第22話 ダークエルフの美女

 右腕と左脚の苦痛が消えた。


 左手で右腕の傷を触ると、傷口がふさがっていた、痛みもない。

 左手で左脚の傷を触っても同様だ。


(あれはすべて夢だったのか?)


 僕は夢うつつのまま目を見開いた。

 そこには体育館の天井があった。


「目を覚ましたようです」

 神月小夜子先輩の声。震えている。涙声?

「よかったよう……!」

 来生響子先輩の声だ。泣いている。

「よかったです」

「ほんとうに」

 新井ともえも千草雪乃先輩も泣いているようだった。


 むっくり身を起こすと、銀髪の凄い美女が僕の顔を覗きこんできた。

 あまりにも僕好みの美女なので、まだ夢を見ているのだろう。


「キスしていいですか?」

 夢のなかとはいえ、一応確認を取るのが僕らしい。キスすら知らない童貞丸出しだ。


 銀髪の美女はのけぞった。

 あら?

 夢のなかなのに、その顔は何ですか? 軽蔑をこめた冷たい顔。

「どうやら、こやつは殺しても死なないタイプらしいな」


「ごめんなさい」

「申し訳ございません」

「すみません」

「失礼しました」

 女の子たちが唱和する。ちょっと恥ずかしそうだ。


 僕の頭は少しずつ覚醒していった。

「もしかしてこれ現実ですか?」


「そうよ」

「右腕と左脚を治療してくれたのがこの方です」

「ダークエルフだそうです」

「どれだけ感謝してもしきれません」

 女の子たちがそれぞれ驚くべきことを口にした。


「あれだけ出血しながら随分と平然としている。貴様は《無限の者》かも知れぬ」

 銀髪の美女がしげしげと僕を見下ろした。

《無限の者》という言葉が気になったが、まずは礼を言うのが先だ。


「ありがとうございます」

 僕は立ち上がって頭を下げた。

「礼はよい。いつか貴様の力を借りるときもあるかもしれぬからな」


「質問がいくつかあります。体育館のいた生徒たちはどうなったんですか?……あの男が全員を?」

「ザラスティンだ。あの男にそこまでの地力はないよ。それ以上のことは私は知らん」

「なぜダークエルフがここに?」

「ダークエルフは“閉ざす者”、ハイエルフは“開く者”。異界人いかいびとは今はそれだけ知っておればよい」

「ザラスティンはどうなりますか? 僕は彼を許せません」

「貴様の手足を治療した。それで許せとは言わぬが、奴は連れていく。あと剣もな」


「最後に大切な質問があります。お名前をお聞かせください」

「人間ごときに名乗る名などないのだが、ザラスティンも決して弱い男ではない。奴を討ち取ったのだ、私の名を知る名誉を与えよう」

 僕はこころのなかのメモ帳を開いた。

「私の名はヴェルラキス。ヴェル家の当主の娘にして女王の剣だ」

「ヴェルラキス……よい名です。美しい貴女にふさわしい」

「世辞はよいよ」


 世辞なわけがなかった。彼女は本当に美しかった。


 褐色美人だ。

 銀色の髪は波打ちながら胸まで垂れている。

 銀のまつげに彩られた目には、赤みがかった紫の瞳が強い光を宿していた。

 やはり耳が尖っている。

 女性にしては広い肩幅、鎧の下でも隠せない大きなおっぱい、くびれた腰からお尻につながるライン。

 何かこう、男の夢が目の前に現れたような、凄い美女である。


 僕は大きく息を吸いこんだ。

「ひとつ、お願いがあります」

「なんだ? ザラスティンの身柄なら渡すわけにはいかぬ」

 ヴェルラキスさんの紫の瞳に剣吞な光が宿った。

「いえいえ、とんでもない! あんな男、心の底からどうでもいいです」


「お、おっぱいを触らせてください! お願いします!」

 僕は深々と頭を下げた。


「はあ?」

 体育館にいる女子全員が同時に言った。


 ヴェルラキスさんは真っ赤になった。

「ふざけるな!」

「ふざけてません!」

「そういう意味ではない!」

「じゃあどういう意味ですか?!」

「くっ、この」

「よろしくお願いします!」

「死ね!」


 ヴェルラキスさんは鮮やかな手並みで抜刀すると、その剣先を僕の喉首に突きつけた。

 僕は決意の光りを宿した双眸でヴェルラキスさんを見た。


「なぜ、そこまで胸にこだわる?」

「僕、美人が好き」

「それが何だ?」

「貴女はとても綺麗。美人」

「それは知っている。口説いているつもりか?」

「口説く? 僕、口説いてるの?」

「私に訊くな!」

「僕、じ、じつは童貞なんです!」

「だ・か・ら? な・に?」

「おっぱい触ったことないんです! お願いします!」

 ヴェルラキスさんはなぜかため息を吐き、首を振った。

「そこの女ども! こやつはいつもこうなのか?!」


「他人ですけど」

「そんな子、知りません」

「誰ですか」

「やっぱりわたしにはれいしかいないの」


「女どもに捨てられたようだな。よい気味だ」

 ヴェルラキスさんは朗らかに笑った。


「こやつの願いは断る。ザラスティンは連れていく。剣も返してもらう。よいな」

「はい」

 と女子たちは唱和した。


 僕は今度こそ両膝から崩れ落ちた。

 膝を抱えてゆーらゆらと揺れる。

 あーあ。おっぱいだったのにな。好みの女性だったのにな。


 ヴェルラキスさんは僕を見ると、微苦笑した。

「求愛されるのは実は初めてだ。その初めてをおバカなものにされて私がどれだけ落ち込んでいるかわかるか?」

「僕は本気ですよ。僕、ヴェルラキスさんと結婚したい!」

「う。求婚されるのも初めてなのだが。はあ、貴様か」

「さっきからヒドいですよ!」


 ヴェルラキスさんはどこか遠い目をした。

 それから紫の瞳に力強い光を宿して僕をまじまじと見た。

「まあ、よいよ」

 僕はなんだか緊張したけど、ヴェルラキスさんに見惚れしまったことも確かだった。

「再び相まみえるときは敵同士かもしれぬ。そのときは容赦しない。そのふざけた口が開く前に殺す。私に打ち勝ち屈服させることができたら、そのときは貴様の女にでも奴隷にでもなってやる」

 え。奴隷。女豹の奴隷。いい。なんかすごくいい。全裸首輪をしたヴェルラキスさんを想像して、ドラゴンが雄叫びを上げそうになった。いかんいかん。

「約束ですよ! 絶対に約束ですよ!」

 フン、とヴェルラキスさんはマントをひるがえして、僕に背を向けた。


「おまえは殺す。絶対殺す」

 鼻血が固まった跡と、腫れ上がった顔。

 ザラスティンが凄い目で僕を睨んだ。

 僕は正直怖かったが、それを表に出さず、余裕ぶって肩をすくめた。


 光の柱を呼びだす呪文は、ザラスティンが唱えた。

 光の柱に入るとき、ザラスティンが凄い目で睨んできたが、ヴェルラキスさんは目を合わせてくれなかった。

 二人は光の柱とともに消えた。

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