第54話 夢幻のゼフォン


 それまでルーはおばばが最強の竜だと思っていた。


「おばばが一番強い竜じゃないの?」


 ルーがきくと、おばばは笑いながら言った。


「東に行くといいよ。ガロンディードに遊んでもらいな」


 そう言われて、ルーはラバンカまで行ったのだ。


 冬の寒い日で、雪が降っていた記憶がある。


 冬の空の中、ルーはラバンカ山脈の直上からこう叫んだ。


『ガロンディード!! ルーと勝負しろ!!』


 最大出力での念話だった。ラバンカ山脈どころか、森林全体でも聞こえなかったものはいなかったはずだ。


 ルーは山脈の巣と思われる場所で、無数の竜が騒がしく動いているのがわかった。

 ルーの一声で慌てる竜たちを想像するとなかなか痛快だった。


 しばらくすると、一匹の竜がルーの元まで飛んできた。

 竜はルーよりも二回りは大きく、赤褐色の鱗は年齢を感じさせた。


 赤竜がルーの前で滞空する。

 赤竜の瞳にも、気配にも覇気がなかった。

 寝起きで何もしたくないのにしょうがなく起きてきた、そんな様子にしか見えなかった。


「なんだおまえは」

「ルーはルーベリオン、皇竜ガロンディードに挑戦しに来た」

「ああ、南の神童か。ラピエリから聞いてるよ」


 ルーは相手が自分を知っていたことが嬉しくて、それを隠すのが大変だった。そのことを誤魔化すようにルーは言う。


「おばばを知ってるのか?」

「ああ、古くからの付き合いだ」

「ふーん、おじじなんだな。ルーはおまえなんかに用はない。ガロンディードを出せ」

「おれがガロンディードだ」

「え」


 ルーは赤竜を見る。

 まるで覇気がない。ルーが想像する最強の竜とはかけ離れた姿だった。

 身体が大きいだけで、魔力の気配もあまり感じない。おばばの方が何倍も強く見える。


「本当にお前がガロンディードなのか?」

「ああ」


 ルーは疑わしげに赤竜を見る。


「じゃあ戦え」

「ああ」


 赤竜はこれみよがしなあくびをした。

 それを見て、ルーは不安になった。ルーは手加減があまり得意ではない。やりすぎて殺してしまうのではないかと心配してしまう。


「ほんとのほんとにいいのか? だいじょうぶか?」

「ああ、遊んでやる」


 どうなっても知らないぞ。負けるなどと露ほども考えず、ルーはガロンを攻撃した。

 ルーは、しばらく立ち直れないくらい手酷く負けた。


 あんなに強い生物がこの世に存在するなど、ルーは生まれて初めて知った。


 皇竜ガロンディード。


 ルーは知らぬ間に、その名前に憧れに近い感情を抱くことになった。





 手当までしてもらったうえに、ガロンディードは「気が済むまでいていい」と言ってくれた。


 ラバンカは居心地が良かった。


 いろいろな竜がいた。

 翼竜のような力のない竜から、ルーよりも強そうな竜すらいくらかいた。


 竜たちは、力をひけらかすようなことはしていなかった。

 みな平和を謳歌していた。


 ルーは、可愛がられていたと思う。

 みなが相手してくれたり、ことあるごとに食べ物をくれたりした。

 ラバンカの竜たちからすれば、ルーは自分たちのリーダーに挑んだ竜であるにもかかわらず、みなが優しくしてくれた。

 ガロンも、ルーとはときたま遊んでくれたし、ルーのいうことはだいたい聞いてくれた。

 もしかしたら、ラバンカでルーにいちばん優しくしてくれたのは、ガロンだったのかもしれない。


 ルーは放浪する竜だ。

 時折おばばのところに滞在はするが、どこかに長くとどまることは滅多になかったし、コミュニティに属することなど始めてだった。

 ラバンカはこれ以上ないほど居心地が良かったが、いつまでもここにいるのは良くないと思った。

 ルーはすこし優しくされたくらいでほだされるような軟弱な竜ではないのだ。


「また来年来てやる。来年までにガロンをボコボコにできるほど強くなってやる」


 ラバンカの竜たちは、「がんばれよ」とか「楽しみにしてるぞ」とか「体に気をつけろよ」とか、まったく危機感のないことを言っていた。

 ラバンカの竜はだめだ、とルーは思った。平和のぬるま湯に浸かりすぎて、戦いを忘れてしまっているのだ。


 それから、ルーの行動に決まりができた。

 夏はおばばのところにいって過ごす。

 そして、寒くなったらラバンカに行くのだ。


 ルーは冬になるとガロンに挑み、ぼこぼこにされ、春に近くなるまでラバンカで過ごした。

 ルーはあくまでもガロンに勝って、最強の竜になるためにラバンカに行っているのだ。


 ガロンに負けたあと、傷を癒やすためにラバンカに滞在する。それにくわえて、ガロンの様子を近くで伺って、その強さの秘密を盗むのだ。

 そのためにルーはラバンカにいる。

 ラバンカは居心地が良いが、それは副産物に過ぎず、本質は最強の竜になるために必要だから滞在するのだ。


 だからルーはガロンに挑む。

 なぜなら、そうせずにラバンカに行けば、ルーは軟弱な竜になってしまうからだ。

 居心地のいい場所に、優しくしてもらうために行く。ルーはそんな軟弱な竜ではない。

 ルーは最強を目指す誇り高い竜であり、さびしいわけでは決してないのだ。





 ガロンは「二度と挑むな」と言っていた。

 その言葉は、ルーにとって、言葉以上の意味を持っていた。


 ルーは近場に転移して、結界を張って身を隠した。

 近場にしか転移できなかったのだ。

 ルーはそれほどに消耗していた。

 

 クランガの森の中の、比較的高い木が集まった場所にルーは結界を張って隠れた。

 それだけでもう力尽きそうだった。

 結界の中で体を丸め、意識をたもっているだけで、それ以上なにもできそうになかった。

 結界の維持すら危ういように思えた。これほど消耗したのは、生まれて初めてかもしれない。


 体も魔力も限界なのに、感情の昂りのせいか、意識は途切れず、思考の渦が頭の中を支配していた。 

 

 自分は成長していると思っていた。

 ガロンに近づいていると思っていた。

 本気でやれば、勝てる可能性があると信じていた。


 ガロンは、今まで一度も本気をだしていなかった。

 最後の最後、ガロンがおそらく本気を出したとき、ルーはなにもできなかった。

 生き残るだけで精一杯だった。


 おそろしかった。

 

 ガロンは怒ったのかもしれない。

 リティシアを巻き込んでしまったのだから。


 そこでルーは魔族であるゼフォンの存在を思い出す。


 あの魔族は絶対に許さない。

 なにがわたくしが協力すれば勝てますだ。まさかリティシアを巻き込むとは思わなかった。

 その上、それがガロンの逆鱗に触れたのだ。


 ルーは決めた。

 回復したら真っ先にやることは、あの魔族を見つけ出して殺すことだ。

 やはり魔族などろくなやつはいない。この世界の害虫だ。あの嘘つきに、自分が何をしたか思い知らせてやるのだ。

 そしてそのあとは――――


 ルーは体を丸め、頭をお腹につっこみ考えている。

 ガロンから見たら、ルーがリティシアを結界の中に招き入れて利用したように見えたはずだ。

 だからガロンはあそこまで怒っていたのだ。


 リティシアもルーに利用されたと思っているかもしれない。

 そうだとしたら、リティシアも怒っているに違いない。


 そして、ガロンは「二度と挑むな」と言っていた。


 ――――どうしよう……


「ああ! ルーさまおいたわしや!」


 接近に気付けなかったことにまず驚いた。

 ふだんのルーならば、無意識でもできているはずの感知が、できていなかった。

 

 あのゼフォンが、ルーの間近にいた。


 胡散臭い仮面に、黒い外套、芝居がかった声、何もかもこの前に会ったときと同じだった。


『ころすまえに聞いてやる。なぜリティシアを巻き込んだ』


 今のルーには、念話ですら辛く感じた。結界と念話の両立など、いつもならば呼吸より容易いというのに、今は頭の中が鉛に満たされてしまったかのような辛さを感じた。


「なぜとは? もちろんガロンディードを倒すためでございます」

『あれ如きでガロンが倒せると思っているのか、やくたたずめ』

「いえいえ、まだ途中ですよ」


 ゼフォンの声のトーンが変わった。


「わたくし、ルーさまがまだガロンディードに勝てると信じております」


 馬鹿かコイツは。

 ルーはゼフォンを殺そうと決めた。

 空間を刃とし、ゼフォンの首と胴を切り離そうとした。

 平時のルーなら瞬きすら許さぬ速度でできたはずのそれが、できなかった。

 凄まじい頭痛にルーは顔を歪める。


「あの人間を巻き込んだことで、あなたはまともに動けないほど消耗していますね?」


 ゼフォンの仮面の奥に、何かが蠢いているのをルーは感じた。

 ルーの本能が危険を察知し、それは恐怖という形でルーの精神に現れた。

 恐怖は、すべての知能あるものが持つ、命の危険を避けるための能力だ。


「ああ、申し遅れました。わたくし”夢幻”のゼフォンと申します」


 体が動かない。

 ルーはゼフォンの仮面から目が逸らせない。


「わたくしの魔導は生き物を操るものでして、ふつうなら竜などとても操れないのですが」


 仮面の口が、裂けるような笑みを見せた。


「それだけ弱っていただければ、わたくしでも竜が操れます」


 ルーはなにか抵抗しようとしたが、もう体も、魔力も自分のものではないかのようだった。


 今、ルーに残された唯一の自由は意識のみであった。


 そこにあるのは恐怖と、後悔と、寂しさと、


 それも失くなる。

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