第7話 旅行の終わり
それ以降の旅行も、二人楽しく過ごしていた。兵庫から東京に戻るように進み、その道々で興味のあるところを歩き回った。航は、樹奈にペースを握られているのは変わらないが、徐々に彼女との距離感は近くなり、今では二人一緒のベッドになっても、動じないほどにはなった。無論、彼がそれを望みはしないが。
世間ではすでに学校が始まっている時期であり、大学生の航も例外ではない。それにもかかわらず、彼が旅行を続けているのは、彼が授業を入れていないというわけではなく、たださぼっているだけだ。そのため、そろそろ出席数などを考慮すると戻らざるを得なくなった。およそ二週間の旅行。
「最後に、行きたい場所でもあるか?」
「あるよー。」
そう言って、彼女が伝えた場所は、美術館だった。全国的に有名な美術館ではなく、東京からは少し離れた場所になる。
「ここだと、帰るのは明日か。」
「まずい?」
「いいや、大丈夫だ。翌週から欠かさず参加すればいいだけだ。」
「本当に?」
「ああ。そもそも、俺は初めから大学が始まる前には帰るつもりだったしな。それを、ここまで延ばしたのは、樹奈との旅行が楽しかったからだよ。だから、ありがとう。」
「急にそんなこと言われると照れるねー。けど、感謝するべきは私の方だよ。ありがとね。」
二人は電車で、最寄りの駅まで向かう。乗り換えはなかったが、最寄駅からが少し遠かった。
航は、駅を降りてすぐさまスマホを開く。
「何それ?」
「ん? マップだが。」
「え? それが? ちっちゃいんだねー。」
「ん?」
「ああ、地図ってさ、もっとこう紙を広げるイメージっていうかさ。そんな小っちゃい四角に収まっちゃうんだなーと思って。」
「小さい四角? お前、これのこと知らないのか?」
「え? 何それ? そんな有名なもの?」
「いや、有名というか……常識だな。ていうか、俺旅行中何度か使っていたと思うんだけど……。これは、スマートフォンだ。今日ホテルに着いたら少し触らせてやる。」
「ああ、なんか気になってはいたけど、なんか真剣そうな顔してるから聞きにくくて。なんか面白そうなものだね!」
「そんな配慮していたのか。まあ、面白いものなんじゃないか? 今ならだれでも持ってるからな。」
「それじゃ、それを今日の夜の楽しみにして。美術館入りましょ!」
「おい、手を引くな。」
航は、機嫌のいい樹奈に手を引かれ、美術館へと入る。珍しいことに、その美術館は無料で入ることができたため、航が鞄から財布を出す準備をしていたのは無駄となった。
「うわー。すごいなあ。」
「気に入った絵はあったか?」
「いやあ、どれもいい絵だね。はあ、憧れるなあ。」
「樹奈も絵を描いていたのか?」
「ううん、私は絵の才能はないよ。だから、こんなに美しく、現実を表現する絵画には心惹かれるんだ。そして、私もこんな絵が描けたらいいなって思うんだよ。」
「まあたしかにな。」
樹奈が自由に動くため、航は彼女についていく形となっている。どの絵にも興味を示し、絵のその先の作者へと羨望の眼差しをしながら、絵画を離れる彼女の姿に、航は少し惹かれ、彼女をただ見つめる。
「ん? どうしたの?」
「あ、ああ。少しぼーっとしてた。」
「ねえ見て。二階もあるらしいよ。」
「行ってみるか?」
「もちろん!」
彼女は駆け足で階段を上る。航も遅れて階段を上り二階に着いたと思ったら樹奈にぶつかる。
「いって。何でそんなとこで止まってるんだ?」
航が声をかけても、樹奈は反応をしない。
「なあ、おい!」
「え、あ。ごめんね。つい絵に夢中になってたの。それで、どうかした?」
「いや、そんなところで止まらないでくれってだけだ。」
「あ、ああ。たしかにそうね。ごめんなさい。」
「なあ、あそこに休憩用の椅子があるし座ろうぜ。」
「いいえ、私はもう少しこの絵を見ているわ。」
「そうか。」
樹奈が立ち止まるほどの絵が気になって、航も二階に飾られている絵を見る。二階は、それほど広いスペースではなく、絵は一枚しかなかった。しかし、その一枚を見て航も体を硬直せざるを得なかった。航は、その絵を見たことはなかった。画家も不明で、さほど有名な絵ではないかもしれない。しかし、彼にとって、これほど忘れられない絵は存在しなくなった。ピカソ、ゴッホ、ダ・ヴィンチなど、有名な画家、それとともに思い浮かぶ絵画はあるだろうが、それと比較にならないほどの印象が植え付けられたのだ。
二階に飾られている絵は、一人の少女と、大きな青色の桜が描かれていた。そして、少女と桜から離れるように一人の男性が描かれている。少女は間違いなく樹奈であり、大きな青色の桜は、あの街の桜であった。
「おい、なんだこれ?」
「……そうね。見たまんまよ。これは、私。そして、彼は前に私がついていった人。」
「話したくないなら話さなくていいんだぞ。」
「え? ああ、もし私の涙に気を使ったのなら大丈夫。これは、嬉し涙? それは少し違うけど、少なくとも悲しくて泣いているわけじゃないから。」
「けど、お前はきっと振られたんだろ?」
「まあ、それには慣れてるからね。ただ、彼がこの絵を完成したのなら、良かった。」
航は何も言えず、ただその絵を眺めていた。その瞳が何を思っているのかは分からなかった。樹奈はそんな航を見ながら涙を拭き、一階に降りる。美術館を出るとき、職員に二階の絵について尋ねる。
「ああ、あの絵はなんだか特殊でね。この美術館のみで丁寧に保管しているんだ。口外もしていないから、ここに来ないと見られないだろうね。ただ、あの絵画は人気だよ。なんだか、桜の生命力が、そしてあの絵の中の男性の覚悟というか、そんな何かが伝わってくるんだよ。ところで、君は絵画の中の女性に似ているね。もしかしてモデルなのかい?」
「え、いいえ。違いますよ。」
「そりゃあそうか。何せあの絵画は百年前のものだ。今頃生きているわけもないよね。」
「ええ。そうですね。」
「お前、気づいたらここにいたのか。」
「真剣な表情だったから声をかけられなくて。」
「まあいいさ。美術館内にいれば見つけられるしな。」
「そのセリフ、かっこいいよ。」
「急になんだよ。もう大丈夫か?」
「え?」
「ああ、気分もそうだが、この美術館はしっかり周れたか?」
「うん! どっちも大丈夫だよ。ありがとうね。」
「なら行くか。」
美術館を後にした二人は、ホテルに向かう。
「いやあ、全く噂を聞かないから、てっきり完成していないのかと思っていたのに。さすがあの人だ。あんなに素敵な絵を描いてくれていた。」
「お前、何度かこんなことしてたのか?」
「うん、私の気分で適当について行ってたの。彼は、私に対して決して恋愛感情は抱かなかったけど、優しい人だったの。」
「そうなのか? あの表情からは優しそうに見えなかったぞ。」
「あれはね、生涯を私に費やすと決めたから。いつか私が愛を知るために、彼なりの努力だったのよ。きっと。」
「そんなことせずとも、そいつがお前と付き合えばよかったんじゃないか?」
「彼は、決して私を愛せなかったから。なんていうんだろうね、同情が勝ったのかな? だから、私を助けたいと、放っておけないと、そういう人だった。」
「ふうん。てっきり、お前に愛想をついて二度と会わない意思表示かと思ったよ。」
「あはは、そんな人じゃないよ。それにしても、そんな風に見えたんだ。意外かも。」
「そうか? 一般的にあの絵をどう見るのかなんて知らないけど。」
「そんなことは何でもいいわ。私に彼の優しさが伝わったのだから。けれど、航があの絵をそのように見たっていうのも、私にとっては嬉しいかもしれないわ。」
「ふふ、絵画っていうのは不思議だな。」
「そうね。」
二人は、東京まで戻り夕食を食べてから、ホテルを見つける。
ホテルの部屋で風呂や歯磨きなどを済ませ、寝る準備は終わる。
「ああ、これ使うか?」
航はそう言って、スマートフォンを取り出す。
「あ、うん! 何ができるの?」
「基本的に何でもできるんじゃないか。さっきも使ってたように地図、乗り換え案内とか調べもの、俺は使っていないが、友達や家族と遠くにいてもたやすく会話等ができるSNS、これも使っていないが、様々なゲームをしたり、音楽を聴いたりできるな。」
「すごいね。これが、人類の技術の進歩か。」
「そうだろうけど、実際にそんなセリフは聞かないな。」
「そんなに面白そうじゃないから、別にいいかな。ていうか、航のそれ、他の人よりも何も入ってないでしょ。」
「おお、よくわかったな。そのおかげで、イヤホン接続部があるアイフォンを使っているんだが。」
「新しいと違うの。」
「ああ、俺にとってはどうでもいいんだが。」
「そろそろ寝るね。」
「ああ、おやすみ。」
「おやすみー。」
二人の旅は、つつがなく終わりを迎え、航は長らく開けている家へと帰る。一人暮らしの大学生にしては、やけに立派な一軒家。これは、賃貸などではなく、彼の所有物だ。しかも、一括払いで購入をした一軒家。
彼の家のドアには、いくつかの張り紙が、中には落ちているものもある。
「なにこれ?」
「まあ、いつものことだ。今回はずっと旅行に行っていたからな。その分量も多いが。」
「これ、なんとも思わないの?」
「もう慣れたしな。そもそも、俺は奴らに興味もない。」
「でも!」
「いいんだよ。俺はくだらない人間に、無駄な労力を割きたくないんだ。」
言葉だけでなく、行動をもって、樹奈のこれ以上の発言を制する。航は、彼女に向けて手を広げて顔の前に出した。その様子を見て、彼女もこれ以上の発言は控える。
航は、鍵を開け、樹奈を家の中に招き入れた後、いらない紙を回収して、家へと入る。
『犯罪者は今すぐに消えろ』
紙には、そう書いてあった。
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