百合の楽園を観るために

 やっぱり、怖いなぁ。

 価値観がまるで違う。

 笑っちゃうほどに。

 見た目がダメなら見た目を中身そのものの状態にしてやれば殺しやすくなる、なんて普通は発想しねぇもん。

 これを優しさで考えているのが特に恐ろしい。

 ねえさんは小さく呟いた。


「守るよ。わたしが必ず」


 ねえさんはおれの拳を包み込む。

 口角を少し上げ、やんわりと微笑んだ。


「もう危険な目に合わなくていい。深く考えなくていい。わたしが何とかするから。……この村に居よ?」


 電気に脳を弄繰り回された気分だった。

 ……気づいている?

 ねえさんは光球を消滅させると、おれを抱えてベッドに入り込む。

 ベッドに入る直前、おれはふと思ってしまった。

 どうしてねえさんは、おれにこんな良くしてくれるのだろう、と?


 *  *  *


 次の日の朝は、過去1位に躍り出るほど最悪な目覚めだった。

 そして凶星はいつも、構えていない時に限って突然やってくる。

 ほんのりとうす暗い日の出と共に、弓を背負ったボロボロのエルフが戻ってくる。

 腕や足が黒く変色しているエルフは息をするのも絶え絶えといった様子だった。

 駆けつけた村のみんなに治療を施されながら、張り裂けんばかりの大声量で叫ぶ。


「ブレイジング・ゴブリンの討伐に失敗した!」


 ……討伐に失敗した?

 何を言っているのか分からなかった。

 まるで自分が現実から隔離されたかのように、耳が遠ざかっていく気分だった。

 されど事実、おれの目の前で男性エルフが、村のみんなの手を借りて祭壇上に運ばれていく。

 夢? 妄想? どれほど現実から遠ざかろうとも真実は絶対に変わらない。

 ふんわりと甘い香りがして、おれは誰かに抱きしめられて現実に引き戻される。

 ねえさんだった。

 振り向いたおれはねえさんに掴みかからん勢いで詰め寄った。


「とうさんは!」


 ねえさんはおれを胸の内に抱き寄せた。何も言わなかった。

 ねえさんの腕は震えていた。

 おれを覗き込むねえさんの顔は涙さえ流していなかったけど、明らかに目元を震わせて、しゃがれた声で「大丈夫だよ」と口にする。

 やせ我慢だ。

 気丈にふるまっているのだと、馬鹿なおれでも察することができた。


「奴の身体は魔法の術式を阻害する。まともに攻撃が入りやしねぇ!」


 報告の最後に叫んだ最後の言葉は、エルフたちにとって絶望も良いところだった。

 見上げた空は、ねえさん含めたみんなの感情を映すかのように薄暗くて。

 まるで冥府の入り口でも開きそうなほど、悲しき黒い雲が立ち込めていた。

 風の唸り声に負けぬほど、エルフの村から次々に悲しみに暮れる声が響き渡る。

 そんな村の中で、唯一侵入者たちだけが「ここから出せ」だの、「良い気味だクソエルフ!」と勝手なことをほざいていた。

 白熱する侵入者とエルフの口喧嘩。

 そんな喧嘩の炎の海にたった一粒の雫が垂らされる。


「外に助けを呼べるほど交流関係を気づきあげなかった。自業自得といえば、その通りでござる」


 くるみだった。

 くるみの発した言葉は、集まっているエルフに波のように広がっていく。

 感情の炎が沈静化していく。

 誰もが言い返さない。言い返せない。

 そりゃそうだ。

 外から戦士を雇っていれば、魔法の術式を阻害されたところで何ともない。

 今回現れたブレイジング・ゴブリンは何というか、エルフ全体をメタって来ているように思えた。


「で、どうするでござるか? 私は逃げるでござる。……当然、道ずれにしようとすれば私が代わりにこの森を斬る」


 くるみは刀に手を当て凄む。

 闘気も大量に放出して。

 放たれた言葉は村のエルフたちを怯ませるのに十分であった。

 祭壇回りに集まったエルフたちはかあさんとねえさん含めてそれぞれ頷きあうと、森の木々に跪いた。


「「「「「我らエルフは森と運命共同体。森死するとき、エルフもまた共にする。我らの神フォーレン様、どうか救いを!」」」」」


「理解不能でござるね。先祖の戯言を信じる者は。ライカ殿は? ここで森と運命を共にするか。はたまた、見事ブレイジング・ゴブリンを討ち果たし、百合の楽園、もとい自分の夢を叶えるのか」


 ……そんなの決まっている。

 言われるまでもない。

 嫌なんだ……無力でいるのは。

 おれは自分でどうしようもない人物だと分かっている。

 そんなおれでもねえさんを、村のみんなを守りたいと思ったんだ。

 おれはぐっと拳を握りこむ。


「倒す! 夢を叶えるために!」


「難しいでござるよ? 文字通り天と地の差があるでござる」


「それでもやる。ここで挫けたら終わりだから!」


 くるみがふっと笑う。


「その意気や良し! 実際、ここで死んだらもう二度と、女の子のお腹や胸を眺めることも触ることも——」


「止めおー! このやおぉー!!」


 裂ぱくの気合を込めておれはくるみに殴りかかる。

 それ隠しているんだからな! 

 ほら見て、村中のみんなポカンとしているじゃん!

 急に何を言い出すかと思えば、ほんとこの師匠っぽい何かは!

 そしてこの師匠は無刀流の動きかなんか知らないが攻撃を平然と捌いていた。

 構えが無い癖にどうして攻めにも守りに転じられるのか。

 くるみはくつくつと笑う。


「それでいい。冒険者の心得、それは何事も楽しむことでござる。笑うことでござる! みんな馬鹿な夢を抱いて冒険する。それこそが冒険者!」


「こんないんうつとしたくーいのなぁをあーのちぃめうかぁ!」


「ライカ殿、何を言っているのか分からんでござるよ」


 こんな陰鬱とした空気の中を楽しめるか、って言いました!


「さぁさぁ今回果たし合うはブレイジング・ゴブリン。相手にとって不足なし。ライカ殿の祝福すべき門出でござる! ライカ殿、とにかく楽しむ。苦しくても、最後は楽しかったで終われることこそ【冒険】でござるよ!」


 明らか場違いなんよぉ。くるみぃ……。

 せめて時と場所と空気を読もうよぉ……。

 後世に語り継がれるよ?

 エルフ存亡の危機の中、全力で楽しもうとするのが冒険者だって。

 

 けど、ありがとうな。

 おかげで気合が入ったわ。

 ズドォォォォォォーンと大地を揺るがすけたたましい轟音が鳴り響く。

 ブレイジング・ゴブリンがもう十メートル圏内にいるのだろう。

 灼熱の爆炎がキノコのように朦々と立ち昇った。


「ライカ! なにして――!」


「いってくりゅ! くりゅみー、しゃぽーといいー?」


 舌足らずの口調だと閉まらねぇななんて考えながら、言い切ったおれは全身に闘気を身に纏う。

 ぽちゃんと、意識が沈んでいく。

 冷たい。

 寒い。

 どこまでもどこまでも。

 海の底へ沈んでいく。

 心地よい感覚。

 動きやすい感覚。

 力が倍増する感覚。

 今ここは、おれにとって水中へと変わる。


「よしっ、準備万端だ」


 へぇー……良いこと知った。

 闘気を身に纏うと口調が矯正されるのか。

 ねえさんが懇願するかのようにおれの手首を掴んでくる。

 目元をウルウルと震わせて、それでもおれを止めようと意思を瞳に込めている。


「待ってライカ……。敵わないよ。パパたちみんなでも無理なんだよ!」


「だから戦うんだよ。大丈夫だよ、ねえさん。今のおれには力がある」


 ねえさんの手を軽く振りほどいたおれは、爆心地目掛けて駆け出していた。

 ――速い。

 波がおれを味方してくれるかのようだ。

 おれの視界に広がる水中では、足回りに波が広がっていた。

 その波は自動的におれの目指す目的地目掛けて動いてくれる。

 恐らくこれが、サーファーがいつも味わっているのと同じものなんだと思う。

 確かそう、これはヴァイキングのスキル、【波乗り】!


 これなら間に合う!


 走り続けろ!

 息を絶やすな! それでもって速く!

 あいつが来る前に止めるんだ!


 走れる。走れている。筋力脆弱なエルフでも。

 ——身体を鍛え続けた影響が現れている!

 燃え盛る大木が映るようになってきた。

 熱気が頬を撫でる煙臭い炎の道を駆け抜ける。

 そこでおれが見た景色は……、


 ——地獄だった。


 炎。

 業火で燃え上がる紅の森。

 また一本、音を立てて大木が真ん中辺りから崩れ落ちた。

 一面炎の大地の中心で、悠然と立つのはひとりの剛鬼。

 その者、鉄をも融解せんばかりの熱を身に纏っていた。


 五メートルの巨体。額からは小さく反り返った一本の角。

 血の色と同じ深紅に染まる修羅の瞳。両手首に巻かれるのは数珠。

 その顔は何を思っているのか分からないが、どこか苦しそうだった。

 森を地獄に塗り替えた修羅が雄たけびを上げる。

 それだけで大気が震え、空気が弾ける。おれも耳に手を当て、鼓膜を守る。

 ——息苦しい。

 この場にいるだけでも。


 あれがブレイジング・ゴブリン……。

 膝が笑っちまうほどの重圧感がそこにあった。


「だから何だよ」


 おれは自分でも信じられないほど自然と、口から心境を吐露していた。

 ここに立てている。

 そして拳を強く握れる。

 それだけで今は十分!


 ――ブンッ!

 振り下ろされる剛腕。

 退いたおれの目に映ったのは、先ほどまで立っていた地面に軽くひびが入っている光景だった。


 ……一撃でも受けたら間違いなくアウトだな。

 くるみに鍛えてもらったおかげで攻撃が見えるのは幸いか。


「グァオオァァァァ」


 ブレイジング・ゴブリンが拳を振り上げた!

 おれは拳の端に身をねじ込む形で避け、ブレイジング・ゴブリンの腕を掴んだ。

 ジュー! っと、皮膚を焼き尽くす音が響き渡る。

 当たり前だ。

 水中だと思い込んでいるだけで水中ではないのだから。

 この水だって、本当は闘気で練り上げたものが実体化しているだけに過ぎない。

 けど、


「おれは燃え尽きねぇーぞ!!」


 おれはブレイジング・ゴブリンの腕に指圧を込め、一息でその上に飛び乗った。


「ぶっ飛べ!!」


 一点集中。

 右手に力を込めろ!

 最初の一撃は強く抉れ!

 おれは獣の気迫を上げてブレイジング・ゴブリンの頭を殴り飛ばした——!

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