ゴブリンと無力なおれ


「なんも見つからねぇ」


 おれは資料と論文の紙束に埋もれながら、図書館の床に寝そべっていた。

 何だよ、脳と身体が直結したドワーフは我らの気高さ、研究テーマを一ミリたりと理解できぬ短略思考を体現した愚族って!

 矮小なるヒュアンは己が利益のためなら平然と自然を破壊するうえ、意味なく略奪を行うから嫌いだとか!

 その点エルフは自然と神々の教えを守り、常に思考と施行を繰り返す偉大な崇高種族であるとか!

 計算の結果偉大なる神々の魔法で一網打尽にできたが、泣いて許しを請う姿を容易に想像できるので、優しく尊大で尊き我らは許してやっただとか!


 獣人ワービースト族、天翼アウェス族、龍人ドラゴニュート族、魚人マーマン族、小人リトル族、果ては天人に至るまで全部見下した内容ばかり。

 しかも「こんなの一般常識だろ」ばりに専門分野強めな魔法術式の名前を解説無しで書くのはやめろ!

 三次元術式だとか、次元式時空間術式だとか、種族の名を関した術式だとか、そんなの分かるかぁ!


 はぁ……はぁ……心の叫びなのに息切れだよ。


 ……ほんと、どうしてこう。

 解答を書いてもつまらんだろうから今後未来ある若者に対する課題とする、どうせ解けないだろうがな! みたいなことやるかなこの種族。

 最後のページに挟まれた証明終了の紙が物凄い哀愁を醸し出していんぞ。

 しかもなんかめっちゃ粗を指摘されているうえに、もっと他の方が書いた論文を参照しましょうとか、二十冊くらい名前ありで書かれていたし。

 ……頭痛いよぉ。


「見つかった?」


 ひょっこりと分厚い魔導書と研究書、論文をそれぞれ五冊づつ空中浮遊させたねえさんが顔を出してくる。

 なんやかんや言いながら、ねえさんもキッチリ魔導書や研究書関連を発掘していたみたいだ。

 なんか……ねえさんの顔見ているだけで幸せだわ、ほんと。

 世にねえさんのあらんことを。

 おれは床に転がりながら、ねえさんに上目遣いする。


「ねえさん……、エルフは滅びるべきだよ。きっと」


「……どうしたの? なんで?」


「……他種族を見下して自分たちを上げる。しかもこれが種族全体で行われているって……」


 ねえさんは腕を組んでおれの話を真摯に受け止めてくれる。


「うん、誰かを下げて自分を上げる行為は確かに良くないね。種族としての性格、性質、歴史、環境に文化。考え方が合わないのはしょうがない。けどその感受性を受け入れて、両者の立場も受け入れて、全て同一線上のものとして扱うライカの考え方はとても大切なことだと思うよ」


 ねえさん、3ちゃいに話す内容じゃないです。

 ねえさんはおれに語った後に「今のライカには難しいかな?」なんて少し困り顔を見せる。

 可愛い。

 ねえさんは続ける。


「わたしの研究にも他の種族を取り入れてみようかな」


 頬に指をあてて可愛らしく考え込むねえさん。

 流石はエルフ。

 寿命が長い分、何かしらの研究に時間を費やす博識種族。

 今日会ったツバキとコスモスから、とうさんとかあさんに至るまで、村中のみんな何かの研究に没頭している。

 ちなみにねえさんのテーマは……なんだったっけ?

 無駄に横長い文字ばっかだった気がする。


 エルフに夢見ていたのかな、おれ。

 身近なことをやってくれる転生人の最初の愛妻ってイメージが滅茶苦茶強かったんだけど。

 あと大人のシナリオ担当。


 その実、研究好きで書に顔を埋め森に籠る偏屈集団っていうね。

 割とマジメにある日突然強大な敵が現れて、なすすべなく蹂躙されそうな展開がありそうで怖いんだよなぁ……。

 せめて後数時間ほど探してみるべきか。

 やる気を新たに起き上がろうとするおれを抱きしめて、ねえさんはしゃがみこんで頭を撫でてくれる。


「役に立たない知識でも勉強するのは良いことだよ。えらいえらい」


 温もりのある心地よい天使の手つき、脳をゆったりと転がす安心する声。

 それから密着したねえさんの柔らかいお腹と慎ましやかな胸。

 疲れが吹っ飛ぶようだよ。


 ねえさんは立ち上がると、おれが散らかした本を片付けようとする。

 おれは慌てて止めに入る。

 戻されるとどこまで読んだか分からなくなる!

 おれの言葉にねえさんは理解できるといった風に頷いて床に座り、魔導書を開き始めた。

 ……魔法で宙に浮かし、魔法でページを捲る。その手は何のためにあるのか。

 それから集中できていないのか、時折本の上からチラチラとおれのことを覗いている。


 ……じっと見られていると集中できねぇ。

 でも今後に重要なことなので、おれは強大な敵を打倒する自分の姿を妄想しながら、僅かな希望にかけて資料を片っ端から斜め読みしていく。

 そうして四時間は経ったろうか。

 これ以上はもう時間の無駄だな。


「ねえさん、もういいよ。帰ろう」


「うん、じゃあお片付けしよっか」


 なんてねえさんはニコニコ笑顔で本を閉じ、床に転がる書物を浮かして本棚に戻していく。

 ほんと魔法便利やな。淡い光に包まれた本が自動で本棚に戻っていく。

 なんでこんな魔法については詳しく書かれているのに、戦士は一言として無いのか。

 これが分からない。

 結局今日も戦士、ヴァイキングについて何も分からないままおれとねえさんは図書館を後にするのだった。


  *  *  *


 図書館から家に戻った後、昼食を取り終えたおれとねえさんは共に森へ出かけていた。

 かあさんに頼まれて今日の夕食に使う果実、スミンを取りにだ。

 普通のエルフなら指定した座標に転移、転移で行って帰って来れるのだが……。

 魔力? 何それ美味しいの? な、おれは歩くしかない。

 ねえさんも転移することなく、おれの隣を飛翔してくれる。


 くだらない雑談に花を咲かせたり、途中からねえさんの研究者スイッチが入ったり、目的地に着く頃にはねえさんが若干息切れを起こしていたりと色々あった。


 スミンを収穫し終えるころ、陽光は地平線の彼方へと沈んでいく。

 この世界でも、夕暮れ時は茜色の空が広がる。

 夕日に晒されたエルフの森は、また違った衣に着替えていた。


 ——今日も一日が終わる。

 こんな幻想的な風景を楽しめるのは異世界だけ。

 ゲームの中の、幻想的な田舎の日本を映し出したって感じ。

 ほんと、すごく、綺麗だ。


 籠一杯にスミンの果実を詰めたねえさんが、おれに手を差し伸べて聞いてくる。


「持つよ」


「ねえさんより力あるし。むしろこっちが持つよ」


「……ダメ」


 不機嫌さを隠そうともせず、ねえさんは伸ばした手でおれの手を握った。

 そんな強く握らなくとも……。逆に痛そうだけど。

 なぜかむすっとした顔のねえさんにおれは乾いた笑みを向けると、すぐ後ろで何か物音が聞こえた気がした。

 

 ……ザザッ。

 今度ははっきりと聞こえた。

 軽い足音も聞こえる。

 ……エルフじゃない。

 ねえさんも気づいたようで、おれに「速く歩くよ」と耳打ちして飛翔の速度を速めて行く。

 ザザッ、ザザッ、ザザッ。

 正体不明の不気味な足音が平常心を煽らせる。

 太陽が沈む。

 代わる代わる闇に照らされたエルフの森は、1本1本の木から凍てつく空気を排出していた。

 視界が狭まる。

 ねえさんがライトの魔法で光球を打ち出してくれる。

 それがむしろお化け屋敷で渡される数少ない光源みたいで、暗闇での恐怖心を余計に煽らせる。

 心臓が激しく鼓動する。


 ——怖い。

 ——力を持っていないのが。

 暗闇はさして怖くない。

 一番怖いのは、その暗闇から来る恐怖を討ち払う力が無いこと。

 もし力があれば、何かあっても対処できるのに。

 ねえさんを励ますこともできるのに。

 自分自身の無力さにおれは拳を握る。

 爪が食い込んでも痛みは無く。

 どれだけ痛感したとしても、されど現実から迫る恐怖はいともたやすく塗りつぶしてくる。


 おれの心情を察してか、ねえさんは握る手の力を強めてくれる。

 震えを隠すかのように、気丈にも前へ進む。


 おれは「大丈夫だよ」その一言さえ喉に詰まって出てこなかった。

 やがて、不安を駆り立てていた存在がおれとねえさんの前に躍り出る。


「ぐぎゃ!」


 それは一見、おれよりも少し大きい子どもの姿をしていた。

 夕闇に照らされるはおよそ不健康そのものな深緑の身体。

 額からは小さな二本の角が突き出ており、おれたちとは違う生物だというのを物語っている。


「グギャラガァ!」


 小さな蛮族はおおよそ意味があるとは思えない呻り声をあげた。

 ゴブリン。

 雑魚の代名詞ともいえる存在がおれとねえさんの前にいた。

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