第36話 悪くはない一日


 店のそとに出て、用意された席にルーを座らせる。


「ちょっと待っておけ」


 ガロンは反対側にある肉屋へと向かった。

 肉屋の店主は、いかにも肉屋といった感じの恰幅のいい男だった。


「親父、ソーセージを焼いてもらうっていうのはできるか?」


 親父は愛想よく答える。


「できるよ、あのパン屋のとこで食べるのかい?」

「ああ」

「それなら焼け次第持ってくよ、二人分でいいかい?」

「あー、三人分頼む」

「まいど、ちょっと待っててくれ」


 ガロンがパン屋に戻ると、ルーは待ちきれない様子で席をがたがた揺らして落ち着きなくしていた。


「まだか? まだ食べちゃだめなのか?」

「いや、もういいぞ」


 ルーがパンを手にとって、大きく口を開いてがぶりとかみつく。


 かじりとって、しばらくもしゃもしゃと咀嚼する。


「おいしい!!!!」


 ガロンも自分のパンを手にとって食べてみる。なるほど、なかなかうまい。

 こうして焼きたてのパンを食べてみると、いつも道中で食べる硬いパンとはモノが違うと思わされる。

 ルーがもぐもぐしながらなにかを言おうとした。


「ふぁんでふぁねでふぉふぉがふぁえるんふぁ?」


 なにもわからない。


「食べてからしゃべれ」


 もぐもぐごっくん。


「なんで金でものが買えるんだ?」


 そこからか、とガロンは思う。

 しかし、あらためて説明しろと言われると困った。ガロンも金についてはあまり興味がない。物々交換の中間に挟むことで取引を円滑にするもの、というのはわかるが細かい仕組みはどうだったか。


「あー、それはだな、まずカネは国が……」


 聞いちゃいない。

 ルーは目の前のパンに夢中でかじりついている。

 ルーの口が小さい分時間はかかったが、それでもパンはすぐになくなってしまった。


「うまかった!」


 ルーが椅子に背を預け、大きく息をはく。

 そこに香ばしい匂いが近づいてきた。


 肉屋の親父だった。


 その手には皿に乗ったソーセージ。


「へいおまち」


 ルーはテーブルに乗せられたソーセージを見て目をまんまるにしている。


「なんだこれは!?」

「これがソーセージだ。食っていいぞ」


 親切なことに、皿には小さな串が用意されていた。

 ルーが手を伸ばして直接持とうとしたので、ガロンが串にソーセージを刺して渡してやる。


 ルーがかじりつくと、その断面からは香ばしい肉汁が飛び出した。


 ルーの瞳が輝きを増したのがわかった。


 ガロンもソーセージを口に運ぶ。肉の味、肉汁、それに微かな香辛料の味が組み合わさって絶妙だ。

 これで酒でもあれば、と思うが近くにそれらしき店は見当たらなかった。


 ソーセージの山はあっと今になくなった。


「どうだ? ソーセージは?」

「うますぎる」

「だろう」


 ルーの口元はぐちゃぐちゃだった。それを躊躇なく服の袖で拭う。

 リティシアが見たら悲鳴を上げそうな光景であったが、そもそも魔法で作り上げたものなのでガロンはまったく気にしなかった。


「そういえば、ガロンはなんでこんな旅をしているんだ?」


 いきなりだった。

 今度はルーも真面目に聞くつもりがあるようで、ガロンをじっと見ている。


 目の前にルーの気をそらすような食物の類も、もう存在しなかった。


「クーゲルはお忍びだと言っていた。お忍びでなにをするつもりだ?」


 ルーはガロンを偶然発見したわけではないらしい。ルーはラバンカにいったのだ。

 意外だった。ルーはいつも寒い時期になってからラバンカに来る。だから、ガロンを発見したのはたまたまだと思っていたのだ。


 それにガロンが旅に出ていることはクーゲルから教わったらしい。

 今になって思えば、そういったことは教えないよう息子のクーゲルには伝えておくべきだった。


 どう説明すべきか。ガロンの逡巡は三秒にも満たなかった。

 ガロンは正直、ルーをこどもだとナメている。

 だからとてもいい顔でこう言った。


「世直しの旅だ」

「よなおしのたび」


 ルーがガロンの言ったことを舌足らずな口調で復唱する。


「竜として人の世に関わっては、人の世の本質が見えないだろう? だからこうして人に紛れて、人の世の本当の姿を把握するんだ」

「守護竜の仕事だな!?」

「ああ、もちろんだ」

「おおー」


 言いながらルーはガロンに尊敬の眼差しを向けてくる。

 ガロンにはその視線が痛い。

 ガロンはそれを誤魔化すように口を開く。


「ルーもこの機会に人の世を学ぶといい」

 

 ルーの純粋な眼差しを、ガロンは正面から受け止められなかった。


 顔を横に向け、ルーと視線をあわせないようにしている。


 まさかここまで好意的に捉えられるとは思っていなかったのだ。



 罪悪感がすごかった。


 



 空が赤く染まる時間になって、ようやくガロンたちは宿へ足を向けた。


 あれからは適当に街を歩き、だいたい食べ歩きをして時間をつぶした。


 今日食べたすべてのものより、宿で一泊をする代金の方が高いと教えたら「人間の考え方はわからん」とルーが言っていたのが印象的だった。

 ガロンも時々そう思う。


 帰り道は、ガロンよりもルーが先行していた。

 ルーの歩みは迷いがなく、来た道を正確に戻っている。


 これにはガロンも内心助かった。適当に歩いていたのでだいたいの道しかわからなかったのだ。

 いざとなればリティシアの気配を探せばいい、それくらいに考えていたが、その必要はなさそうだった。


 ルーは躍るような足取りで先を行く。その足取りを見ると「ルーをたのしませろ」とやらは達成されたと考えていいのだろう。

 ゴキゲンなルーをガロンは追う。


 退屈な時間ではなかった。

 なんにでも大喜びするルーといて悪い気はしない。


 こうしてみるとルーは完全に竜のこどもであるのに、いったいなぜガロンに挑んで最強を目指すなどと言っているのだろうか。先ゆくルーを眺めながら、ガロンは純粋にそう思う。


 ことが起こったのは、宿の近くの薄暗い裏道をとおっているときだった。


「やめてください!!」


 すこし先で女の声が聞こえた。

 見ると、道の先で女が男に絡まれているようだった。


 男はまだ夕方だというのに赤い顔をしていて、目の焦点も怪しかった。酔っ払いに違いない。

 止めるか、そうガロンが考えるよりも早く、ルーがいきなり走り出し、大声で叫ぶ。


「やめろおおおおお!!!!」


 ルーが酔っ払いと女の前に飛び出した。酔っ払いどころか女までもがいったい何事かとルーを見つめている。


「なんだぁこのガキは」


 酔っ払いが女の手を放してルーに向き直る。


「いやがっているだろう! 今すぐ去ればそれでよし、さもなければルーがせいばいしてくれる!」


 それをきいた酔っぱらいの反応は判断が難しかった。困惑しているようにもみえる。

 しかし、その困惑を振り切り、


「上等だこのガキが!!」


 酔っ払いはルーに掴みかかろうとした。


 まずい。


 ガロンは本気で焦る。


 ルーのうしろまで一瞬で駆け、ガロンは大きく足を踏みしめた。


 石で舗装された道が、弾けるような音を立てた。


 酔っ払いの動きが凍ったようにとまる。


 よっぱらいの視線は、おそるおそる、といった動きでゆっくりとガロンを見つめた。

 ガロンは腕を組み、酔っぱらいをにらみつけている。


「命が惜しければ去れ」


 ガロンは低いドスをきかせた声で言う。


 本気だった。


 去らなかったらガロンが殺す、というわけではない。ルーがどの程度手加減ができるのかはきわめて怪しいからだ。もしルーに手を出した場合、酔っぱらいの命は保証されない。


 酔っ払いは迷うまでもなく、すぐに逃げ出した。


 それどころか、一拍おいて女までもが「ありがとうございます!!」と言いながら逃げていった。

 ルーが腕を組んだまま動かないガロンを見上げる。


「これが世直しだな?」


 微妙なところだ、とガロンは思ったが、広義の意味では世直しには違いない。


「ああ」


 ルーはそれを聞いてしみじみと頷く。


「ガロンは守護竜でいい竜だな?」


 良い竜、悪い竜とはどういった視点から見るか次第だろう。すくなくとも人間から見れば良い竜でありたいとガロンは考えているが。


「まあ、守護竜ではある」


 ルーは突然生意気そうな顔をして、


「勝負はおんせんが終わったらする。でもガロンがいい竜なら生かしてやらんこともない」


 またはじまった。


「そうか、それはありがたい話だ」

「そうしたらルーが守護竜の長になって、ガロンを家来にしてやるからな」

「そうか、勝てたらな」

「なにを! ルーが本気になったらガロンなどけちょんけちょんだ!!」


 ガロンはそれを無視して宿への道を歩き出した。


「おいまて! 臆病者め!!」


 ルーが騒がしくガロンを追う。



 日が沈んでゆく。

 街に明かりが灯る。

 空には一番星が見えはじめた。

 ガロンは歩きながらそれを見上げる。


 悪くない一日であった。

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