第46話 女湯と宙を舞うモノ


 リティシアが露天風呂につれていくなり、ルーは元気を取り戻した。


「なんだこれはーーーー!?」


 ガロンに酒を渡したきり部屋に戻って布団にくるまっていたくせに、風呂に連れてきたら連れてきたでこの様子だ。

 恥ずかしがっていたのだと思う。たぶん。


 リティシアが声をかけてもルーは「ねむい」とだけ言って布団から出てこない。リティシアの経験上、ルーが眠たがっていた記憶は一度もなかった。

 見た目は小さいこどもなくせに、寝るのもいつもリティシアより遅かった。十中八九演技であるとみなして、リティシアは布団をひっぺがし、無理やり露天風呂までつれてきた。


「これが露天風呂ですよ」


 ルーは脱衣場を無視して突っ込んだ。


「ちょ、ちょっとルーさん!?」


 服のまま洗い場を駆け抜け、そのままの勢いで湯船に飛び込む。

 盛大な水しぶきが上がる。

 ルーを見る、といつの間にか服がなくなり一糸まとわぬ姿になっていた。

 リティシアは浴場を見渡して、誰もいないことに安堵した。


 リティシアは脱衣場で服を脱ぎ、きちんとかけ湯をしてから湯船につかる。

 こういった風呂は熱い可能性もあるので右足から慎重にお湯につけたが、どうやら大丈夫そうであった。


 お湯の温度を調節しているのか、熱いよりはぬるい寄りのお湯で、いつまでもつかっていられそうな心地良さを感じた。


 ルーがじゃぶじゃぶとお湯をかきわけてリティシアの元へ寄ってくる。


「もう、だめですよルーさん。こういうお風呂は身体を流してから入るんですから。それに飛び込んじゃいけません」

「むー、細かい奴め」


 そう言いながらルーは口元まで湯船に沈めて口からあぶくをぶくぶくと出して遊んでいる。

 

 男湯の方から声が聞こえた。ガロンたちも入っているのであろう。耳をすますと、なにやら酒がうまいという話をしているように聞こえた。


「ほら、ルーさん。ガロンさんたち、お風呂の中でルーさんがあげたお酒飲んでいるみたいですよ」


 ルーがそのままの体勢で回れ右をし、うしろを向いてリティシアから視線をそらす。なぜ恥ずかしがるのだろうか。


 リティシアは湯船の縁まで寄って身体を伸ばす。背中の岩の感覚を味わいながら大きく息をする。硫黄の匂いと湯気が身体に染み込んでいるような感覚。

 夏場でも温泉は気持ちよかった。


 リティシアはあるていど育ちがいいせいか、冒険者にしてはかなり清潔感にこだわる方だ。ふつうの冒険者なら、依頼によっては一週間くらい身体を洗わないのもそう珍しくはないが、リティシアは頻繁に水浴びや水洗いをする。


 そうなるともちろんお風呂も大好きだ。シットールの街にいたころは、大衆浴場の近くにある宿に泊まっていた。リティシアが泊まっていた宿は浴場と提携していて、宿泊者であるならばいつでも利用できるようになっていたのだ。


 それほどの風呂好きであるがゆえに、クランガ温泉郷はひとつの憧れであった。

 ひとりのときは金銭的な面からクランガ温泉郷に直行することは不可能であったが、いつかは、と夢見ていた。

 ガロンのおかげで依頼も順調で、金銭的な余裕ができたおかげで夢がまたひとつかなった。


 身体を伸ばしたまま空を見る。湯気ごしの星空は美しかった。


 ルーは、といえば、まだうしろを向いたままぶくぶくやっていた。竜は呼吸とか関係ないのだろうか、とリティシアは思う。


「ルーさん、温泉はどうですか?」


 酒を渡したことについてはなにを言っても答えてくれないのはわかった。なのでリティシアは話題をかえた。

 ルーがぶくぶくするのをやめてリティシアの方にふりむく。


「きもちいい」

「ですよね、いちどはクランガに来てみたかったんですけど、こうしていると本当に来てよかったと思います」


 ルーが湯船を泳ぐようにしてリティシアの元までやってくる。

 ルーはリティシアに並んで岩組みに背中を預けて夜空を見上げる。


「人間の世界はおもしろいな。竜はこういうものはつくらない」


 ルーは星空を見ながら、なにやら感慨深いようすだった。


 男湯からぷはぁーと品のない声が聞こえる。すこし気分がこわれる。

 ルーもそう思ったのか、星を見るのをやめ、手にお湯をすくって顔を洗った。


「なーリティシア、お風呂ではなにか遊ばないのか?」


 急に退屈になったのか、ルーはいきなりそんなことを言い出した。


「遊びませんよ。他に誰もいなくてもお風呂はそういう場所じゃありません」


 不満げなルーであったが、ルーはリティシアのある場所を見てなにやら表情が変わった。


 嫌な予感がした。


 ルーは、自分の胸を見て、それからもう一度リティシアを見て、言った。


「リティシアはおっぱいが大きいな?」


 突然なんの情けも容赦もない、ド直球のストレートがきた。


「え、と」


 ルーが手をのばす。


 ぷに。


「ひんっ……」


 いきなりのことに変な声が出てしまった。


「ちょっと、ルーさんやめ……」


 ルーの顔は、とてつもない悪事を企てたこどもの表情をしていた。


 両手を湯船から出して、リティシアの前でにぎにぎしている。


 リティシアは逃げた。


 じゃぶじゃぶとお湯をかき分けすこしでもルーから離れようとする。

 ルーがそれ笑いながら追いかける。


「にゃははははははは、待てーーーーーーー!!」

「やめてくださいルーさん落ち着いてくださいーーーー!!!!」

「にがさんぞーーーー!!!!」

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」





 『竜殺し』が本当に竜を殺すかはともかく、非常に強い酒であることはまちがいない。


 リヒターはかなり酔っていた。


 倒れたり、吐くほどではないが、脳が正常な判断力を失う程度には酔っていた。


 そして、判断能力をなくしたリヒターの脳は、リティシアの悲鳴を聖女の危機ととらえた。


「おいリヒター、おまえさんなにを……」


 イーノックの制止も聞かずに、リヒターは跳んだ。


 リヒターも、実力だけなら一流といっていい冒険者ではある。そんな冒険者が本気で跳べば、柵くらいは簡単にこえられる。


 水柱を立ててリヒターが跳んだ。女湯を目指して全裸の成人男性が空を舞った。


 ガロンの反応は遅かった。

 突然すぎる事態ではあったし、酒でいい気分になっていたせいもあった。が、それ以上に男女の風呂が分かれているという意味についてそれほど深く考えていなかったことが、反応の遅れを招いた。


 ガロンが遅れて跳んだ。もちろんリヒターを止めるために。


 リヒターはすでに柵より高い位置にいた。ガロンはその足を掴み、魔法で運動に対して制動をかけた。


 するとどうなるか。


 女湯から見える視点でお送りしよう。


 夜空をバックに、全裸の成人男性ふたりが宙空に浮いて静止している。


 悪夢のような一コマであり、ひどすぎる絵面だった。


「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」


 リティシアのさらなる悲鳴が響いた。


 ルーでもさすがに不快に感じたのか、ふたりは見えない空気のハンマーに叩き落とされ、悪夢の一コマはその幕を閉じた。


 他に客がいないのは幸いであった。


 駆けつけてきた仲居には、全員がシラをきった。


 今は、リティシアの温泉の思い出が悪いものにならないよう祈るだけである。

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