第20話 女の子たちを抱っこぽんぽんした

 僕は、“戦えない生徒たち”を連れて、体育館に向かっていた。


 焦って小走りになりがちなところを抑えて、ゆっくりと歩いてもらっている。

 小走りをはじめれば、すぐに本格的に走りはじめて、男女の差や歩幅の差、身体能力の差で、すぐに集団が瓦解するからだ。

 なかには不満を隠せない生徒がいるのも仕方ないことだと思っていた。


「もう大丈夫だろ。ここからは各自で行こう」

 そう言ったのは、山口登志夫やまぐちとしお先輩。浅黒い肌で面長、鼻梁が長く、目は細かった。


「体育館までです。もう少し辛抱してください」

 ほんと、お願いします。


 僕の言うことに反発を隠せないのがヨシムラ先輩。半眼と四角い顎が特徴的だ。金髪に染めたマッシュヘアをしていた。

「おまえ二年だろ。俺らに命令する権利ないだろ」

 権利って……この非常事態に何を言っているのだろうか。Xで見かける正論厨かな。アニメ絵狩りをする僕の天敵かな。


 僕はムッとした顔をしてしまったのかもしれない。

「だいたい偉そうだぞ、おまえ! 変質者のくせに!」

 ヨシムラ先輩の怒りを買ってしまったらしい。すみませんね、変質者で……。


「ちょっとやめて」

 そう声をかけてくれたのは、来生きすぎ響子きょうこ先輩。

 白皇つかさ先輩の親友の一人だ。

 蒼麻学院三大美女の一人である。


 栗色の髪がたまご形の顔のラインに沿うように切りそろえられている。

 大きな目。控えめな鼻筋。小さな口。まるみをおびた顎先。

「可愛い」と「美しい」をうまく混ぜ合わせたような美少女だった。

 茶色い瞳がいつも元気よく輝いている。


雪乃ゆきのが怯えています。大声を出さないで」

 神月かんづき小夜子さよこ先輩が静かな声で言った。

 この人も三年生で、三大美女の一人で、白皇つかさ先輩の親友の一人である。


 小夜子先輩は、その名のとおり、艶々した黒髪を肩口でそろえ、色白のほっそりした顔が印象的な女性だ。

 おろした前髪。切れ長の目。少し厚めの唇。

「美しい」と「神秘的」を混ぜ合わせたような美少女である。

 黒々とした瞳に見つめられると、魂の奥底まで見透かされているような気持ちになるらしい。


 雪乃先輩は、神月先輩の肩に顔を伏せている。震えが止まらないようだった。

 フルネームは、千草雪乃ちぐさゆきのさん。演劇部の元・副部長で、お姫様役がよく似合う。ふわふわした女の子らしい女の子だ。


 ヨシムラ先輩は鼻白んだ様子だった。

 先輩面して僕を批判していたのだから、そう言われては、立つ瀬がないというものだ。

 しかも相手は三大美女の二人である。


 むしろ反発を強めてしまったのは、山口登志夫先輩だ。

 フン、と鼻を鳴らして、無言で行ってしまった。


 僕は慌てて声をかけようとしたが、ヨシムラ先輩の方が早かった。

「みんな、行くぞ」

 と言って、肩をきって行ってしまった。


 それに追随したのは、三人ほど。さっさと小走りに行ってしまった。


 残されたのは、来生先輩、神月先輩、千草先輩、新井あらいともえの四人だ。


 新井ともえは、僕と同じクラスだった女子だ。そこそこ会話したかな。一年から生徒会の書記をやっている。生真面目な顔つきにメガネがよく似合った。メガネは確か十個以上持っていたはずだ。おしゃれさんなのである。白皇先輩と口を聞いたと言ってはクラスメイトを悔しがらせたものだ。僕もその一人だった。くそう。

 白皇先輩の関係者が、千草先輩を守るような布陣だった。


 千草先輩は、怯えて足がすくみ、歩行速度が遅くなっていた。

 遅くなったといっても、大したものではなく、ゆっくりと歩いていれば、歩調を乱すほどではなかった。


「ごめんね。あたしのせいだね」

「そんなことありません」

「そうそう。あたしなんてお漏らししちゃったものだから、もうパンツが気持ち悪くて気持ち悪くて、歩くの大変なんだから」

「ええ。わたしは汚れてしまった下着は脱いでしまいました」

「ありがとう。気を使ってくれて。実はあたしもなんです」

「あの、あの! 私もです!」


 来生先輩が最初に吹き出して、失禁女子たちは、青空に笑い声を響かせた。


 そのときだ。彼女たちが僕の存在を思い出したのは。

 青空には、失禁女子たちの悲鳴が響き渡った。


「ごめんなさいっ!」

 僕は土下座するほかなかった。

「存在感なくてごめんなさい! 女子会に混ざってごめんなさい!」


 全員がしくしく泣いていた。嗚咽を漏らしていた。


れいに知られたらどうしよう……もう死にたい、死んでしまいたい」

「誰にも言いませんから!誰にも言いませんから!」


「ああ、もうダメですね、わたし。もう出家するしかないようです」

「しないで?! 神月先輩の髪はみんなの宝ですから! お願いだからしないで!」


「お母さん、お父さん。旅立つ不幸をお許しください……」

「逝かないでーーーー!! 新井が逝っちゃったら生徒会どうなるんですか?! 書記がいないでどうなるんですか?!」


「あたしのせいだ……あたしがはじめた話のせいだ……どうしよう、どうやって責任をとろう」

「来生先輩のせいじゃないですよ! 僕がほら! 立ち聞きしたから! 僕のせいです! 僕の責任です!」


 僕は土下座して叫んだ。

 いたたまれないとはこのことだ。

 これほど酷い事故もない。


「まあこいつなら大丈夫かもです」

 新井が言ってくれた。さすが元同じクラス!

「女の子には優しくて有名でしたし。ハーレムとか言ってるクズですが」

 え? それを言うか? 美人先輩たちの前で。

「それに二年の一学期まるまる不登校でしたし。中退するという噂も」


 それに女子たちが食らいついてしまった。


「ほんとう?」

「蒼学を中退するなんてもったいないです」

「いじめが理由ですか?」


「いや、それが……」

 僕は言葉を濁すしかなかった。まさか「デカチン」というあだ名の由来を話すわけにはいかない。

 でも、白皇つかさ先輩の親友たちだ。本当は理解して欲しい。

「ちょっとした誤解があって、それで女の子を泣かせてしまって……もう学校にいられなくなったというか」


「誤解なら解けばいいでしょ」

「そうです。辞めることはないでしょう」

 来生先輩と神月先輩がそう言ってくれたが、

「あたし、知ってるかも……」

 千草先輩は知っているようだった。


「どういうこと?」

「知りたいです。誤解ならわたしたちで解いてあげます」

 千草先輩は真っ赤になってノーコメントだった。ですよね!


「きみ、誤解が原因で中退するってよくないと思う」

「そうです。わたしたちが協力します。つかさも協力させます」


 三大美女が協力してくれる! 本来ならば大喜びするところだが、原因が原因だけに協力してもらうことはできなかった。

 学校であそこを膨らませたなんて知られるのだけは避けたかった。


「僕にも原因があるんです。中退についてはもう少し考えてみます」

 と言って、なんとかその場を治めた。


 それから女子たちが何やら仕度すると言って外壁際の樹林の方に消えた。

 戻ってきたときは、来生先輩と千草先輩の足取りは軽くなっていたような気がする。

 これで普通の速度で歩けそうだ。


「学校かあ。あたしたち、もとに戻れるのかなあ」

 しばらくして、青空を見上げてつぶやいたのは、来生先輩だった。

 沈黙が降りる。

 僕だって何も言えなかった

 口を開けば、気休めの言葉しか出ないことが解っていたから……


 そうこうするうちに校舎裏についた。いったん校舎に入り、そこから地下にある体育館に降りていく。


 ん? 違和感を覚えたのは、静かすぎる、と言うことだ。

 大勢の人が集まったときの漠然としたノイズがまったく聞こえこない。


「ちょっと、ここで待ってて」

 僕はつとめて平静な声で言ったはずだ。


 しかし彼女たちの間に緊張が走るのを止めることはできなかった。

 びくん!びくん!と音が聞こえてきそうなほどだ。

 すがるような目で見てきた。

 そうだ。

 この人たちは“戦えない”。

 どうしたらいいか? 考えろ。考えろ。考えろ。


 いま僕が考えられる選択肢のなかで最善のもの。


「校舎正面の玄関から入って、階段すぐの二階の教室に行って。そこに春日(かすが)くんがいる。空手をやっていて、凄く強いんだ。あの化け物を一匹やっつけている。僕も後から行くから」


「あ、あなたは、どうするのですか? 一緒ではないのですか?」

 神月先輩は蒼白な顔で震えていた。

「僕は体育館の様子を見に行きます」


「一緒に来て。お願い。一緒に来て」

 来生先輩は涙をためて必死に僕を見つめてきた。

「山口先輩たちの様子を見てくるだけです」

「いやよ!」

 ついに来生先輩は、わっと泣き出した。


 僕は幼い頃の妹にそうしたように、来生先輩を胸に抱き寄せた。

 少しぎゅっとしてから、背中をぽんぽんする。

 しばらくすると、来生先輩は泣きやんだ。

 来生先輩は、僕の胸を押しやって身体を離すと、僕を見上げてきた。


「きみはなんてことしてくれたの? こんなことされたら好きになっちゃうじゃない」

「そ、それは、『吊り橋効果』ですよ?!」

「もしかして、あたし振られた?」

「まさか! 嬉しいです! ただ……」

 僕は来生先輩の背後を指差した。


 そこには、行列ができていた。


「ち、ちょっと? やめ……!」

 来生先輩は、行列の先頭の人にどーんと突き飛ばされた。

 先頭の人とは神月先輩だった。


「あなたの初恋が『吊り橋効果』かどうか、わたしが確認してあげます」

 神月先輩はそう言って僕の胸に入ってきた。

「ちょ、ちょっと?! 小夜子?! あたしたち親友だよね?! 友情は?! ねえ友情は?! あと初恋とかばらすな!」

 僕は神月先輩に同じことをした。

「きみもだーーーー?! なんで同じことするのーーーー?!」


 ククッとそのとき笑ったのは、来生先輩を後ろから羽交い締めにしている新井だった。なにかこう黒かった。


 そのあと、千草先輩、新井という順に、抱っこぽんぽんした。


 来生先輩はすっかり拗ねてしまった。

 でも、みんな冷静さを取り戻しくれたようだ。


 女子たちが提示した選択肢は二つ。


 (1)一緒に校舎二階に避難する。

 (2)一緒に体育館を偵察する。


 僕は( 1 )の実行の後、独りで体育館を偵察したかった。山口(やまぐち)先輩たちが心配だったが、彼女たちの安全を優先したかった。

 女子たちは一緒に体育館に行くことを選んだ。なぜか妙に平静だった。

 むしろ僕の方が怯んでいた。

 

 小鬼ゴブリンから奪った槍が異様に重く感じた。

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