【海渦の衝撃】、決着の一撃

 炎に包まれた剛鬼はその巨体をぐらりと仰け反らせた。

 かったいなぁこいつぅ!

 鋼鉄を直で殴っている気分だよ。

 ただの一撃で拳が痛い。しかも、


「……マジかよ」


 殴られたブレイジング・ゴブリンは気にも留めず、頬を手で擦っていた。


「グオォォォォォガアアァァァ!!」


 さらに、熱くなるのか……。

 肺が焦げそうだ!

 もっとだ。もっと意識を墜とせ。

 技量なんか必要ない。おれには知恵も必要ない。

 あるのはただひたすらに、自分の力をぶちかます!


「ここは……、絶対に——」


「何をしている、ライカ!」


 一秒たりと気の抜けぬ戦場に、矢の如き言葉が飛来する。

 とうさんの声だ。

 ブレイジング・ゴブリンと交戦を続けるおれに、とうさんは更なる言葉を投げる。


「今すぐ戻るんだッ! 村に居てくれ。……頼む……ライカッ!」


「嫌だね!」


「こんな時くらい父さんの言葉を――」


「聞きたいよ! けどな! こいつ何とかしないと村のみんな、森と運命を共にするとかほざいてんだぞ!」


「それが森の行く末ならば、我らエルフも同じ道を――」


「そういうの聞き飽きた! 同じ言葉しか使えない壊れたエクス・マキナかお前ら!」


 おれは大地を強く踏みしめて、堕ちそうになる意識を無理やり繋ぎとめる。

 そこからはもう、無我夢中だった。

 何度も何度も意識を刈り取られそうになる中、おれの中でひとつの変化が生まれていた。

 平気になっていた。あいつの熱気が。

 意識はさらに沈んでいく。さらに深海の奥底へと。

 もう音は聞こえない。熱気など感じない。

 ただあいつに勝つために。湧き出る荒波に身を任せる。

 何十、何百、何千とおれはブレイジング・ゴブリンと拳を交差させる。

 地面に叩きつけられようとも、木に背中から突っ込もうとも、それでもおれは立ち上がる。

 たとえ力の差が歴然だとしても! 闘気を維持できる限り立ち上がる!


 負けられない。負けられないんだ。

 おれが負けたら間違いなく村のみんなが命を落とす。森と共に命を落とす。

 百合の楽園も見れなくなる。おれの夢は途絶える。

 今までやってきたことも全部泡となり消える。

 そんなの嫌だ。

 ねえさんひとり救えずして力があるなんて言えない。

 おれがおれであること。

 おれはもう大丈夫なんだと、ねえさんに証明するためにも戦うんだ!


 聞こえるのはあいつとおれの息遣いと、攻撃のたびに生じる空気の波。


「……まだ足りない」


 力の差が離れすぎている。

 このまま力押しじゃ絶対に負ける。

 体躯が違う。

 ならば考えろ。知恵がなくとも考えろ!

 どうすればこいつを倒せるのか。どうすれば炎を消せるのか!


 その時、だった。

 何かが羽ばたく音が鼓膜を振動させた。

 羽ばたく音は近くなり、おれのすぐ隣を何かが横切っていった。


 不意に乱入が入ったせいか重心がずれてしまったおれは少し尻もちをつく。

 ——鳥。

 あれは鳥だ。

 鳥が炎を纏ってブレイジング・ゴブリン目掛けて特攻をかけている。


「やぁやぁ我こそは兎獣族の文月くるみ! 勝手ながら助太刀いたす! ライカ殿。少しは周りを見るでござるよ」


「……くるみ? あれはいったい……」


「私の【祭具さいぐ】にて。それより、どうでござるか?」


「さい――、……いやそれより、無理だな。今どうすれば倒せるか考えているとこ」


「なら、どのような環境なら倒せるでござる?」


「あいつが弱る環境。例えばそう、炎が消えるとか」


 そうだよ、水中……。もしかして、あの湖なら。

 おれが修行に用いていただけあって、広さと深さは十分なはず。

 あそこに誘導すれば!

 炎の鳥の行く末を見守っていたくるみが顔を歪める。


「力になれず申し訳ないライカ殿。私の【祭具】でも足止めは厳しそうでござる」


「いいよ、おれがやる!」


 あいにくとブレイジング・ゴブリンはおれにご執心のようだからな。

 ゴブリンに好かれるとかホントマジ勘弁って感じだけど!

 もうここまで来たらやるしかない!


「イゲェェェアナァァァ!!」


 湖へと駆け出したおれを、ブレイジング・ゴブリンは案の定追ってくる。


 さて、ここからは鬼ごっこだ!

 奴に掴まったら終わり。非常に分かりやすい!

 長い。一秒が。

 あいつはすぐ後ろ。木々を薙ぎ倒し、燃やし尽くし迫りくる。

 走る。走る。走り続ける!

 余計に森へ火が移ることだろうけど、今そんなものはどうだっていい。

 同時におれは開けた場所に出た。


 湖。


 ここまでくれば!

 なんて、おれは一舜でも気を抜いてしまった。

 まだ終わってなどいないのに。

 後ろから巨腕の手が伸びてくる。

 まずい、と感じたころにはおれは捕らえられていた。

 やっばいな、どうするか。どうしようか。

 ブレイジング・ゴブリンが何を顔に映しているか分からない。

 怒りか、悲哀か、悦楽か、はたまた無か。

 おれにはどちらかといえば、諦観の表情をしているような気がした。


「詰めが甘いでござるな」


 くるみの声が聞こえたかと思いきや、斬影が横切った。

 ブレイジング・ゴブリンの手甲に斬傷が入る。

 そこまで痛くは無いはずだが、不意打ちが功を制したのだろう。

 ブレイジング・ゴブリンは手を離したおかげで、おれは自由になれた。


「かったいでござるねぇ! ライカ殿、よく殴れるでござる!」


 おれの隣にくるみが降りてくる。


「闘気のおかげじゃないか?」


「流石に異常でござるよ。ああの程度の修行だけでそこまでの闘気は身につかない」


 さぁ? それは知らないわ。

 そんなことよりもおれはこいつを、湖に投げ入れなきゃならないんでね!

 おれは今以上に自分の身体から闘気を放出させ、ブレイジング・ゴブリンの腕を掴む!

 投げ飛ばそうと身体を捻るも、ブレイジング・ゴブリンは物凄い力で抵抗してくる!


「ウガァァ!! アガァァァ!! アグアァァァ!!」


 凄まじい抵抗だ。

 その激しさたるや、ここだけは絶対に入りたくないという意志を感じる。

 全体重が足に掛かる。地面はひび割れて、その範囲を広げていく。

 だがこっちはひとりじゃない!


「ここで斬らねば私のかたなしでござる!」


 くるみが走り出す。

 ブレイジング・ゴブリンの足元に入り込み、剣を横薙ぎ一閃。

 踏ん張りが弱くなった。

 今なら!


「エルフの底力を舐めるなぁぁぁ!」


 おれは遂にブレイジング・ゴブリンを湖へと投げ込んだ!

 ドボォォォーーンと爆発にも等しい衝撃音。

 今までで一段と激しく水が弾け飛び、凄まじい勢いで蒸気が上へと逃げていく。

 そうだよな、炎には水だよな!


 おれは肺いっぱいに空気を吸い込み、すかさず湖へと飛び込んだ。


 手足をじたばたとなりふり構わず振り回すブレイジング・ゴブリン。

 しかしそのかい虚しく、その巨体は水底へと沈んでいく。


 さぁて、ここはおれのテリトリーだ。

 お前の炎が水を全て蒸発させるのが先か。

 おれがお前を打破するのが先か!

 おれはブレイジング・ゴブリンに拳をひたすら叩き込んでいく!


 ブレイジング・ゴブリンの口から泡が漏れるのが見えた。

 これで最後だ!

 おれは持てる全ての闘気を右手に込める。

 ブレイジング・ゴブリンの胴に狙いを定める。息を整え前へ飛び出せ!


 おれの習得したスキルの中で抜群の攻撃力を誇る一撃。

 その名は【海渦のシュトローム衝撃インパクト

 この一撃を放った後、今のおれではしばらくの間動けなくなる。

 その上、一か月の間このスキルを使うことができなくなる。

 正真正銘、最後の一撃!


「【海渦シュトローム衝撃インパクト】!」


 湖が唸った。拳に水流が逆巻いた。

 一点突破!

 オゥルアアアアァァァァ!

 持てる限りの力をブレイジング・ゴブリンへと解放する!

 水中のため叫べないけど、自分の中では裂帛の気迫を込めたつもりだ。

 殴られたブレイジング・ゴブリンは、ごぼっと口から全ての泡を吐き出した。

 ……してやったりだぜ!

 そしておれも全ての力を使い果たした。

 もう手足を碌に動かすこともできやしない。

 このまま、湖の藻屑となって消えるんかな。

 ……あぁ、可愛い女の子が百合百合している世界を見たかったなぁ。

 おれには結局……創設とか無理だったのかな。

 悔いしかない。

 それから……ごめん、ねえさん。

 勝手なことをして。……自分勝手に生きたいお年頃なんだ……。

 とうさん、かあさん、森のみんなも。森、大火事にしちまった。

 薄れそうになる景色の中、おれは信じられない光景を目にすることとなる。

 

 ブレイジング・ゴブリンの瞳に紅煌が戻ったのだ。

 赤い。亡念の灯が。

 ははっ……ここまで強いゴブリンがいるとか聞いてねぇぞ。

 ………………もう……笑うしかない。


「ギャガアアアァァァァァァァァ!!」


 ブレイジング・ゴブリンの凄まじい執念が籠った叫びと共に熱が膨張していく。

 湖の水は一瞬にしてお湯へと気化し、遂には全ての水が蒸発した。

 熱い気体を一身に浴びながら、倒れているのはおれひとり。

 見上げてみれば、炎を失ったブレイジング・ゴブリンが威風堂々と立ち尽くしていた。


「ゴブリン詐欺も……大概にしろよな」

 

 奴の視線が注がれる。ズシン、ズシン、と地響きが背中を伝う。

 一歩一歩、確かに聞こえてくる。

 ハハハ、悔いしかねぇや! もう、起き上がる気力すらない。

 腕も足も、頭を上げる力すらない。

 ここで終わりか。

 頑張ったんだけどな!

 あー! 悔しいなぁ!

 ヒュン! チュドオオオーーーン!

 近くで爆破の衝撃が吹き荒れる。

 次々と何かの飛ぶ音が炸裂し、そのたびに風圧の激流が何度もおれの身体を乱暴に弄ぶ。

 正体を確認したくとも、おれはもう瞼を開ける力すら残っていない。

 今度こそおれは深く深く意識を沈み込ませていくのだった。

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