ライカの青い瞳

 しかし足音はまだ鳴りやまない。

 ザザッと茂みが揺れ動き、おれとねえさんの後ろからさらに20体のゴブリン。

 前にいるのと合わせて40体のゴブリンがその姿を白日の下に晒した。


 たかがゴブリン。

 されどゴブリン。

 今のおれから見て、小学校中学年くらいの背丈しかないゴブリンでも大きな存在に見えた。

 ——勝てない。

 直感的に感じた。

 感じてしまった。

 震える足に鞭を打つ。

 しかしそんなものを待っている暇を与えず、ゴブリンたちは数による総攻撃を仕掛けてくる。


 ——どこにこんな数が居たのだろうか?

 ねえさんはおれを庇うように後ろへやると、片腕を振り上げた。

 次の瞬間である。


「ライカに近付かないで!」


 ゴブリンたちが宙を舞った。

 ねえさんは虚空に魔法陣を浮かせ、その中から無数の石の弾丸飛ばしていく。

 森を傷つけない程度の威力で爆音が鳴り響き、夜の森に溶けてゆく。

 しかし敵の数は多かった。

 40という数は、ねえさんの魔法程度では対処できないほど多かった。

 ねえさんはおれをどうにかこうにかゴブリンの手が触れないよう立ち回る。

 次の瞬間である、ねえさんの放った石の弾丸が土の防壁によって受け止められたのだ。


「メイジ! なんでこんな場所に」


 ねえさんの視線の先には魔法使いの姿をしたゴブリンが四体も佇んでいた。

 よく見れば、おれの後ろにいる群れの中にも三体紛れ込んでいた。

 合計でゴブリンメイジが七体。

 ねえさんだけで対処できる数を遥かに超えていた。

 けどそれがどうでもよくなるほどの光景が、目の前に広がっていた。


「……どうして」


 ねえさんの言葉通りだった。

 ゴブリンたちの顔は何の色にも染まっていなかった。

 まだ女二人を苗床にできる喜びに顔を染めていた方が……いや、それも嫌だ。

 ともかく奴らは無表情だった。

 まるで機械か何かのように。

 ただ目の前に獲物がいるから殺す。

 そんな風だった。


「大丈夫。安心して」


 ねえさんはいつもと変わらない和やかな顔と手つきでおれの頭を撫でてくれる。

 ただおれは守られるのみ。

 ……ただただ情けなかった。


「グッギャーギャラワラワ!」


「ねえさん危ない!」


 ねえさんの魔法を偶然にもすり抜けて、ゴブリンが背後から飛び掛かってきた。

 やってやる!

 おれはこのために鍛えて来たんだ!

 守られてばかりじゃいられないと、おれはやぶれかぶれでゴブリンへ拳を飛ばす。

 ぺシッ!

 おれの手がごつごつとした皮膚に当たった感触。


 おれの目の前に何食わぬ表情のゴブリンがいた。


 効いてなどいなかった。

 どころか、痛がる素振りすらなかった。


「ライカッ!」


 ねえさんが叫んでいた。

 ……ほんとおれって、こんなにも無力なんだな。

 ゴブリンが棍棒を振り上げた。

 おれは目を閉じる。

 来る衝撃に備えて。瞼に力を込める。

 ああ、嫌だなぁ。ゴブリンに捕まって、おれはどうなるんだろうな。

 ——絶望。

 その二文字がおれの視界を覆いつくし、

 空気が爆発するかのような炸裂音。

 何かが貫かれる音と倒れる音が耳に響いた。

 いつまでも衝撃が来ない。

 恐る恐る目を開いてみればゴブリンが倒れているのが見えた。

 地面に突き刺さったのは鋼鉄の刃。


「大丈夫か! ライカッ!」


 聞きなじみのある声が降ってきた。

 空を見上げればとうさんがいた。

 いや、とうさんだけじゃない。


「ゴブリン風情が私達の愛娘に汚い手で触れようとするなんて良い度胸じゃない」


「うっわ、これだから蛮族は。レイラ、大丈夫!?」


「レイラちゃんのために頑張っていきますよ~」


 かあさん、リンドマンさん、ツバキにコスモス、みんながいた。

 そこからはもう、一瞬でここがゴブリンの墓地と化した。

 月明かりが照らすは一方的に放たれる五色の魔法の軍勢。

 エルフの圧倒的魔力量の前ではいくらゴブリンメイジ七体掛かりで何とかなるはずもない。

 さっきと打って変わってゴブリンたちが逃げ惑い始めた。

 されど、村のみんながほとんど集まっているこの場で逃げられるものなど僅かしかおらず。

 ものの数秒でゴブリンたちは殲滅されていく様を、おれはただ茫然自失の状態で眺めていた。


  *  *  *


 悔しい。

 何もできないのがこんなに歯がゆいなんて。

 努力をしようにもできる環境じゃないのがこんなに辛いなんて。

 得意なことが分かって嬉しかったのに、逆を言えば素手しか使えねぇってことじゃねぇか。

 柔道という名前を知っているだけで、柔道の技を再現しようとしているようなものだ。

 見たことも、聞いたことも、それこそビデオもない状態で。


 なんなんだよ、クソっ!


「パパっ!」


 地に降り立ったとうさんにねえさんが抱き着きに行く。

 とうさんはねえさんの頭を「頑張ったな」と撫でおろすと、次に「よく泣かなかった」とおれの頭も撫でてくれた。

 安心する気持ちは湧かなかった。

 むしろ、何か例えようのない恐怖がおれを囃し立てた。


 魔力が無い恐怖と、排他的なエルフの村に対する恐怖。

 ヴァイキングについて分からないのは良い。

 しかし戦士についても分からないのはどうなんだ。

 ここに居たら、おれはいつまでも戦士のことを分からず生活することになる。


「しっかし、なんであんなにゴブリンがいたんだろうな」


「さてな。メスとの繁殖時期とかじゃね?」


「妖精同士交配できるとはいえ、ゴブリン同士の方が速いだろ。エルフを襲うメリットが無い。どっちかと言うとそう……、誰かが裏で操っている方がしっくりくる」


 みんなはもう、ゴブリンの群れが現れた原因についての話題に移ってしまったようだ。

 より一層警備体制を強くするとのことでこの場はお開きとなった。


 あとで聞いた話、この世界のゴブリンは積極的に他種族の女を狙う習性は無いらしい。

 ゴブリンにも女はいるから。

 そもそも自分とは見た目も身体の構造も性質も違う種族の女と繁殖する文化は無いらしい。

 ……知ったところで力の差を分からされるだけだったんだけどね。


  *  *  *


 家に帰ったおれは、真面目に修行のために、こっそりエルフの森から抜けることを視野に入れていた。

 もう二度と村には戻れないと知っているうえで。

 森を絶対なる神聖の地とするエルフにとって、外の世界は穢れに穢れた不浄の地。

 そんな外の世界の踏み込むという行為は、身体を穢れさせることに他ならない。

 再び入ったが最後、おれは穢れた者として敵対する破目になるだろう。


「どうしたの?」


 おれは自分でも気づかずに溜息を吐いていたのだろう。

 かあさんが心配そうな面持ちで、サラダに伸ばしていた手を止めていた。

 別に心配することじゃないと伝えるために、おれはレタスみたいな野菜、サバイブを何枚も重ねて口にほおばった。


「ヴァイキング、海について関する本がどこかにないかと思って」


「別にライカが魔法や弓を使えなくても追い出すなんてことしないわよ」


 だとしても、そのままなのは自分自身が嫌になる。

 だって中身は男だから。

 エルフの森の外を見たいから。

 女の子同士仲良くやっている楽園を見てみたいから。

 女の子を助けられるほど強くなりたいから。

 そのままなんてのは絶対に嫌だ。

 あと、肉が食いたい。

 エルフは菜食主義が過ぎる。


「私が守るから危ないことはしなくていいんだよ。ねっ?」


 ねえさんも、頭を撫でてくれる。

 けど今のおれからすれば、優しさという名の暴力に他ならない。

 よりおれは守られる立場でしかないことを自覚させられる。

 とうさんが朗らかに笑いながら、仲裁の船を出してくれる。


「ライカはまだまだ若い。この先何100年と先があるんだ。やらせてあげなさい」


「そうね。でも話は別。ライカはまだ三歳なのよ。分かる? まだ、三歳、なのよ。もしも今日と同じ目にあったら……」


 かあさんにそう言われては、輪の中に入ってきた勇者とうさんも目を逸らすしかなかった。

 侵入者が来ないよう見回りをして、村を守るとうさん。

 それでも家の中では絶対に勝てない。

 ぶっちゃけるとかあさんの心配も分かる。

 エルフって普通30歳くらいまでは四つん這いだから。

 おれのように三歳の時点で二本足の方がはっきり言って異常なのだ。

 おれを自由に歩かせているのはひとえにねえさんが居るからだったり、意味もなく村から出ることはないと分かっているからだったりする。


 とうさんは誤魔化すかのようにコップを呷った。

 もうないのに。

 何か話題を探すかのように顔を動かし、ふとおれと目が合った。


「そうだ! ライカの目が群青に変わったのは前年の今頃くらいじゃなかったか?」


「話を逸らさないで」


「はい」


 今……なんて言った?

 瞳の色が……群青に変わった?

 おれの脳にピキィーンと一筋の電流が伝った。


 言われるまでなんで気づかなかったんだ。

 確かにとうさんもかあさん、ねえさんも、村のみんなも。

 おれと違って残らずエルフの標準ともいえるレモン色の瞳だ。


 じゃあ、なんでおれの瞳は群青色なんだ?


「実際どうしてだろうね? 魔力が使えないこととの関係性は」


「過去に瞳が群青になったって記録は無いし……。劣性とか? けど他にいないから、エルフにとっての劣性かどうかの統計が取れないし」


「外部的な要因は? ライカはほらっ、ちょうど二年前に——」


 とうさんの一言で食卓は一気に考察のムードに入っていた。

 止めて、頭痛い。

 なのでおれは一刻も早くこれだけは聞いておきたいと、テーブルを叩いて家族の目を集める。


「とうさん、おれの目の色も、元々黄色だった?」


 隣からねえさんに「行儀悪いよ」と脇腹を突かれる。

 物凄いくすぐったい。くすぐったいけど、今は気にしている場合じゃないんだ!

 ずっとおれの目は群青色だと思っていた。


 異世界転生チート能力。


 あれのおかげで他の子と違って、立てるし喋れるし、エルフの中でも身体が強いんだって。

 そういうものなんだって、ずっと思っていた。


 とうさんは「あ、ああっ」と戸惑いを隠さぬ顔で頷いて口を開いた。


「ライカは元々、僕らと同じ目だよ。青い瞳になったのは、ライカが一歳の頃だ。あのときライカは蔵で――」


「蔵か! ごちそうさまでした!」


 おれは癖で両手を合わせると、すぐに家の蔵がある場所へと飛び出した。

 ずっと探していた手がかりが見つかるかもしれない。

 もしかすれば戦士やヴァイキングについて何かわかるかもしれない。

 灯台下暗しとはまさにこのことだ。

 ヴァイキングの手掛かりを手にしたおれは、有頂天の気分で蔵へと向かっていった。

 ――この行動からおれにとって、すべての幕開けとなる。

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