第44話 同じ夜空を見ている
リティシアは、できるだけルーの力になってあげたいと考えていた。
しかしもうそろそろ「できるだけ」の範囲をこえつつあった。
すでに、時刻は夜になっていた。
いまだに、ルーのガロンへの土産は決まっていなかった。
日中は、食べ歩きをしながらも、ガロンへの土産を探すために様々な店を巡った。
ルーは想像をはるかに超える凝り性であった。
初めのうちはリティシアも寛容だった。こんなに一生懸命悩むなんてかわいいな、くらいにしか思わなかった。
しかし、時刻が夕方にさしかかってくると、さすがのリティシアも疲れてきた。
ルーの体力は無尽蔵で、どれだけ時間が経とうと元気いっぱいであったが、リティシアの方はそうもいかない。
そんな時間になっていながら、まず何を送るかすらも決まっていなかったのだ。
ルーは何にでも興味を示したが、どれもルーが送るものとしてはふさわしくないと突っぱねた。
リティシアとしては、ガロンには酒でも送れば大喜びで満足すると思っている。
だが、絶対に自分の手で贈り物を決めるという決意にあふれているルーに、安易に助言をするのは憚られた。
それに、酒がいいのでは、と提案したが最後、ルーがムキになって酒を候補から外す可能性もありそうだった。
そうこうしているうちに空の赤は黒へと変わり、金酒杯の品評会が終わる時間にまでなってしまった。
このままルーの自由にさせると、一日歩き通しになった挙げ句、結局なにも買わなかったという事態になりかねない。リティシアとしてはそれだけは避けたかった。
ルーのためにならないのももちろんだし、リティシアの心の健康を守るためでもある。
リティシアはくじ引きに賭けた。
ふたりはクランガの中央広場近くに設営された、くじ引き会場にいる。
街の集会場と思しき建物が臨時のくじ引き会場になっていて、そこに行列ができていた。
リティシアたちはその列の中ほどにいた。はぐれないようにリティシアはルーの手を握っている。
昼間にルーを見失ってしまい、たいへん焦ったときがあったのだ。
リティシアは、くじ引き場に貼ってある商品一覧の木板を、祈るような目で見ていた。
二等でいい。一等ではなく二等を引いてほしい、リティシアはそう切に願っている。
一等の商品は高級宿の宿泊券だった。これはこれでかなりの価値があるものではあったが、リティシアが今欲しいのはそれではない。
二等は、クランガの地酒である『竜殺し』であった。
ルーがこれを当てれば、それはそのままガロンの土産にできるはずだ。
「ルーさん、わたしの分も引いていいですからね」
そう言ってリティシアはくじ引きの券を渡そうとしたが、ルーは受け取らずに首を振る。
「だめだ、片方はリティシアの分。そういう施しはうけない」
温厚なリティシアも、これにはキた。何度も深呼吸をして自分を落ち着かせる。
今日遊び回った分の費用はすべてリティシア持ちだ。
それはいい、まったく構わないと思っている。
それなのに、このときだけ妙な遠慮をするのはいったい何なのか。
リティシアはそう言いたくて仕方がなかったが、
「そうですね、一緒にいいの引きましょう」
とだけ言ってなんとか自分を抑えた。リティシアは大人であった。
列は進み、ついにリティシアたちの番がやってきた。
「リティシアから先にいいぞ」
リティシアは箱の中に手を入れ、一枚の紙をつかんで取り出した。
二等引くな、二等引くな二等引くな。リティシアは懸命に祈りながら箱の中身をかき混ぜる。
もはや二等以外ならなんでもよかった。リティシアが二等を先に引いてしまい、ルーが二等を引く確率を下げてしまうことだけを意識して紙を開いた。
紙には、五等とあった。
「はい、残念」
リティシアは安堵の吐息を漏らした。
「それじゃあ、ルーさんがんばってくださいね」
「まかせろ」
ルーが背伸びしてくじの箱に手を突っ込む。そうしないと届かないのだ。
リティシアは祈る。二等を引いてくれとただ祈る。それさえ達成されれば、今日一日の苦労が報われたと思える。
もし二等を引けなかったら、この後も土産探しが続くか、それとも今日一日が徒労として終わるかのどちらかだ。リティシアはどちらも耐えられそうになかった。
ルーはずいぶんと長いことくじを選んでいた。うしろに並ぶものたちにはそれなりの迷惑になっていたはずだが、まわりにいる人々はみな微笑ましそうにルーを見ていた。
リティシアはルーの手の動きを見守る。ルーがくじをかき混ぜる手に、自分の脳がかき混ぜられているような緊張感を感じる。
お願いだから引いてください、リティシアはもうそれしか考えていない。
ルーに二等を引かせるためなら自分の寿命をどこまで支払えるだろうか、そんなことまで考え始めている。
ルーがようやく箱から手を引き抜いた。
その小さな手には、一枚の紙がある。ルーが握りしめたため、紙はくちゃくちゃになっていた。
ルーがくしゃくしゃの紙をほぐして開く。
そこには、二等とあった。
リティシアは、魂が抜けそうな感覚を味わった。リティシアは時術の件以来、信心を失いかけていたが、次に教会にいったときは、すこし多めにお布施をしようと心に誓った。
「おめでとう! 二等だ!」
くじの男が賞品として飾ってあった酒瓶から、そのひとつをとってルーに渡した。
酒瓶はルーの上半身くらいの大きさがあり、それを抱えているルーを見ていると、酒瓶が余計に大きく見えた。
「きゃーーーー! ルーさんおめでとうございます!!」
ルティシアは自分でも気づかないうちにぴょんぴょん跳ねながら拍手をしていた。
が、ルーのほうの反応はいまいちで、渡された酒瓶を見てなんともいえない表情をしている。
「お酒はにがいな?」
「でもでもガロンさんはお酒をあげたら喜ぶと思いますよ?」
「本当か?」
「ルーさんが実力でとったお酒ですもの。絶対喜びますよ。喜びすぎてガロンさん泣いちゃうかもしれませんよ」
ルーが動かなくなる。
たっぷり二秒ほど経ったあとだった。ルーのからだがぷるぷると小刻みに震えはじめた。
泣いて感謝するガロンでも想像していたのかもしれない。ルーは突然太陽のような笑みを見せた。
そして酒瓶を持ち上げてこう言うのだ。
「やったーーーーーーー!!!!」
周囲から拍手が沸き起こる。
リティシアは、喜ぶルーを見て、すべての疲れが吹き飛んだような気分になった。
今日一日の苦労は無駄ではなかったのだ。運命は存在する。夢は絶対に叶うと喜びに満ちあふれている。
リティシアの脳は、極度の興奮と疲労で、すこしヤバいことになっていた。
ふりかえってみると、疲れはしたが、ルーと過ごした今日はとても楽しい一日だった。
終わりよければすべてよしだ。
※
宿に戻って、リティシアはすこし休ませてください、と言って寝てしまった。
ガロンはまだ帰ってきていない。
ルーは宿の屋根の上に座っている。
その胸には、大事そうに酒瓶が抱かれていた。
屋根の上から見える街並みは、どこか違う国にでも迷い込んでしまった印象を受ける。
街明かりだけみてもふつうのランプと、紙張りの入れ物にロウソクを仕込む異国風のランプが入り混じっていて混沌とした様子だ。
日中に街を見て回ったときは、ふつうの人間なら住むのを遠慮するような色合いの建物も多く見られたが、暗闇がそれらを隠していた。
ほのかに照らされた夜のクランガは、この世界に東の大陸の異界が混じってしまったかのような幻想的な雰囲気があった。
ルーは今、花火を見ている。
リティシアからあとで一緒に見ましょうね、と言われたが、ぐっすり眠っているリティシアは起こさない方が良いように感じた。
空で火薬を爆発させる、と説明を受けたときは、花火がこれほど美しいものだとは思わなかった。
ひゅるるると間抜けな風切り音がする。
一拍いて、爆発音が響くと同時に空に大輪の花が咲いた。
ルーは夢を見るような目で夜空を見上げる。
今までの記憶を探っても、きょうほど楽しかった日はそうないように思う。
夜空の黒を背景に咲く花火は美くしかった。
ガロンにもこの景色を見せてやりたい。
ルーは酒瓶を抱きかかえながら夜空を見上げて、そんなことを考えている。
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