異常な倫理観と価値観
「でかしたな、二人とも。今、蛮族共が計画概要を喋ってくれた。奴らはどうも、我らの聖域にて【ブレイジング・ゴブリン】なる魔物を作り出そうというのだ」
侵入者を尋問し終えたこの村の村長、リンドマンさんが祭壇の上に立ち、おれを含めた村のみんなに告げていた。
リンドマンさんの後ろにいるのは、丸太に括り付けられた侵入者たち。
自由に動かせるのは、頭と足だけ。
それ以外は寸とも動かない。
脱走したら魔法トラップが発動して、串刺し刑になるらしい。
あれはもう、開放的な牢獄だ。
それは置いといてブレイジング・ゴブリン。
聞いたことがない名前だ。なんというか、
「なにそのカッコいい響き!」
「「かっこよくない」」
リンドマンさんとねえさんに声を揃えて怒られてしまった。
くるみは知っているのかなと目を向けてみると、首を縦に振っていた。
隣のねえさんは「獣でも知っているんだ」と息を零す。
なんで逐一喧嘩を売ろうとするの? 戦士を知らないねえさんや。
リンドマンさんはひとつ咳払いをして話を戻す。
「ブレイジング・ゴブリンとは、
「なにそれカッコいい!!」
「「かっこよくない!」」
再度ねえさんとリンドマンさんが口を揃えた。
説明の仕方が悪いよ、説明の仕方が。
一番悪いのはひとりだけ危機感薄いおれなんだけどさ。
けどエルフ全体からしてみれば、本当に悪辣極まりない方法なようで。
広場に集まっていた皆々が口々に侵入者と逃げた外套の人物を罵っていた。
「しかしなぜブレイジング・ゴブリンを放つんですかね?」
「どうもこの村に眠る【宝】が目的らしい。そのために変えが利きやすく、居ても何ら不自然じゃないゴブリンを使役。八年も前から森に放ち村を探っていたらしい。ブレイジングにした理由は、単にエルフ共に対して強く出れるからだろう」
八年前……というと、ねえさんがゴブリンを倒した時と同じ年か。
あの時放たれたゴブリンもあの外套の人物が原因……?
リンドマンさんはそんな村のみんなに「止めんか!」と一喝すると、再びおれと視線を合わせてくる。
「ライカ、お前に言いたいことが二つある。ひとつ、これは他の子どもたちも聞いてくれ! ブレイジング・ゴブリンはワイバーンと同格、もしくはそれ以上の力を有しているとされている!」
……マジ?
冒険者で世界を見ているくるみに目を向けてみると、頷きという形で肯定された。
マジ?
それレベルで強くなるの? ゴブリンが?
「ブレイジング・ゴブリンは、我々、厳選した部隊で討伐に向かう。帰ってくるまでの間、各々決して村を出るな。いいな! 特にライカとそこの兎獣族!」
リンドマンさんはこちらに目を向けると、名指しで注意喚起を飛ばした。
子どもの中で、採取以外の目的でよく村から出るのといったらおれくらいだからね。
分かったとおれとくるみは頷いた。
訝しむ眼差しのままに、リンドマンさんは柱に括り付けられた侵入者たちを指さした。
「では二つ目だ。あれはどうする」
「えっと……それ、おれが決めないとダメなんですか?」
「無論だ。狩った者が獲物の生死を決める。それが我らエルフ、否狩人の掟だ」
リンドマンさんの言葉を聞いた途端、侵入者たちは射殺すような殺意と共におれを睨みつけた。
――殺す? 生かす?
頭の中が何も考えられず、空白になっていく気分を味わっていた。
……そこまで考えていなかった。
というかそこまで考えが及ばなかった。
だって日本だったら、一般人は人を裁かない。
裁くのは法律を学んだ裁判官だ。
だけどここはエルフの森。
この村に掟はあれど、法律は無い。
決めるのは狩った狩人本人。
人間の町に行けば警邏兵がいるだろう。
けどこの村は……閉鎖的だから。
おれは人間を殺すなんてこと、考えもつかなかった。
だからと言ってここで生かしたり、逃がしたりすれば過ちを繰り返す可能性がはるかに高い。
そもそもねえさんに手を出している時点で許すなんて選択肢は無い。
誰かがおれの肩に手をやってくる。
「ライカ殿、ライカ殿。そいつら町のお尋ね者でござる」
「……マジ? なら——」
くるみの申し出はおれにとって正しく希望の光だった。
くるみに任せればあとは何とかしてくれる。
藁にもすがる思いをくるみに向けた瞬間だった。
「ダメだ」
おれの思いを踏みにじるかのような声音が祭壇上から放たれた。
恐る恐る声のした方へ目を向けてみると、リンドマンさんが腕を組んでいた。
眉をピクリとも動かさない表情で、もう一度おれを「ダメだ」と突き放してきた。
はっきりとした決断だったのに。なんでダメって言われたのか。
おれは唇を震わせ、掠れる声で呟いた。
「なん……で」
「そこの兎獣族が逃げると考えつかなかったのか? 今までは警戒を無くさせるためだったとは? はっきり言って信用ならないな。もしそいつが逃げ出したら、ライカの研究は成り立たなくなるぞ。良いのか? それに……」
リンドマンさんはくるみを一瞥する。
何を考えているのかまるで分からないその眼で。
くるみが逃げる?
そんなことは無いと思う。
けれど自分自身の感情だけでエルフを説得できるとも思えない。
茫然自失になっておれを置いて、リンドマンさんは最後に侵入者へ振り向くと、張り裂けんばかりの声を上げる。
「こやつらの処遇を見送る! ゴブリンは確か、ウルップ!」
そうしてリンドマンさんはウルップさんを呼び出すと、早々にブレイジング・ゴブリン討伐部隊の話しを進め始めてしまった。
どうして……。
リンドマンさんはおれに殺させたいのか?
それとも人に頼るなって言いたいのか?
思考が一巡する。
周りに周って分かったことは、おれという日本人としての価値観と、エルフの価値観はまるで違うということだ。
そして、天才の頭脳など分かりようがない。
リンドマンさんの言葉は遠くなる。
なんだか自分だけが世界から切り離されたかのような感覚だった。
……どのみち、
その日の夜、とうさんは討伐部隊に駆り出されたので、かあさんとねえさん、おれとくるみを含んだ四人での食事だった。
味はもう覚えていない。
ねえさんに身体を洗ってもらっても、おれの心は現実に存在していなかった。
くるみはミサキの少女の面倒を見るとのことでいつも通りリビングのソファーで就寝。
ねえさんとおれは部屋に戻り、いつもの日課をこなしていた。
突き出し窓から不穏を煽る月明かり入ってくる。
ねえさんの使う光球はぼんやりと暗い部屋を照らしていた。
机に向かうねえさんの羽ペンが紙の上を走る音と、本のページを捲る音が妙に耳を刺激する。
いつもはどこか心地よい音なのに、今日に限っては少し耳障りに感じていた。
ねえさんといる空間なのに心も全く踊らない。
「……いつもとキレがないね」
パタンっと本が音を立てて閉じられた。
コツンッっと、羽ペンが新鮮なインクを求めて瓶を鳴らした。
今日の研究はひと段落着いたのだろうか。
ねえさんは両手でおれの頭を胸の内で抱え込むと、ぬくもりを感じさせる手つきで撫でてくれた。
いつもの緑風と春風の混ざる爽やかで甘い匂い。
月明かりに照らされて映るねえさんは、まさしく絶世の天使で。
ねえさんは桃のように透き通る薄ピンク色をした唇が上下に動かした。
「大丈夫?」
「……えっ、うん! 大丈夫だよ。どうしたの?」
「嘘つかなくていいんだよ。ほらっ、今日は汗を掻いていない」
ねえさんはおれの額をそっと撫でる。
見せつけるようにおれの前にその手を持ってくる。
——濡れてなどいなかった。
ねえさんは少し企むような表情をすると、その手をおれの鼻に近づける。
ごめん。分からない。
ねえさんはそのままゆったりと眠ってしまいそうになるほど、安らかな言の葉を紡ぐ。
「ライカはいつも欲望に目をギラつかせたバーサーカーみたいだから」
「それ明らか近づいちゃいけない系の人物ですよね?」
ねえさんは唇を閉ざすと、温かな笑みでおれの頭を撫でてくる。
分からない。
ねえさんが何を言いたいのか。
いつもねえさんが女の子の友達と表情で会話をしているのは目にするけど。
……分からない。
「止めなよ。無駄だよ?」
「今更止めるって……何を」
ねえさんは窓の外、未だ広場に括り付けられている侵入者たちを指さした。
「あれは蛮族。魔物と同じ。殺した方が早いよ?」
「……いや、……それは」
ドキンと心臓が口から飛び出そうになった。
今のねえさんの表情はわかる。
さしずめ、図星だと勘ぐっている表情だ。
どうせバレているか。顔は簡単に感情を表すから苦手だ。
ねえさんはさも当たり前のように言い切る。
「ライカがなんであれに愛着を持っているのか分からない。普通は殺すよ? ゴブリンと同じ」
「もし、それがエルフでも?」
言い訳しようとしたおれの口に、ねえさんは手のひらを被せてくる。
ねえさんはパッと目を見開いて、おれと侵入者を交互に見つめる。
分かっている。分かっているんだ、そんなこと。
この世界からしてみれば、おれの持つ倫理観の方が異常だってことくらい。
侵入者を許さない気持ちは当然ある。
けど、転生前に持っていた人間の心は人間を殺したくないって思っている。
自分勝手なエゴ……、自分の夢とは何ら関係の無い。ね。
「……そっか。ライカは優しいね。そのうえで、わたしなら殺すよ。確か図書館の方に変異の魔法があったはずだから、それを使ってみよっか? ——殺しやすくなるよ? 人の見た目じゃないから」
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