第39話 馬車での踊り


 馬車の旅も二度目となると、ガロンには退屈だった。


 最初の方はまだ良かった。新しい景色は飽きずに見ていられたし、揺れもそれほど気にせずにいられた。

 それが二日かかる旅の後半ともなると、その退屈具合はそれなりに辛いものになってくる。


 そんなガロンを知らぬげに、ルーが幌の後部から顔を出しておおはしゃぎしている。


「みろみろ! でっかい湖だぞ!!」


 その横でリティシアはルーが落っこちないように服の背中部分を引っ張っている。


 ガロンはそんなルーとリティシアをながめながら、幌に背をあずけてくつろいでいた。ついこのあいだ馬車に初乗りでゴキゲンだったのを棚に上げ、馬車くらいではしゃぐなどこどもだな、と上から目線でルーを見ている。

 

 馬車は中型で、十人程度が定員の馬車だったが、満員になっていた。


 馬車はごろごろがりがりと音をたて、なだらかな山道を規則的な速度で進んでいく。


 目指す地は、クランガ温泉郷である。


 リットの街から西へ向かえばもちろん央都に近づくわけであるが、ガロンたちはリットから北東へと進むことを選んだ。

 

 クランガ温泉郷はクランガ山の麓にある。


 温泉郷というのは通称であり、正確にはアブール領にある街という扱いになる。扱いにはなるが、実質的には領からの明確な管理はされず、観光地として自由にやっている。その理由は税収で、国内でも有数の納税額を誇る街であり、アブール領の大切な金のなる木である。

 下手に干渉するよりも、最低限の治安維持にのみ協力した方が、手間としても税収としても割がいいという話だ。


 そういった特殊な形態の街となった詳しい由来はガロンも知らない。現地に伝わっている伝承としては、元は東の大陸の賢人と呼ばれた亜人が勝手に住み着いていた場所で、それを中心に集落が作られ、ときを経て現在の形になったらしい。

 ルーが目にしてはしゃいでいた湖も大昔に東の亜人が関わったもので、その名前はセンニン湖というのだそうだ。


 温泉、というのも元々が東の文化だ。ガロンも話には聞いたことはあるが、わざわざ入ってみようと考えてみたことはなかった。そもそも竜の大きさのまま入れる温泉というものが存在するかもガロンは知らない。


 クランガ温泉郷の文化は独特だ。建築様式も東の大陸の文化を真似たものが混ざり、様々な建物が立ちならぶ無秩序な街の様子は、一般民衆の異国旅行の気分をあじわいたいという欲求を大いに満たすものとなっている。


 というのが、ガロンがリティシアに聞いただいたいの話だ。


 ガロンとしては東の大陸の者とは何度か小競り合いをした経験があり、野蛮人の集まり、という印象しかない。だが、リティシアは東の文化に憧れがあるらしく、ずいぶんと早口で色々な説明をうけることになった。


 ガロンたちがいま乗っている馬車はリットからクランガへの臨時便だ。


 なぜわざわざ臨時便が出ているのかと言うと、今はクランガで特別な催しをやっているからだそうだ。

 温泉、といえば暑い季節より涼しい季節や寒い季節の方が観光客は多い。そうなると夏は自然と人が少なくなるわけだ。

 しかしクランガは観光地であり、アブールの金のなる木である。季節が悪いなら仕方がないよね、で商売をあきらめたりはしない。


 クランガといえば、温泉と酒、である。


 クランガに伝わる酒は東の大陸由来のもので、竜を酔わせて殺すといった逸話がある。ガロンたちには若干不吉とも言える酒だ。

 そんな酒の名産地でもあることを活かして、夏の人がいない時期には、各地の酒が集められる酒の祭典とも言える特別な催しが行われるらしい。


 その名も金酒杯。

 その催しは、各地の酒が持ち寄られるだけではなく、品評会じみたこともされるそうだ。 


 ガロンたちは、図らずともその時期にちょうどかち合ったわけだ。


 そういうわけで馬車は定期便以外にも臨時の便が作られ、ガロンたちはそれに乗り合わせることになったわけである。

 馬車に乗っている面子も、冒険者や商人といった顔ぶれではなく、家族連れや夫婦が三組と、ほかには大道芸人らしき三人組だった。


 いつの間にやらリティシアがガロンの隣に座っていた。


「ガロンさんは温泉、楽しみじゃないですか?」

「東の文化にあまりいい印象がなくてな。酒は楽しみだが竜を殺すってのもな」


 リティシアが笑う。


「きっと楽しめますよ。ルーさんもいますし」


 それも懸念事項のひとつではあるのだが、とガロンは思う。

 ルーを見ていると退屈しない、という意味では楽しめるとも言えるかもしれないが、トラブルの種になる可能性をつねにはらんでいるのが困ったところだ。ガロンの路銀が尽きかけているのだって、ルーのせいと言えるかもしれない。


 ルーはそとを見るのに飽きたのか、馬車の中央でウロウロしていた。


 馬車の揺れが面白いのか、わざと身体を揺らして倒れそうなふりをして遊んでいる。


 そんなルーを見て、幌の中の御者側に座っていた女の子が笑った。父親、母親と思しきふたりに挟まれ、女の子はルーを指さして笑っている。


 ルーの動きが止まった。そして、女の子の方へと歩いて行く。


 まさか笑われたのに怒って何かやらかさないだろうな、とガロンは心配になった。が、ルーは女の子の元で何かを言って、一緒にケラケラと笑っているだけだった。

 母親らしき女性からお菓子までもらっている。


「あとどれくらいで着くんだ?」

「え、と、わたしも始めてだからわかりませんけど、湖をこえたんでもうすこしだと思いますよ?」


 寝て時間でもつぶすか。

 馬車の揺れはそれなりだが、寝ようと思えばガロンはいつでも寝れる。

 そう考えていると、なにやらルーが幌の中心に踊り出た。

 さきほどの女の子も一緒につれている。


 馬車の中にいる全員の視線が、いったい何が起こるのかとルーと女の子に集中する。

 女の子の父親と母親が手拍子を始める。

 ルーはなぜか自信満々に、女の子は不安そうな顔をしている。


 女の子の母親が歌い出した。美しい高い声。父親はそれに合わせ、これまた低くも力強い声で、母親の声に重ねるように歌う。

 その歌声はガロンが聞いても見事なもので、この家族らしき一組は旅行ではなく、歌を生業とする芸人なのかもしれない。


 ルーと女の子が踊り出した。


 二人は手を繋いで跳ね回ったり、くるくる回ったり、思い思いに身体が動くまま踊っているように見える。

 そこに技巧はないが、弾けるようなこども特有の元気が感じられ、見ているものを楽しい気分にするのには十分だった。


 初めこそ、乗り合わせている連中は興味半分、不安半分という表情で見ていたが、踊りを見るうちに徐々に手拍子を初めた。


 不安になるのも当然で、馬車は無視できない程度には揺れる。そこで踊るのは普通に考えれば無茶がある。

 しかしふたりの踊りは安定していて、揺れがないかのように楽しそうに踊っている。


 それもそのはずで、ルーが魔法で補助をしているからだ。馬車の揺れや女の子の動きに合わせて補正をかけ、平らな地面で踊るのと変わらない体感を再現している。

 馬車の揺れと女の子の動き、無秩序なふたつの要素に完璧に対応して運動の力を打ち消し続けるのは、ガロンから見ても素晴らしいとしか表現しようがない術だ。その術を魔法の高みを目指す人間が目にしたら引退を考えるかもしれない。


 ガロン以外の全員が、いつの間にか手拍子に参加していた。


 隣にいるリティシアの様子がどこかおかしかった。

 少し顔を赤くして、何度か深く息を吸ったり吐いたりしている。


 意を決したような表情を見せ、リティシアまでもが歌いだした。

 知っている歌だったのだろう。はじめはすこし音を外す部分があったが、すぐにその音は正確なものになった。

 最初に歌い始めたふたりとも調和を損ねることなく、うまく旋律の輪に加わったように聞こえる。


 歌の内容は、変わり者だが踊りがうまい、美しい少女について歌ったものだ。


 ルーがリティシアを見て嬉しそうに笑う。


 踊りが飛び跳ねるような軽快さを見せる。


 芸人の中の詩人らしき男が楽器の包を開け、演奏まで入れ始めた。


 馬車の中は劇の一幕じみた空気に包まれていた。


 何もしていないのはもうガロンだけだった。


 リティシアが歌いながらガロンを見る。

 その視線の意味は、すぐに理解できた。


 ガロンも観念して手拍子を始める。


 ふたりの少女が踊る。ルーは満面の笑みで、女の子はすこし恥ずかしそうに。


 馬車の中で、笑っていないものは誰もいなかった。


 なだらかな山道を行く馬車から、歌と音楽と笑い声があふれる。


 ふたりが踊り疲れたあとも、詩人の演奏で誰かが歌うといった流れは続いた。



 クランガの温泉郷につくまで、それからもすこしではない時間がかかったが、ガロンは退屈はしなかった。

 

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