおふざけは止めてください。それよりも本陣へ戻り——」
どうしたのでしょうか……
お腹のあたりが……熱い……
「メアリーさん。騙してごめんなさい。あなたの犠牲は無駄じゃないですからね。私がしっかりと引き継ぎますから……」
私のお腹にはショートソードが刺さっていた。
一体いつの間に……ギブソン様は……前を向いたまま馬に乗っていた。
片手で綱を持ち……もう片方の手は私の手を……掴んでいたのに。
意識が薄れていく……せめて。
『——お兄様……ギブソンは……にせ……もの』
「メアリーさん、ダメですよ。まだ気を失ってはいけません」
ぐはッ……お腹に突き刺さったショートソードを捻りあげられた。
『メアリー、どうした? 何が起きている!? 早く加護を自分に戻せェ! メアリー加護を戻すんだァァァ!』
お兄様の……声が……加護?
そうですわ。加護を私にかけないと……
——え? なぜ? ……スキルが発動しない。
「ふっふふふ。あははははは。メアリーさん。お疲れ様でした。これであなたのお役目は終わりです。あとはゆっくりと休んでください」
ギブソンは掴んでいた私の手を離した。
意識を失った私は。そのまま地面へと落下した。
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