第35話 童貞卒業?

 北川先生が顔を近づけてきた。

「奈津子のシャンプーの匂いがするわね」

 どうやら僕の髪の匂いを嗅ぐためだったらしい。

 焦る。鼓動が凄い。


「英理子先生、いきなりはダメよ、震えてるじゃない」

 奈津子先生の言う通り、僕は震えが止まらなかった。

「そこが可愛いじゃない? いかにも童貞って感じで」

 え。童貞? 童貞言いましたか?

 僕はさらに赤くなった。

 北川先生、今日は何か変だ。

 ちらりと横目でうかがうと、北川先生の彫りの深い美貌が目前にあった。

 包み込むような優しい眼つきには「ん?」というニュアンスがあって僕の緊張を溶かすようだ。


「ねえ、小森くん。キスしたことある?」

 キス? キス言いましたか?

 僕の頭はますます混乱した。

 北川先生、どうしちゃったんだ………


「ダメよ」

 奈津子先生に後ろからギュッと抱きしめられた。ノーブラのおっぱいが背中に押し当てられる。

「翔太くんは初エッチするとしたら巨乳の独身と貧乳の人妻とどっちがいい?」

 ええええ? 何なんですか? 何が始まろうとしていますか?


「私ね、ずっとレスなの」

 北川先生が僕に見せつけるように左薬指の結婚指輪を外した。

「教師辞めろとまで言われて、別れようかと思っていたのよ」

 どうしよう? 僕は返答に窮した。

「貧乳かどうか確かめてごらんなさい」

 僕は左手を取られて、北川先生の胸を触ってしまった。確かにある。確かにそこにおっぱいがあった。カップとかは全然分からないけど、貧乳とは言えないのではないだろうか。


 ドアを激しく叩く音がした。

 僕はとっさに立ち上がろうとしたが、後ろから抱きしめてきている奈津子先生は微動にしなかった。


 ガチャと鍵が開く音。合鍵を持っていたようだ。


 入ってきたのは新垣早織(にいがきさおり)先生だった。

 小柄な薄い身体に濃い紺のスーツをきっちり着こなしている。


 ベッドの僕たちを見て、真っ赤になった。


「な、なんですか! 何をしてるんですか!」

 わなわなと震えながら、指さしてくる。


「深田先生はともかく、北川先生まで!」

「ともかくってひどくない? 早織ちゃん」

 僕を後ろから抱きしめたまま奈津子先生が笑いを含んだ声を上げた。


「あ、あなたたちは自分が何をしようとしているか分かってるんですか? 相手は未成年ですよ!」

 新垣先生は首を振りながら後ずさった。


「あら、私は高二の夏にはもう済ませていましたよ」

「私は大学に入ってから」

「意外です」

「そっちこそ」

 僕を挟んで、美人教師たちが顔を突き合わせる。近い、近いよ。いい匂いでくらくらする。


「な、な、何の話ですかっ!」

「早織さんはどうしでしたか?」

「それを聞くあたり、英理子先生の性格がとっても出ている」

「どういう意味です?」

「処女の早織ちゃんにわざわざ聞くあたり」

 くすっと奈津子先生が笑うと、新垣先生の真面目な美貌に若干の動揺が走った。


「しょ、処女の何が悪いんですか!」

「男のこと、なーんにもわからないところかな」

「結婚するまで知りたくありません!」

「結婚ってそんなにいいものではないんですよ」

「説得力!」

 北川先生が奈津子先生を軽く睨んだ。


「男性のこと、もう少し理解があれば、小森くんも登校拒否にならなかったはずです」

「わ、私のせいだとでも言うんですか!」

「erectionなんてそうそう制御できるものではないんですよ。まして高校生では」

「小森くんみたいなケース、聞いたことありません!」

 ですよねー。僕も聞いたことないもん。マンガや小説でも聞いたことない。フィクションの中にすら存在しない最低の人間が僕なのだ。


「それは翔太くんのアレが立派だから目立っただけ」

「ひ、卑猥なこと言わないでください!」

「ほら、小森くんが落ち込んでしまいましたよ。この年頃は傷付きやすいんです」

 そうか、僕は傷付いていたのか。何となく、そう言ってもらえて救われた気持ちになった。

 

「教師たるもの、そんな男の子に自信をつけてあげるのが使命よね」

「ねえ」

 美人教師が僕の両側から顔を突き合わせる。だから近いですって! いい匂いがして、ドラゴンの覚醒を抑えるのが大変だった。


「そんなことありません! 相手は未成年ですよ!」

「この世界は都条例関係ないから…………」

「倫理というものがあるでしょう! 未成年相手に何をしてるんですか!」

 ああ、そう言えば都条例ってあったな。同意の上なら年齢差があってもいいと思うのだけど。


「早織先生もそのうち分かります。この年頃の少年のよさが」

「分からなくて結構です!」

「男子高校生が嫌いな女教師はいません」

「言い切った!」

 北川先生、言い切っちゃったよ…………なんか得意げな顔しているし。ダメだこのひと

 僕の背中では奈津子先生は爆笑をこらえるために身体を震わせてる。その度におっぱいの先がこすれて、いまひとつ先生たちの会話に集中できない。


「し、信じられない! 北川先生がそんなこと言うなんて!」

「まあ言い過ぎよね。人それぞれね。でも早織ちゃーん? あなたの藤堂くんを見る目つきはどう見ても恋する乙女…………」

 奈津子先生が衝撃的なことを暴露した。な、なんだってー! 藤堂先輩、どれだけモテるんですか!


「な、なななな何を言っているんですか!」

「早織ちゃんは藤堂くんと歳も近いし、全然ありだと思うよ? 何なら応援するよ」

 新垣先生の動揺ぶりは見ていられなかった。


「もういいです! この件は理事長先生に伝えます!」

 涙目になって決然と言い放った。


「理事長先生には話を通していますよ」

 北川先生が平然と言い返した。マジすか! 理事長先生公認なの? そう言えば一人前のサムライ云々って言っていたっけ。


「ええええええええええええ?」

 新垣先生は悲鳴のような驚愕の声を上げた。

 

「年上の女が少年を一人前に育てるのは当たり前とのことです」

「私は頼まれてない」

「放っておいても手を出すと思われていたのでは?」

「ひどい」


 新垣先生は黙ってしまった。

 ぶるぶる震えて真っ赤になっている。

 さすがに気の毒になった。


「あ、あの。新垣先生がそこまで仰るのであれば、僕……」

 童貞卒業を諦めればいいだけだ。それに僕には将来をともにしたい好きな女性たちがいる。


「そうですね。そういう雰囲気ではなくなってしまいましたね」

「えー? 私は全然平気だけど」

「今日のところは解散しましょう。新垣先生、それでいいですね?」


 新垣先生は言葉もなく幼児のようにこくんと頷いた。

 泣くのをこらえている。可哀想に。


「仕方ない。翔太くん、最後にギューさせて」

 奈津子先生は立ち上がって、僕の頭を胸に抱き寄せた。おっぱいの谷間で窒息しそうになる。

「んっ……!」

 頭上で色っぽい吐息が聞こえた。ぶるっと奈津子先生の身体が震える。

「はあ、満足」

 奈津子先生の美貌は紅潮していた。濡れたような瞳が美しい。


「満足したようね」

「英理子先生、指輪は?」

「もう外します。向こうに戻ることがあっても」


「あの」

 僕は何と声をかけていいか分からなかった。ありがとうございます? ごめんなさい? こういう場合何て言えばいいんだ。


「小森くんの可愛い顔の良さは同世代には分からないでしょうね」

 え。なにそれ。僕の非モテの秘密が今明かされようとしていた!

「そうそう、同世代だと何となく頼りなく見えてしまうかな。でも年上の女からしたら……ねえ?」

「ねえ」

 ええええ? 僕の非モテにそんな秘密があったとは!

 年上といえば、僕の好きな女性たちはみんなそうだ。ヴェルラキスさん以外は一歳しか違わないけど。大丈夫なのか? ありなのか?

「じゃあ、またね。したくなったら夜の小神殿に来るのよ」

「私もプライベートな時間なら、いつでも呼びなさいね」

 泣くのをこらえて俯いている新垣先生は、二人の先輩教師に連れられて退出した。

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