第58話 命尽きし時こそがすべての安らぎ


 ゼフォンは背筋に冷たいものが這い寄るのを感じた。

 脳裏に浮かんだ新たな発想が、自らの死を暗示していることに気付くまで、時間はかからなかった。


 ゼフォンは、リスの目を通して、ルーベリオンとガロンディードの動向を監視していた。


 結果としては失敗であった。

 ルーベリオンがガロンディードを倒せる可能性は低いと踏んでいたが、ガロンディードが情けをかけることで何かの間違いが起こる可能性はあり得ると考えていた。


 結局ガロンディードはルーベリオンを無力化し、自身は大した傷も負うことがなかった。

 失敗は失敗だが、ガロンディードについていくらかの情報は得られた。それを次に活かし、なにか対策を考えていかねばならない。そう思っていた。


 あの人間が現れるまでは。


 信じられぬことに、人間はルーベリオンを治した。

 あり得ない。あり得ないことが起こったということはそれは前提が間違っているということだ。

 治したわけではないのだろう。おそらくは魔導で、浄化か時術、起きた現象を見た限りでは後者の可能性のほうが高いのではないかと思われた。


 そこですべてが繋がった。繋がってしまった。


 ガロンディードの動きを見ていたときから、おかしいとは思っていたのだ。

 ガロンディードを監視していた限りでは、ガロンディードは人間に紛れてただ旅をしているようにしか見えなかった。しかもその内容はお粗末で、なにをしているのだかよくわからないような動きもたびたび見受けられた。


 ゼフォンはおかしいとは思ったが、なにかを隠すための動きに違いないと思い監視を続けていた。

 それでも、ガロンディードが積極的に魔族を狙うような動きは一切見受けられなかった。


 ゼフォンも「ガロンディードはべつに魔族を狙っていないのでは?」と考えたときはあったが、直近でふたりの高位魔族がガロンディードに殺されているという事実がその考えを否定した。


 ガロンディードに殺された深影と水鏡には共通点があった。


 それは、ふたりが魔導に関して強い興味をもつタイプの魔族であったことだ。

 いま、ゼフォンは人間の魔導師がガロンディードの側にいることを確認した。


 そこからは、おそろしい仮説が立てられる。


 ガロンディードがふたりの高位魔族を狙ったのではなく、ふたりの高位魔族がガロンディードの近くにいる人間を狙った可能性だ。

 ゼフォンが監視した限りでは、ガロンディードとあの人間は常に一緒に行動している。もしかしたら、ガロンディードがわざわざ人間に扮して活動しているのは、魔導師の人間を守るためなのかもしれない。


 とにかく、ふたりの魔族が魔導師を狙い、ガロンディードは魔導師を守った。ガロンディードは単に降りかかる火の粉を払っただけでしかない。


 おそろしい仮説だった。ガロンディードの行動を見ている限り、すべて辻褄が合ってしまうように思える。もしこの説が正しかった場合、魔族を狙うつもりなどまったくない皇竜を相手に、ゼフォンが喧嘩を売った形になる。


 冗談ではなかった。


 確たる証拠はないが、ゼフォンにはこの仮説が間違いないだろうという予感があった。

 ゼフォンはおそらく、竜の尾をわざわざ踏みに行ったのだ。

 深影と水鏡はガロンディードにとって降りかかる火の粉でしかなかった。そしてその火の粉はガロンディードに払われた。


 今度の火の粉は自分だ。


 なにか逃げ道はないかとゼフォンは必死に頭を働かせる。

 ガロンディードから逃げおおせるだけではだめだ。ルーベリオンが助かってしまった以上、ガロンディードから逃れられたとしても、ルーベリオンがゼフォンを逃さないだろう。


 次にゼフォンがルーベリオンと対峙したら、ゼフォンは間違いなく死ぬ。高位の竜の怒りを買うとはそういうものだ。

 ルーベリオンは今度は油断しないだろう。そうなれば口先でどうにかするのは不可能だ。単純な力で単純に殺される。


 そのときだった。


 ゼフォンはまだ、リスの目を通してガロンディードたちの様子を監視していた。

 リスの目からは、ガロンディードと人間が話しているように見えている。


 そこで、ガロンディードの瞳がギョロリと動いた。


 はっきりと、間違いなく、ガロンディードはゼフォンが操っているリスを見た。

 ガロンディードの巨大な瞳が、リスの小さな目を見ている。

 リスの小さな目の奥にいる、ゼフォンの姿を見ている。


 心臓を鷲掴みにされたような恐怖に、ゼフォンは震え上がった。


 ゼフォンの行動は早かった。


 近くに設置してある転移門を目指してすぐさま動こうと、した。


 できなかった。


 ガロンディードの動きはさらに早かった。

 結界を張られたのと、転移されたの、どちらが先だったのかはわからなかった。


 ガロンディードが、赤鋼竜の巨躯が、ゼフォンの直上に浮いていた。

 ガロンディードが大きく翼をはためかせただけで、まだ深い緑をしている木の葉はすべて吹き飛んだ。

 いくつもの木々が倒れ、ゼフォンの周囲には倒れた木と、葉のない木しかない異様な空間が形成された。


 戦えば死ぬ。


 逃げようとすれば死ぬ。


 すこしでも生き残れる道をもとめ、ゼフォンはパニックになりながら、口から出る言葉に身を任せるしかなかった。


「これはこれはガロンディードさま、どうしてこのような場所にお越しで?」

『ふざけているのか?』

「いえいえまったくふざけてはおりません。わたくしは本当になぜガロンディードさまがいらしたのかわからないのです」


 話ながら考える。ガロンディードはゼフォンが主犯だと確信しているだろう。どう言い訳しようと絶対に信じないはずだ。


 そうなると、戦うか、逃げるかしかあり得ない。

 戦えば死ぬ、逃げようとすれば死ぬが、戦おうとした場合は兆にひとつも勝ち目はないが、逃げようとした場合なら万にひとつくらいは成功の可能性があるかもしれない。


 絶望と絶望の二択。

 ゼフォンは、より影が薄い絶望を目指して動こうとした。

 複雑なことはなにも考えず、転移門へと向かうためにうしろに跳ぼうとしたのだ。


 おかしなことが起こった。


 脚の感覚が消失し、ゼフォンは腰から地面へと落ちたのだ。

 痛みが来たのはすこしあとだった。

 ゼフォンがその現象を理解したのは視覚からだった。

 地面に倒れこみ、肘で立ち上がろうとして目にしたのは、自分の炭化した両脚だった。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 激痛がやってきた。

 ゼフォンは自分の口から絶叫が鳴り響いているのも理解していない。


『どこに行くというのだ? ここで会ったのもなにかの縁だろう』


 痛みと状況に痛覚の遮断ができない。痛覚遮断ができないことにゼフォンはさらに絶望する。

 もはや逃れられぬ己が死を意識してさらに錯乱し、どこまでも負の螺旋を転がり続ける。

 

 ゼフォンが最後に聞いた言葉は、皇竜ガロンディードの念話であった。


『せっかくだから死んでいけ』

 




 クランガの森に静けさが戻ってきた。

 

 おそろしい生き物の気配が消え、森の動物も活動を再開している。


 小鳥が鳴いている。


 夏の虫が鳴いている。


 森には豊かな自然にしか存在しない音が、静かに鳴り響いている。


 ただし、それは結界のそとの話だ。


 結界の中は、今も悲痛な叫びで満たされている。


 その叫びは、残った傷跡の痛みに耐えかねて発せられるものではなく、今まさに耐え難い苦痛に直面しているものがあげる叫びだった。


 静かな森の結界の中で、叫び声は、止まない。


 

 今できることは、彼の苦痛がすこしでも早く終わるときが来るのを祈るだけだ。

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