第28話 沈黙の代償

 油断か、信用していた故か。


 朝おきて気配を探ると、リティシアの気配が感じられなかった。


 ガロンは高位の竜にしては感知に類する術が不得手ではある。

 それでもリティシアがふだんから泊まっている宿と、その周辺にリティシアがいないことくらいはわかる。


 いったいなぜ。


 ガロンはたしかにリティシアに数日引きこもるように伝えたはずだ。


 意味がわからなかった。


 リティシアの立場になって考えてみる。リティシアは狙われている。ガロンがどうにかすると言っている。リティシアはガロンのことを強いと思っているはずだ。


 それなら任せるのが普通だろう。違うのだろうか? 今起こっている現実を見るに違うのだろう。


 ガロンが弱いと思われているのか、それとも別の何かか。

 考えても無駄だと思った。


 人間と竜の考えのちがいか、それともガロンとリティシアの考え方のちがいか。その溝は少し考えたところで埋められるものとは思わなかった。

 考えるのではなく、今起こっていることに対処すべきだった。


 リティシアが姿を消したのだ。

 宿で魔族にさらわれたという可能性は排除している。魔族が街中にいたとすればいくら気配を消そうとガロンが感知できないはずはない。


 リティシアが自分の足で逃げたのは確実で、その理由は不明。

 ガロンがリティシアを感知できないということは、かなりの距離がはなれているはずだ。そうなるとすでに街のそとに出ていることになる。


 ガロンはすぐさま宿のそとに出た。宿主のおざなりな「いってらっしゃいませ」が聞こえる。

 リティシアの泊まっている宿から気配を探っていく。たしかにリティシアが宿から出た痕跡はある。


 やはりリティシアは街のそとへと向かっている。

 ガロンはリティシアの魔力の残り香をたどって街のそとへと向かう。


 街からは離れれば離れるほどまずい。

 魔族がリティシアを狙っているのは確実で、直接仕掛けてこなかったのはガロンを警戒してのことだろう。

 つまり、リティシアが単独でガロンから遠く離れれば、遅かれ早かれ必ず魔族に襲われる。


 襲われてリティシアがどうなるかはわからない。

 魔族がリティシアの時術に興味を持っているのはたしかだ。それからどうしたいのかが問題だ。

 時術を利用して何か厄介なことをしようとしているか、それとも時術を研究したいと考えているのか。


 どちらにしても即座に生命の危険はないはずだが、いずれ生命に危険が及ぶのは間違いない。魔族とはそういったものだ。


 街のそとに出た瞬間からガロンは足に力を漲らせた。


 急ぐ必要がある。


 ガロンは走る。


 人間では出せない速度で。


 人の形をして。


 風を切り凄まじい速さで街道を駆け抜ける。景色が飛ぶように過ぎる。


 かなりの距離を進んでも、リティシアはまだ先に向かっているようであった。

 こうなるとリティシアが無事に逃げ延びているとはあまり考えられない。


 すでに魔族に捕まっている可能性は非常に高い。


 魔族。


 前回戦った魔族にしてもかなり高位の魔族だったはずだ。

 人の姿を保ったまま退けられたのは相手の油断があったからに過ぎない。


 今リティシアを狙っている魔族はより高位であると考えるべきだ。

 なぜなら、ガロンに勝てる自信がなければ仕掛けてくるはずはないからだ。

 リティシアを襲えばガロンはそれこそ地の果てまで追う。相手はそれを想定しているはずだ。

 追われてなお逃げ切れるか、あるいはガロンを撃退できる自信があると考えるべきだ。


 そして、自信を得るだけの情報も揃ったのだろう。

 誰かに監視されているのはわかっていたし、それは前回の魔族の仕業だと思っていた。ガロンはカラスの使い魔を何度か確認している。おそらくカラスの使い魔の主こそ今リティシアを狙っている魔族だろう。

 監視していた以上ガロンが魔族を退けたのは知っているはずで、それでいて諦めないというのは、つまりはそういうことだ。


 人の姿で勝つのは難しいかもしれない。


 竜の姿になる、それ自体はさほど問題ではない。

 しかし、リティシアが魔族に捕まっている可能性が高いというのが問題なのだ。

 リティシアが魔族の近くにいる。魔族を竜の姿になって消す。リティシアは竜を目にすることになるわけだ。


 ガロンは、今のリティシアとの関係が気に入っている。

 前に魔族と遭遇したときよりも、リティシアとは長い時間を過ごしている。

 同じ時間を過ごした分だけ親しくなるのは、人間だろうが竜だろうが違いはない。

 ガロンは、前以上にリティシアに竜の姿を見せることを躊躇している。

 なぜこんな問題が発生するかといえば、ガロンがリティシアを騙しているからだ。


 竜であるのに人間だと。


 自業自得だ。


 別に悪意があるわけではない。きかれていなかっただけと言い訳もできる。だが、本来の姿とはちがう姿に変身し、その事情を話していないのを騙していないと考えるのは無理がある。


 リティシアに真実を知られた場合の反応は二通り考えられる。


 尊敬か、軽蔑か。

 前者であった場合、今までのような気安さはなくなってしまうだろう。

 後者だった場合、リティシアであれば事情を説明してどうにかなるとは思う。しかし、やはり今までのような気安さはなくなるだろう。


 何かを手に入れた際に発生する問題は、それがいつか失われるということだ。


 ガロンは考えるのをやめた。


 今はリティシアを見つけ出すのが先決だ。


 ガロンは人ならざる速度で走り続ける。


 覚悟はまだ決まっていなかった。





「目を覚ましたかな?」


 リティシアは、そんな声で目を覚ました。


 少年の姿をした魔族がいた。


 逃げようと立ち上がろうとしたところで、リティシアはうまく動けないことに気付く。


 リティシアは拘束されていた。両腕をうしろにまわされ、鎖らしきものに縛られている。鎖は何かの呪法的な処置がされているらしく、リティシアがすぐにどうにかするのは難しそうだった。


「落ち着いてよ、取って食ったりはしないさ。少なくともしばらくは」


 魔族は自分がいったことがおもしろいのか軽く笑う。


 真紅の瞳がリティシアを見つめている。恐ろしさにすくみそうになるのを懸命にこらえる。


 リティシアはあたりに目を向けた。

 いつの間にか夜は明けていたらしい。雨はあがり、どんよりとした雲が太陽を隠している。


 リティシアがいるのは、どうやら廃墟らしかった。建物はもうほぼ倒壊し、瓦礫や壁の一部しか残っていない場所だ。残ったものの形状から元は古城だったのがかろうじて見て取れる。

 その周囲は森で、それ以上のことはわからなかった。この地域に詳しい人間ならば森の中の古城で場所を特定できたかもしれないが、少なくともリティシアには知らない場所だった。


 魔族に向きなおり、言う。


「わたしに何をするつもりですか?」


 魔族は愉快そうに笑う。その姿だけを見るならば無邪気な少年にしか見えない。


「きみの魔導に興味があってね、色々するつもりさ」

「ここはどこですか?」

「さあ? どこだろうね? ぼくも本当に知らないんだ。ただここらへんで手頃な場所を探していたら見つけてね」

「手頃?」

「まさかきみ、ぼくがここできみに何かすると思っているのかい?」


 もういちどまわりを見てみる。どう見ても廃墟で、ほとんど何をするにも都合が良さそうには見えない。

 リティシアは首を振る。


「その通り。ここできみに何かをするつもりはないよ。しばらく待たなきゃならないだろうから、ちょっと暇つぶしに付き合ってよ」 


 真紅の瞳から殺気は感じられない。魔族は淡々とした口調で言う。


「とりあえずきみには餌になってもらおうと思ってね」

「餌?」

「そう、餌。一つ聞きたいんだけど、きみと一緒にいる男は何かな?」


 リティシアは一気に頭に血が登るのを感じた。怒りが恐怖を凌駕する。


「男ってガロンさんですか!? あなたの狙いはわたしでガロンさんは関係ないでしょう!?」


 魔族は驚きをあらわにする。


「すごい剣幕だな。落ち着いてよ。きみはあの男をなんだと思っているのかな?」


 意外な質問にリティシアは勢いを削がれてしまう。


「なにって、ガロンさんは、その、仕事仲間で……」


 魔族はわらう。


「そういうことじゃなくってさ、もっとはっきり言おうか。きみはあの男が人間だと思っているのかな?」

「それってどういう……」


 不吉な予感がした。


 リティシアはガロンをいい人だと思っている。かなり変わってはいるが間違いなくいい人だ。

 それだけわかれば、ガロンはガロンである以上の結論はいらないと心の奥底で自分を納得させていた。


 人間だと思っているのかな? その言葉がリティシアの頭に浸透していく。


 人間ばなれした強さの人だとは思っていた。見た目の年齢に対してあまりにも常識がない人だとは思っていた。


 人だと思っていた。


「ああ答えなくていいよ、きみの顔をみればわかる。あんな人間いないもんね」


 リティシアの反応を楽しんでいるのか、魔族の表情はリティシアの癇に障った。


「ぼくがあいつの正体を教えてあげるよ」


 魔族が言う。


「あれは魔族だ。ぼくと同じね」


 リティシアはそれを否定しきれる材料を持っていなかった。ヤケクソに答える。


「ガロンさんはガロンさんです! なんであろうと関係ありません!!」

「それは、あの男がきみに協力してくれているから?」


 リティシアは、言う。


「ガロンさんがいい人だからです」


 魔族はおもしろそうにリティシアを覗き込む。


「それってほんとなのかな?」

「何を……」

「あの男はなんできみに協力してくれてるんだい?」


 それは路銀がないから、そう言おうとしてリティシアはためらった。本当にそうか。


「ずいぶんうまく取り入ったよね。すっかりきみの信頼を得てるんだもの」

「ガロンさんはそんな人じゃ……」

「自分が何者かも話さないのに?」


 リティシアは黙ってしまう。


「魔族ってきみみたいな魔導師にかなり興味があってね。単に蒐集品として欲しいってやつもいるし、魔導を利用して何かしたいってやつもいるし、その力を研究したいってやつもいる」


 魔族はわざとらしいため息をする。


「だから、きみみたいに珍しいのが出てくるとたいてい取り合いになっちゃうんだよね。前にあの男に倒された魔族がいたでしょ? あれもそれ。僕が狩ろうかと思ってたのに、きみの近くにいたやつが先に狩っちゃうんだもん、驚いたよ」


 リティシアは何も言えない。

 自分を何度も助けてくれたガロンの全てが演技だったとはとても思えない。髪飾りを買ってくれたことが、ブローチを買ってくれたことが、リティシアを騙すためのものだったとは思えない。

 今すぐガロンに直接話をききたいという気持ちが溢れ、縛られた自分の現状を思い出して身じろぎする。


「近くで人間のふりをして信頼を得て、なんてふつうじゃない。まあ魔族なんて変わり者だらけだから、暇つぶしにそういうことをするやつはいるかもしれないけどね。でもそれだけのことをするやつなら、ぼくがこのままきみをさらって逃げても地の果てまで追いかけてくると思うんだ」


 魔族がリティシアを指さして笑う。


「だからきみは餌。後々くつろいでるところでいきなり襲われても馬鹿らしいからね。こうして十分な条件で消しとこうかなって」


 リティシアが今いる場所はどう見ても廃墟で、ほとんど何をするにも都合が良さそうには見えない。強いて言えば大暴れするには都合が良さそうに見える。


「ああようやく来たよ、噂の男が」


 リティシアにはわからなかったが、魔族はガロンの来訪を感じ取ったらしい。


「おもしろいから直接聞いてみるといいよ。あなた人間ですかって」


 真紅の瞳が残酷な愉悦の光を放っていた。

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