第52話 竜の戦い


 ガロンが空を縦横無尽に飛び回る。

 人間が見れば赤い巨大な何かが飛んでいるとしか見えない速度でガロンは飛ぶ。

 結界すれすれを背面になって飛び、稲妻のような軌道でルーに近づこうとする。


 ガロンは攻めあぐねていた。

 ルーは結界の中心にただ浮かんでいるだけだった。

 見た目上は。

 

 目には見えない戦いの上では、ルーが攻め続けていた。

 ガロンが飛び回っているのもルーの攻撃を避けるためだった。

 

 ガロンの進行方向を潰すように、空間が固体となって行く手を阻む。

 さすがは神童と呼ばれるだけはある。魔導じみた領域の魔法をこれだけの精度で駆使するなど、ガロンにもできないことだ。

 ガロンはそれを直感だけでかわしながらなんとかルーに迫ろうとする。

 

 見えない攻撃、というのが厄介な点だった。

 ガロンは速度を上げてルーに迫ろうとするが、速度を上げれば上げるほどさけるのが難しくなり、速度をあげればあげるほど、固体となった空間に激突したときの衝撃は大きくなる。

 

 ルーはガロンのほうを見てもいない。豊かな毛並みの竜が結界の中心に浮かんでいる。その周囲には肉眼でで見えるほどの魔力がゆらめいている。

 ルーの結界には、結界内の状態を把握する力もあるのかもしれない。そうではないと説明のつかない正確さで、ルーはガロンの進行を阻んでいた。


 拉致があかない。


 ルーも様子見をしているのはあきらかだ。これだけ神業じみた魔法を操るルーが、そもそも空間をぶつける程度の術でガロンを倒せると思っているはずはない。

 接近を阻むフリをして誘っているのか、それとも何か別のチャンスを狙っているのか。そうでないと説明がつかない。

 

 ガロンは不規則な軌道でルーの直上へと迫る。


 ルーの優位な点は、魔法のみだ。肉体の強さ、純粋な魔力量はともにガロンの方が圧倒している。

 接近戦か、魔力での質量攻撃か。

 ガロンは前者を選んだ。


 ガロンがルーの上空を無作為にしか見えない軌道で飛び回る。

 ガロンが飛び回った軌道のあとには、いくつもの巨大な火球が浮かんでいた。


『行け』


 すべての火球がルーに向かって放たれた。

 火球の動きは超高速でありながら混沌とし、見世物であるかのように森の宙空を赤く染め上げた。

 火球はまともな動きをしていないが、それは意思を持っているかのようであった。狂気という意思を。


 火球がルーの上下左右正面背後、全方位から発狂するように迫り、その身を焼き尽くそうと迫った。


 ルーはそれに対してなにもしていないように見える。ただ動かずに浮いているだけだ。


 火球の群れは、なんの容赦もない速度でルーへと殺到した。


 ――――当たる。


 不思議なことが起こった。


 ルーの周囲の魔力が、オーロラ色に揺らめいたかと思うと、すべての火球が、自身に吸い込まれるように立ち消えた。


 かき消しだ。

 ルーはガロンの魔法を解析して霧散させたのだろう。ふつうかき消しは熟練の魔法使いが初心者の指導などで、魔法を暴走させないようにつかう術だ。こらは相当な力量差がなければできない芸当である。


 それをガロンの攻め手に対してやってのけた。

 これができるならば他にも防ぐ手段はいくつもあったはずだ。その中でかき消しを選んだということはつまり、ガロンを挑発しているにほかならない。

 これほどのことが出来るならば、毎年のように挑んできたルーは今まで本気ではなかったということになる。


 おもしろい。

 ガロンの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。人間では理解できない竜の笑みだ。


 そのガロンが何をしているかと言えば、ルーに急速に接近していた。

 

 ガロンは火球を放つと同時にルーの上空から落下するような軌道で突撃した。


 赤鋼色の巨体が垂直落下を遥かに超える速度でルーへと襲いかかった。


 

 ガロンの軌道上の空間に魔法の気配。空間が凝固し、固体となってガロンの行く手を阻んだ。

 ガロンの速度からは回避しようのないタイミングであり、窓に突っ込む鳥の如く、ガロンはルーの魔法に突っ込んだ。


 激突する。

 

 固められた空間に、頭から突っ込んだ。

 それによって突撃が止まることはなかった。

 固められた空間突き破ってガロンは突撃を続けた。

 勢いはまるで弱まることなく、空間に異常が出たとき特有の妙な金切り音が響き、破裂した空間が周囲の空間を寄せる吸引を背後に感じつつ、ガロンはルーへと突っ込んだ。


 ルーの反応は、ギリギリで間に合った。

 

 ルーはガロンが空間を破った瞬間、始めて動きを見せた。


 ガロンがルーを捉えた。

 ガロンとルーの視線が交錯する。ルーの瞳は敵意とはとれない不思議な光を宿していた。

 ガロンの爪は、すんでのところで空を切った。


 ガロンの爪がルーのいた空間を薙ぎ払うときにはすでにルーは転移していた。

 あとほんのすこしでも早かったならば、空間ごと薙ぎ払い転移を失敗させることもできたかもしれない。

 それでもルーは転移を間に合わせた。


 血。


 ガロンの口先から、わずかな血が流れていた。

 空間に無理やり激突したときの衝撃だろう。あたる速度が早ければ早いほど衝撃は大きくなるのは当然だ。

 

 ルーは、結界の隅近くまで転移していた。

 ガロンの様子を伺うだけで、攻めてはこない。

 ガロンの攻撃を凌いだルーに、自然と称賛の言葉が出た。


『やるなルー』





 リティシアが先に気付いたのは、ガロンの不在ではなく、そとから伝わる異様な魔力だった。


 宿から窓のそとをうかがう。クランガの西側の森林に巨大な結界の気配。

 どんな人間にも絶対に張ることのできない規模の結界は、ルーかガロンによって作られたものに違いなかった。


 リティシアは急ぎ部屋を出てガロンの部屋をノックする。

 ノック音は虚しく響き、中から返事が返ってくることはなかった。


 もう間違いない。


 ガロンとルーが戦っているのだ。

 止めなければならない。


 リティシアは走る。宿の廊下をすっ飛ぶような勢いで駆け抜け、階段を二段とばしで降りていく。

 宿から飛び出して目抜き通りを走り、街の中心で西へと折れた。


 通行人が皆なにごとかとリティシアを振り返るが、気にもせずリティシアは走る。

 止めなければ、が優先してリティシアの頭を支配し、どうやって止めるか、はろくに考えてもいなかった。


 動いていなければ感情の爆発に耐えきれないとでも言うようにリティシアは一心不乱に西の森林を目指した。


 ルーは戦いなくないはずだ。

 ガロンも戦いたくないはずだ。


 それなのに戦うなんて馬鹿げている。

 お互いがすなおに話せばすべてが解決する話なのに、それが争いにまで発展するなど、リティシアには許容できなかった。


 街の端、人通りが減ったのを見て、リティシアは時術まで使う。

 リティシアは走り続ける。肉体の酷使に息が上がる。それでもリティシアは速度をゆるめない。


 森林に踏み込んだところで、道の真ん中を塞ぐように何かが立っていた。


 道を塞ぐ何者かの風体をみて、良い未来を想像するのは不可能だった。

 黒い外套、これはいい。

 だが、その何者かの顔は仮面に隠されていた。


 どう考えても異常だった。その上、隠しようがない魔族の気配がにじみ出ていた。

 魔族の手前で、リティシアは足を止める。

 急な停止で足に負担がかかり、膝をつきそうになるのをなんとかこらえた。


 なぜこんなところに魔族が、という疑問が沸き起こる。

 偶然ではあり得ない。そうなればリティシアを狙ってきたのか。ガロンとルーがリティシアから離れるのを待ち構えていた。あり得る話だ。


 退くべきか進むべきか、考える。リティシアは錯乱寸前の頭で考える。退いたところで逃げ切れるとは限らず、退いてしまってはガロンとルーは止められない。

 それならいっそ前へ抜ける道を選び、ふたりに合流するほうが止めるという目的も、自身の安全も確保されるのではないか。

 そう覚悟を決めようとしたところで、魔族が口を開いた。


「ルーベリオンさまのお連れのかたでお間違いないでしょうか?」


 リティシアは返答に迷う。

 油断をさせようと本来の目的と違った問いかけをしている、とは思えない。

 魔族の力量は把握できないが、ガロンとルーが戦っているこの場に、半端な力を持った魔族がいるとは考えにくい。おそらくはリティシアなど遠く及ばない相手だろう。


 そうであるならばわざわざ会話でリティシアの油断を誘う意味がわからない。

 なにかを狙っているわけではなく、これは本当の質問なのかもしれない。


「そうですけど、なにか?」


 魔族は愉快そうに笑う。


「まさかすなおに答えていただけるとは。それで、ここへは何をしに?」

「ルーさんとガロンさんを止めるためにここまで来ました。通してください」

「なるほどなるほど」


 そう言う魔族の仕草は必要以上に芝居がかっていて、リティシアにかつての魔族を思い出させた。


「それなら、もっと近道をしてはいかがでしょうか?」


 魔族がなにを言っているのか理解できなかった。


「たぶんあなたではあの結界は抜けられないでしょう? わたくしがそこまで送ろうかと」


 この状況で、魔族に善意があると考えられなかった。


「いえ、結構です。そこを通してください」

「そんなことをおっしゃらずに、すぐにおふたりの元にお送りします」

「わたしは自分の足で行きます。どいてください」


 魔族が笑う。


「なるほど自分の足」


 リティシアは杖を抜こうと決めた。魔族をすり抜け結界まで行くくらいならできるかもしれない。

 そこでリティシアは異常に気付いた。

 リティシアの足は、勝手に後退を初めていた。

 異様な感覚だった。自分の身体が勝手に動くというのは未経験の恐怖であった。


「これでご満足でしょうか? それではおふたりの元へ行ってらっしゃいませ」

「待って、何を……!?」

「ご質問にはお答えいたしかねます。拒否権もこざいません。それでは楽しい旅を」


 リティシアの足は後退を続け、不意にその足元が消滅した。

 周囲が突然暗くなり、落下しているような妙な感覚が身体を包んだ。

 リティシアはこの感覚には覚えがある。


 転移だ。

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