第26話 最初の出会い

 夜。


 雨が降っていた。

 夏特有のじめじめとした雨だ。


「数日でいい、宿に籠もっていてくれ」


 ガロンはそう言っていた。


 リティシアは今、それを無視して街のそとにいる。


 ローブのフードをかぶり、ずぶ濡れになりながら重い足取りで街道を歩いている。


 神様から授かった力だと思っていた。


 この力を使って、魔族から狙われているガロンを救ってやれ、そういうことだと思っていた。


 思いこんでいた。


 リティシアは雨に打たれながらひとり歩いている。おのれの愚かさに泣きながら。


 ガロンが尋常ではない力を持っているのは出会ってすぐにわかった。

 だから、魔族がその力を目当てにガロンを狙っていると思っていたのだ。


 馬鹿にもほどがある考えだった。


 狙われていたのはリティシア自身だったのだから。

 ガロンを守りたいと、助けになりたいと、そう願っていた。

 そう考えているリティシア自身がガロンを巻き込んでいたのだ。


 夜の街道には誰もいない。雨で足場の悪い道をしゃくりあげながら歩いている。


 今のリティシアはただ「逃げなくては」とだけ考えて歩いている。


 ガロンを巻き込まないように。


 リティシアを狙っている魔族には心当たりがある。


 ガロンが勝てないことも知っている。


 だから自分が逃げるしかないのだ。


 リティシア自身がどうなろうと、せめてガロンを巻き込まないように。


 初めから出会わなければ良かったのだ。


 やり直したかった。


 過去に戻りたかった。


 どれだけ願っても、もうそんなことは起こらなかった。


 どうやら、二度目はないらしい。





 最初は、声をかけられなかった。


 どうしよう。そう考えながらリティシアはギルドの受付を見つめている。


 リティシアがギルドの受付に依頼書を渡そうとすると、先客がいた。


 先客は赤褐色の髪をした大男で、何か揉めているらしかった。


 聞こえてくる話を統合すると、男は冒険者として登録していないので依頼を受けられず、身分証もないので登録もできないらしい。


 ずいぶん怪しい人だなぁ、とリティシアは思った。


 男の荒っぽそうな雰囲気から、もしやひと悶着あるのでは、と心配したが、男は残念そうにとぼとぼと歩いてギルドから出ていくだけだった。

 リティシアは何か助けになろうと声をかけようか迷ったが、結局声はかけられなかった。


 身分証もない、という時点で怪しさ爆発であったし、見た目も怖かった。

 怖い見た目への耐性は、冒険者である以上同年代の乙女よりもマシとはいえ、女の子は女の子だった。


 リティシアは受付に行って依頼を受ける。

 受付は依頼内容を見て微妙な顔をしたが、契約書を出してサインをするように言ってきた。

 リティシアもわかっている。

 依頼内容はすこし背伸びをしたもので、危険はそれなりにある。


 だが、村の近くに巣を作り、村人を脅かす魔物というのは見過ごせなかった。

 依頼を出した村は貧しいらしく出せる報酬は少ない。それ故にリティシア以外の誰も依頼を受けていないという状況だ。

 こういった依頼をやりたいからこそ、リティシアはひとりになった。


 前にいたパーティでは、こういう依頼をやりませんか? と提案すると決まって嫌な顔をされ却下となり、最後には衝突してパーティを抜けてしまった。


 わかる話ではある。

 危険と報酬が釣り合っていない。冒険者とて商売である。受ける受けないは冒険者の勝手だ。

 ただ、目の前で困っている人を助けないのはどうかと思うのだ。


 割にあっていなかろうが報酬はもらえる。

 救われる人間がいる。

 ジーナ・ディードなら絶対に助ける。

 そう考えてリティシアは依頼を受けた。

 割に合わなかろうが、危険だろうが、受ける受けないは冒険者の勝手だ。

 ひとりでもやれるとリティシアは証明したかった。





 あっという間に危機は訪れた。


 リティシアは獅子のような二体の魔物に挟まれ、手傷を負っていた。

 リティシアはあくまで補助術師であり、単独で戦うのにはもちろん向いていない。


 自身に補助術をかけての立ち回りはすぐに限界が訪れた。

 リティシアのローブの右手側が、血で真っ赤に染まっていた。痛みがよくわからない。


 現実感がなかった。

 二体の魔物に囲まれ死ぬかもしれない状態なのに。


 いや、死ぬかもしれない状態だからこそ現実感がなかったのかもしれない。

 リティシアの前後を挟んでいた魔物が詰めより、唸り声をあげる。


 ようやく生命の危機が脳に浸透し、なにか生き残る方法を探さなければと抵抗しようとした瞬間だった。


 背後の魔物が、蹴られた野良犬のような情けない声を上げた。


 振り向くと、背後にいた魔物は横たわりぴくりとも動かなかった。


 その魔物の横に、男がいた。


 男はリティシアへと向かって踏み込み、そのままの勢いでリティシアを通り過ぎた。

 背後を見せたリティシアを襲おうとしていたもう一体の魔物を、男は一撃で張り倒した。


「大丈夫か?」


 受付で依頼を受けられなかった男だった。


 それがガロンとの出会いだった。





 路銀がない。依頼を手伝うので報酬をわけてもらえないか。そう提案してきたのはガロンだった。


 リティシアはその提案を受けた。正体不明ではあったが命の恩人には違いなく、すこし話してみたところ悪人という感じもしなかった。

 ガロンに旅の目的を聞くと少し歯切れが悪く、とりあえずは央都に行くつもりだと言っていた。その路銀が貯まるまでは手伝わせて欲しいとのことだった。


 リティシアもひとりでは無理があることを身をもって知ったので、協力者が必要だった。


 お互いの利益が一致していた。




 ガロンは強かった。人間かと疑うほどに。

 ガロンはどんな依頼でも嫌な顔せず付き合ってくれた。


 ガロンは信じられないほど世間知らずだった。

 見た目からすれば三十を超えていないということはないはずだが、一般常識にかなりうとかった。

 それについてはリティシアも気になったが、あえて聞こうとは思わなかった。他人を深く詮索しないのも冒険者の心得のひとつだ。

 

 依頼を失敗することはなかった。

 リティシアたちはすぐにギルドで目立つ存在になった。



 リヒター、という男からの嫌がらせが続いた。

 内容は稚拙で、相手にした方が負け、と思われるようなものだった。

 リティシアはこれを完全に無視した。こういう相手はそのうち飽きるはずだと。


 しかし、ガロンは無視しなかった。

 リティシアへの嫌がらせをガロンが目にし、リティシアが気の毒に思うほどリヒターをボコボコにした。

 冒険者同士の争いはご法度だが、ガロンは正式には冒険者ではなく、ただの喧嘩として処理された。


 この一件でガロンのギルドでの立場は微妙なものになってしまった。

 それをガロンは気にもしていない様子ではあったが、リティシアのためにそういった立場になってしまったのは申し訳ないと思っていた。



 依頼の途中だった。

 すこし離れていてくれ、ガロンはそう言った。

 リティシアはそのとおりにした。

 ガロンの向かった方向からめちゃくちゃな魔力を感じた。


 リティシアが急いで向かうと事はすでに終わっており、魔族は消滅していた。

 魔族に勝つ人間などリティシアは初めてみた。

 もしかしたら本当に人間じゃないのかもしれない。


「たぶんおれを狙ってきた」


 話を聞こうかリティシアは迷ったが、結局聞かずじまいだった。

 聞いたら何かが変わってしまいそうな気がした。

  


 一緒に祭りにいった。


 一日目は別行動をして、二日目は一緒に回った。


 二日目に合流するとガロンはすってんてんになっていた。

 なんでも祭りの博打ですったらしい。


 リティシアは初めてガロンを怒った。

 なにせふたりで稼いだお金を失ってしまったのだ。


 ガロンの落ち込みようといったらなかった。

 しょんぼりガロンと出店を回っていると、装飾品を売っている店が目に入った。


 どれも一点ものらしい装飾品の店で、どれも値段以上に素晴らしいものに見えた。

 並んでいる品を眺めていると、ガロンが鈴蘭をかたどった髪飾りを買ってくれた。


 ガロンはお詫び、と言っていた。


 嬉しかった。


 それと同じく鈴蘭をかたどったブローチも組で欲しかったのだが、それまでおねだりするのは違う気がしたし、自分で片方買うのも何かが違う気がした。


 その頃にはもうリティシアの機嫌は直っていた。


 贈り物が嬉しかったというのもあるが、ガロンがまた一文無しになったということはつまり、一緒にいられる期間が長引いたということに気づいたからだ。

 それ以来、リティシアはずっとその髪飾りをつけていた。


 

 依頼の魔物を討伐し、一番気の抜けているタイミングだった。

 事態は、あまりにも突然始まった。


 魔族に襲われた。


 完全な奇襲であり、強襲だった。


 リティシアは何も反応できなかった。


 ガロンは反応した。

 狙われているリティシアをガロンが庇った。

 傷ついているガロンを、リティシアは初めて目にした。


 少年だった。


 生まれてこのかた、そとに出たことなどないのではと思わせるほどの白い肌に、それと対照的な真紅の瞳をしていた。


 真紅の瞳がリティシアを見ている。


 人間ではないと、それだけでわかった。


 少年の前に小さな水滴がいくつも現れた。

 少年が手をかざすと、立ち上がろうとしていたガロンに水滴が襲いかかり、水滴があたった程度では絶対に起こり得ない衝撃が発生してガロンは吹き飛ばされた。


 異様な気配だった。

 異様な魔力だった。

 少年は人間の形をしていたが、それは絶対に人間ではあり得なかった。


 魔族だ。


 リティシアは真紅の瞳に魅入られたように動けない。

 生きていられる気がしなかった。

 ガロンに魔物から助けてもらったときとは違う、確実な死の予感があった。


 みしり、という音が聞こえたような気がした。


 おかしな感覚だった。


 リティシアの術師としての感覚を言葉にするならば、世界が軋んでいるような感覚がした。


 真紅の瞳に明確な殺意が宿るのを、リティシアは見た。


 死ぬ。


 それ以外考えられない。


 視界がぼやけ、世界が回り、自分以外の全てが消失する。


 リティシアは自分の身体が、内側から爆ぜるような感覚を味わった。


 そして、全てが静かになった。



 

 

 何か音がする。


 鳥の声が聞こえる。


 そこでようやくリティシアは自分は横になっていて、目を瞑っているのだと気付いた。


 目を開くと、リティシアはいつもの街の、いつもの宿の、いつものベッドにいた。


 魔族も、ガロンもいない。

 死後の世界かと思うような出来事だった。


 あり得ない事態だったが、リティシアは自分が体験している事象に対して不思議な予感があった。


 予感に従って部屋の暦を確認すると、二月以上前のものだった。


 予感は確信に変わった。


 時間遡行や時術の伝説は、リティシアも知っていた。

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