ルンバの子

千羽稲穂

クリスマスプレゼント

 クリスマスプレゼントは何がいい? と聞いたら、彼女は「ルンバ」が良いなと答えた。だから今年のプレゼントはルンバだった。ちょっとだけ、「子ども」を買っているみたいで、僕たち夫婦には子どもはいらないと言っていたけれど、それでも嬉しかった。



《 A 》


 夫からルンバをクリスマスプレゼントにもらった。かねがね床の掃除が面倒だったので、とても嬉しかった。これで床の埃とりもルンバがやってくれる。さっそく使ってみると、ルンバは甲斐甲斐しく床を拭き取りながら動き回る。小刻みに進路変更をしながら、あっちへこっちへ。通った後には何も残さない。さながら必殺仕事人。綺麗になったフローリングは光って見えて、気持ちが満たされる。こうした綺麗な部屋は気持ちが好く。自然と私の気分も持ち上げられて。明日の仕事も頑張ろう、と背中を押してくれる。

 夫も待ちきれなかったのか、クリスマスの数日前に見せてきて「欲しかったでしょ」とそわそわしていて。私は、そんな夫が愛おしく。ちょっと早めのクリスマスパーティーをした。夫へはコートを。前から寒そうにしていたので、マフラーもつけた。新品のコートを着て、冬空の下を散歩した。毎年していた「子ども」の話は、今年はしなかった。

 ルンバはよく働いてくれた。クリスマスの恩恵とすら思えるほどに。

 家に帰れば、ルンバがこつこつと床を磨いている。しばらく見ていると、充電切れになり、部屋の隅っこにある充電器に戻っていく。まるで犬のようで、「ハウス」と言ってしまいそうになる。充電が終わったら、再び壁から離れてしゅるしゅると床の掃除に戻る。動いている時はボタンのところがピカピカと光っていて、部屋を暗くすると、イルミネーションのように輝く。それは夜空を駆ける流れ星のようで、思わず目で追いかけてしまう。そして、気づかないうちに身体ごとルンバを追いかけている。そんな姿を夫に見られて「何してるんだ」と笑われたことがあった。

「あ、おかえり」と、改めて自分の格好を見ると、仕事帰りの服のまま、ルンバと共に家をさまよい歩いていて、恥ずかしくなった。ちょっとだけ、夫から目を背けてしまう。

「か、かわいくて、つい」

「そんなに喜んでもらえるなんて。こっちとしても嬉しいよ」

「うん、ありがとう」

 以前夫に猫か犬でも飼うか、と提案されたことがあった。私は子どもが欲しくなかった。夫は少し、欲しいそぶりを見せていて。それには答えられなかった。妥協案として、犬か猫。世の夫婦がよくとる手。でも、それもなんだか難しかった。これ以上、私のタスクを増やしてしまったら、パンクしてしまうような、そんな感覚があった。子どもを持つこと自体、私には重かった。夫には申し訳ない気持ちは多分にあったし、それでもこればかりは仕方のないことだった。

 ルンバなら、上手く付き合えるような気がした。ルンバはお利口だった。自分のご飯は自分で食べてくれる。しかも、掃除までしてくれる。夫のように生きているものではないので、食事の掛け合い、家事の分担といったコミュニケーションを必要としない。便利なルンバに、ついつい「すごいねぇ」と声をかけてしまうことはあるとすれども。

 私の母や父は、ゴミを捨てるということ一つにも喧嘩をしていたし、たまにその喧嘩は私に飛び火した。「子どもの世話してよ」とわめく母の声。「仕事で忙しいんだ」と疲れきった父のぼやき。私は、大人しく部屋の隅に縮こまっているしかなかった。あるとき母に「そんなとこで丸まってないで何かやって」と一週間ほどためこんだ洗濯機の前に放りだされ、途方に暮れたことがあった。うずたかく積み上げられた服は、威圧的で怪物みたいに迫り来る。その後、どうしたのかは分からないが、中学の頃になると家事は私が全てこなしていた。そして、いつもの部屋の隅に縮こまり一日をやり過ごす。毎年この時期になると「今日クリスマスだったっけ」なんて、冷たい窓に頭をもたれかけさせて、外のイルミネーションを眺める。

 父がこなせなかった家族というものを、私は夫と何気ない日常をこなすことによって上手くやり過ごしていた。一日、今日は上手くこなせた。明日もこなそう。明日こなせたら、明後日も。そうして積み上げられた日常に、子どもを介入させるのは、あまりにも重かった。子どもと上手く日常をこなせる気がしない。家事をして、仕事をして、夫と話して、また次の日がくる。そんな日常に待っているルンバ。

「ただいま」

 思わずルンバにこぼしていた。ルンバの呼吸音が空間に静かに響いている。動くものが家にあるというだけで、こんなにも安心するなんて。つつつつ、と走るルンバの後をつける。部屋の電気もつけないで。ルンバはもうすぐ充電切れなのか壁の端っこに歩み出す。それは私がしていたことと同じ。いつも充電切れを起こしたら、部屋の隅に蹲っていたし、しゅくしゅくと家事をこなしていた。

 冷たい床に着地するルンバ。私も同じように久々に部屋の隅に蹲る。

「いつも掃除をしてくれてありがとう」

 ルンバの光が静まっていくのを見届けて、私は目を閉じる。すると、瞼の裏に幼い私の映像が流れ出す。彼女は腕を覆って目から落ち続ける涙を隠していた。部屋の隅っこは凍えそうなほど寒かった。

 しばらくすると、部屋の明かりがついた。世界が開かれると夫が「わっ」と驚いた。

「そんなところで何してんのさ」

「ルンバにお疲れ様を言ってた」

 相変わらず変な子だな、と夫は私を呆れて、「子どもみたいに可愛がってるようで」

「うん、子どもみたいでとんでもなくかわいいよ」

 ルンバの表面を撫でると、冷気がまとわりつく。ここに暖房器具を置いてみたくなった。それなら、ルンバも寒くはないはずだ。

「ねぇ、最高のクリスマスプレゼントをありがとう」

 冷たい窓に頭をもたげる。

 クリスマスを憂いることは、もうない。




《 B 》


 妻にルンバをクリスマスプレゼントとしてあげた。それからというもの、彼女はルンバを子どものように可愛がった。帰ってきたら動いているルンバに「ただいま。今日もありがとう」と喜んで挨拶をする。そんな光景が最初は嬉しかった。彼女のそういう変な行動は、付き合った当初からのもので慣れっこだった。今回なら、ルンバについて行ったり、ルンバと一緒に部屋の隅に居座ることがあったり。

「か、かわいくて、つい」と、恥ずかしそうに言っていた妻を思い出すと、思わずにやにやしてしまう。

 今年のクリスマスプレゼントを悩みに悩んでルンバを選んでよかった。


「子ども、ほしい?」

 昨年、クリスマスの夜の散歩で僕はそう思わず尋ねてしまった。彼女が他の子どもに注ぐ視線があまりにも熱かったもので。

 でも、僕の発言から一変。彼女の顔の色は蒼白に沈む。「いらない」悲鳴に似た声に胸が軋んだ。

 子どもが欲しいとかそんなことではないけれど、僕は子どもを意識しないことはなかった。二人でも十分幸せだが、子どもがいれば、もっと幸せになるとも感じていた。それなのに。

 お互い子どもができない身体ではなかった。ただ選択肢として、つくらないことを選んでいた。

 子どもができない夫婦は、こういうの買っているらしいよ。

 僕たち夫婦の選択を知らない同僚がアイボという犬型ロボットを紹介した。世の中にはいろんなロボットがあるらしく、子どもの代わりに動くロボットあるいは、ぬいぐるみを買って寂しさをまぎらわせているらしい。ありとあらゆる種類のアイボを買い、人形のように着せ替えをして、いろんな場所に連れて行く夫婦を見て、「違う」と悶々としてしまう。

 ただ、家の寂しさを紛らわせるのは大賛成だった。帰宅しても、綺麗に整頓された家があり、空っぽさを抱くことがある。大きな家に妻が収納されているのだ。規則正しく置かれた物があり、よけいに寂しさが際立っている。

 彼女は寂しくはないのだろうか。

 思わず犬か猫を飼わないか、と提案をしてしまった。彼女の反応はよくなかったが。

 ルンバはその点、僕ら夫婦に尽くしてくれた。帰ると何か動いているものがあるということ。それは、家の寂しさを小さくさせた。彼女も満足げでルンバを撫でる。「ありがとう」「お疲れさま」と優しく話しかけている様は子どもを可愛がる姿と似ている。


「子どもみたいに可愛がっているようで」

 そんないらない言葉が口をついて出てきた。「子どもはいらないと言ったくせに」といった含意が、自嘲を誘う。違う、皮肉を言いたいのではなくて。心が冷や汗をかき、次にでてくる謝罪の言葉がつっかえてしまう。本当は彼女がルンバを可愛がる様に「子どものように可愛がっているようで嬉しいよ」と言いたかったのだ。言い訳が脳内を駆け巡る。

「うん」と、いつもの彼女の返答に、そんな言い訳も何もかもが飛んでいってしまった。

「子どもみたいでとんでもなくかわいいよ」

 かわいい、こんなものが?

 ルンバを「子ども」とするのに、再度「違う」と言葉がくっきりと輪郭を帯びる。ルンバはお金がかからない。犬や猫と違って無機物だから。しかも、機械だから物も言わず、何か手間をかけることはない。むしろ、こいつは僕たちの生活を支える、一機械でしかない。愛玩ペットを模した機械みたく、何もしないものではない。何かをしているのだ。

 子どもだったら、散歩をする。服を着る。ご飯を食べる。そんな普通の日常を共に過ごす。そして、僕たちから、日常を伝えていく。伝えることで生きた証をこの世に残せる。子どもの成長を喜ばしいことの一つだと一緒に笑い合える。日常の可能性が増えていく。

 僕は、変化する日常を妻と一緒に笑って過ごしたかったのだろう。

「子どものように」と皮肉言ってしまったが、ある意味僕の気持ちは間違っていなかったのだ。

 日常に彩りが欲しかったのかもしれない。


 妻がルンバの近くに暖房器具を置いて、隅に居ることが多くなった。ルンバを撫でて、今日も愛おしげに見つめる。ルンバは、僕たちが何もしなくても同じ日々を遂げて、同じ行動をする。微々たる変化などなく。ルンバに何かを与えることもない。

 同僚が子どもにプレゼントを贈るときのようなわくわくも、子どもが楽しげにそのプレゼントを遊ぶこともなく。しゅるしゅるとルンバの音だけが家に響いている。一人で帰ったとき、彼はいつもと同じ道を辿り、同じように床の掃除をする。こちらに近づいてくる彼を足蹴にする。と、違う方向へと転換されて、もと来た道へと帰って行く。僕の行動に反発などしない。同僚の子どもは、今日で四歳になるらしい。ルンバは家に来て二歳。子どもは成長し、変化し、生きている。そして子どもにつれて、夫婦という形も変化していく。

 子どもがいない僕たちには、そもそもスタートラインにも立てていない。僕たち夫婦という関係は、「生きている」と言えるのだろうか。

 二人でとどまる関係に発展性など皆無だ。あとは衰退するだけな気がして、急激に心が冷めていく。


 そんなある日、妻がルンバの前で蹲っていた。朝早くからどういった要件だろうか。

「そんなところでどうしたの?」

 ルンバがいる隅っこは寒さが対流していた。僕は彼女に上着をかけながら、ルンバの傍に近づいた。ルンバは充電されずに動か亡くなっていた。

「動かないの」

「故障?」

「そうみたい」

 妻は、寂しそうにルンバの表面へ手を置いた。ルンバは重そうに沈み込む。

「じゃあ、修理しなきゃ」と僕は提案してみると、「うん、そうね」と当たり前のように、

「これじゃあ、床の掃除できないものね」

 ルンバの存在意義を示す。

 なぜか、それが僕には堪えた。

「違う」

 何が違うのか、妻は分からず首を傾げる。

 いや、なんにもないよ、と手を振ってしまう。妻は、僕の行動に怪しげになりながらも、続けた。

「子どもみたいにかわいくて、一緒に寝てたんだけど、壊れちゃった。もし直せなかったら取り替えなきゃ。ごめんね、こんな早く壊れるなんて」

 違う、のは、考え方だ。『取り替える』? 『修理する』? 『床の掃除ができない』? もし、それが子どものようにかわいかったら、言える言葉だろうか。ここ最近の僕の不安の対流は、子どもがいないことではなかった。

「素敵なクリスマスプレゼントを壊してしまってごめんなさい」

 本当の子どもなら、とぞっとする。妻はいままでこの本性を隠してきていたのか。

 ルンバを抱えて、妻が上目遣いに僕を伺っていた。

「どうしたの? 今日は落ち着きがないね」

 僕は底知れぬ恐怖に笑顔で蓋をした。妻からルンバを預かる。もし子どもがいたのなら、これくらいの重さだろうか。僕が足蹴にした傷がところどころついていた。傷を目でなでつけて、掌の肉にのせて労る。

「こんなとこに傷がついてる」と妻が冷気を帯びた事実を淡々と述べた。

 冷たい空気を払いのけて、

「ごめん、僕にたまに当たってたから、傷つけてたかもしれない」 

「そっか、まあ、傷なんてつくものだし。仕方ない」

「たまに、ほんのたまに。苛ついて蹴っていたりもした」

「そうなんだ。でも、そんなときもあるよね。かわいすぎて、当たるなんて」

 あっけらかんと言った彼女に、すがすがしい笑みが貼り付けられていた。窓から差し込む陽光が際立たせる。朝の寒気が喉を締め付ける。妻の瞳をようやくとらえた。彼女の瞳にルンバが映っている。子どものように、愛おしいルンバを。爛々とした瞳で。

「子どもみたいに、かわいいもの」

 ルンバが重くて、思わず落としそうになり、ぎゅっと抱きしめた。

「なら、早く修理しないとな」

 うん、という妻の声が既に聞こえない。脳を伝い、駆け抜けて、幽霊のように外にぬけだしていく。目の前に立っている彼女が信じられなかった。僕の左手の指輪がカラカラと鳴って今にも抜けそうになっていた。


 ルンバを修理に出して数日。仕事中に指輪を抜いて、左手を眺めてみた。まるで新しく生まれ変わったような、綺麗な左手に、これもありだなと思ってしまう。

 隣で同僚が、子どもが傷つけられたことに憤りを示していた。同じクラスの男の子に、体育の事故で引っかき傷を負わせられたらしい。傷を負って帰ってきた子どもは笑顔で、傷つけた相手を許していたけれど、なんだかもどかしいな、とぼやく。

 僕は、そのもどかしさは、大切な子どもだからだと思った。一種の子ども自慢、あるいは惚気だった。

 どうだうらやましいかと見せつけられるのは、堪えた。

 今年のクリスマスプレゼントは何にしようか。そう同僚が悩む傍らで、僕はそっと引き出しを開けてみる。先程抜いた指輪をころっと落とす。

 今年のクリスマスプレゼントは決まっていた。

 引き出しを戻して、指輪の下にある離婚届をクリスマスまで閉じた。



──────────────────────────────────────

こちらの作品は西野夏葉様の「アドベントカレンダー2022」に参加させてもらっている作品です。

概要はこちらから → https://note.com/winter_dust_/n/n25f161836505

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ルンバの子 千羽稲穂 @inaho_rice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ