第30話 正直な答え

 ガロンは足を引きずるようにしてのろのろと歩いている。


 怪我をしたわけではない。単に気分の問題だ。


 今はもう人間の姿をしている。


 その姿は、叱られることがわかりながら家に帰るこどものようで、竜皇としての威厳は何もない。


 ガロンはリティシアの元に向かっている。


 森の中、道なき道を歩く。

 草をかきわけ、緑の匂いに包まれて進む。


 気が重い。


 リティシアは人間ですかときいていた。

 人間ではありません。それを完全な形で証明したことになる。


 何にせよ今までリティシアを騙していたには違いない。

 かといってこのままドロンというわけにはいかない。いくら気まずかろうとリティシアを街へ届けるまではしなければならない。それがガロンの守護竜としての矜持でもある。


 リティシアからきつい言葉を投げられるのを想像してみる。それは嫌だなぁとガロンはちょっと落ち込む。

 リティシアもガロンが来るのをわかっていたのだろう。

 森の中の開けた場所で、ただ立ってガロンを待っていた。


 リティシアの表情は、ガロンの予想に反して明るい。

 ガロンはリティシアの表情を見ればなんとなく機嫌はわかる。

 これは相当に機嫌がいい部類だ。

 こんな表情を見たのは、かなり初期に酒の量を控えてしっかりお金を預けたとき以来な気がする。

 なぜかはわからないが、リティシアはあまり怒っていないのかもしれない。


 リティシアの元まで来ても、リティシアはニコニコしながら何も言わない。

 ガロンは頭を掻きながら言う。


「あー、色々言うことがあるだろうが……」


 リティシアがはっと我に帰るような仕草を見せたあと、弾むような声で言った。


「そうでした! ガロンさん、助けてくれてありがとうございました!」


 リティシアが深々と頭を下げた。

 思っていたのと違う反応にガロンは尻込みする。


「いや、それは大したことじゃない。そういうのじゃなくて何かないか? こう……」


 頭を上げたリティシアの顔には、意地悪を考えた子供の表情が浮かんでいた。


「じゃあ、ガロンさんはわたしの質問に正直に答えてください、いいですか?」

「ああ」

「あの竜はガロンさんですか?」

「……ああ」


 ガロンの返答にリティシアはうなずく。


「わたしに近づいたのは魔導師として素質があったからですか?」


 ガロンは首を振る。


「いや、むしろおれが助けてもらったんだが」

「そうですね、わたしから声をかけましたもんね。じゃあそのときは魔導師だっていうのはわからなかったわけですね?」

「ああ」

「本当に路銀のために手伝ってくれてるんですね?」

「ああ」

「それだけですか?」

「あー、あとはリティシアが危なっかしいから助けた方がいいと思ったってのもある」


 リティシアは何かに納得するようにうんうん、と頷く。


「わたしからの質問は以上です」


 リティシアは満足そうに胸を張っている。その姿は、多少興奮しているにせよいつもとまったく変わらないように見える。

 ガロンとしては肩透かしをくらった気分だ。姿を偽っていたことを非難されるか、あるいは急に守護竜様などと呼ばれたらどうしようかと考えていたのだから。


「あー、その、人間じゃないと隠していたことには何もないのか?」


 リティシアは不思議そうな顔をする。


「だって、ガロンさんはガロンさんですよね?」

「というと?」

「ガロンさんがわたしにしてくれたり、わたしと一緒にしたことは、竜であることとは何も関係ないですよね?」

「それは、まあ、そうだが」

「ならガロンさんはガロンさんでわたしは何も思いませんよ。人間じゃないって聞いても逆に納得できちゃいました。だまされたーなんて思いません」


 リティシアはただ楽しそうにしていて、ガロンが竜であることに対して、恐怖どころか畏敬の念すらも感じていないように見えた。その姿は今までどおりのリティシアと寸分も違わなかった。


「それに、わたしだってガロンさんを騙してたんですよ?」

「時術のことか」

「え、と、それもそうなんですけど、わたし、実は未来から来てるんです」


 一瞬リティシアが何を言っているのかわからなかったが、すぐに見当はついた。

 時間遡行、あり得るのか。ガロンは密かな驚きをいだきながらもリティシアの話を聞き続けた。


「前の時間のときにガロンさんがさっきの魔族にやられちゃいそうになって、ほんとは大丈夫だったのかもしれないけど、わたし気付かなくて…… どうにかしなきゃって思ったら、ガロンさんと出会う前まで戻ってたんです」


 ガロンすら伝説でしか知らない部類の力だ。仮に他に時術を使えるものがいるとして、そいつが自分は未来から来たと言ってもガロンは信じなかっただろう。

 ただ、それを言っているのはリティシアだ。冗談を言う場面ではなく、嘘をつく場面でもない。そんな状況でリティシアが言うのならばそれは真実なのだろう。


「それは制御できる力なのか?」


 リティシアは首を横に振る。


「わたしができるのは物の時間を操作するくらいです。けど、これがあれば今度はガロンさんを助けられるって意気込んで、ほんとはわたしが狙われてて、色々勘違いでここまできちゃったんですけど」

「別の時間のおれもリティシアを助けたのか?」

「はい。前も助けてもらって、親切にしてくれて、ガロンさんはガロンさんでした」

「そうか」


 ガロンは、別の時間の自分がおかしなことをしていなかったと知ってホッと胸をなでおろす。


「あ、もうひとつだけ質問いいですか?」

「なんだ?」


 リティシアは、急にしおらしくなり、すこし恥ずかしそうにしながら言う。


「ガロンさんは、わたしが一緒にいると煩わしいとか思いますか?」





 ガロンはいつもの宿で目を覚まし、いつもどおりに朝食を取った。


 旅立ちの日だった。


 路銀は貯まった。いつまでもこの街で過ごすわけにはいかない。


 準備を済ませて外に出る。


 朝の街並みは落ち着いていて、各々が一日の始まりの準備をしているように見える。

 そんな中、一人慌ただしく駆けてくる少女の姿があった。


 リティシアだった。


「すいません! ちょっと遅れちゃって」

「いや、おれもいま来たところだ」


 リティシアが息をととのえ姿勢を正す。 


「もういきますか?」

「ああ」


 ガロンは空を見上げる。


 天気は快晴で雲ひとつなく、空の青は見入ってしまいそうなほど美しい。

 日差しは強いが、風がよく通る日で不快な感じはしなかった。

 旅立ちには絶好と言えよう。


 良い街だったとガロンは思う。

 まだ美少女になるためのとっかかりすら得られてはいないが、旅が長引くのも悪くないとは思う。


 なにせ竜には無限に近い時間がある。


 人にまぎれて過ごすのはなかなかに面白い。


 旅の道連れもできた。


 たぶん、これからも色々な経験をするのだろう。守護竜として過ごしてきたのとは違った経験が。


 長き生涯の中では、そういった時間があってもいい。


 これからガロンは長き時間で色々なものを得るだろう。


 そして色々なものを失うこともあるだろう。


 ガロンはもう失うことについては何も考えなかった。なにせ冒険者は失うことをおそれないのだから。


 ガロンが歩き出す。リティシアもそのうしろをついてくる。


 見慣れた街並みが過ぎ去っていく。


 気持ちのいい風が吹いている。



 旅は続く。

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