第25話 時間触

 依頼はとくに変わったこともなく無事おわった。

 異変なし、魔物なし、おもしろいこともなしだ。

 採取対象の果実もすぐに見つかり、順調すぎるくらい順調にすべてがおわった。


「これなら泊まりじゃなくても帰れそうですね、マールー亭に泊まれないのは残念ですけど」


 もうすぐ森からひらけた道に出るというところだった。

 ガロンは、そこで気付いた。


「あー、リティシア、問題発生だ」

「どうしたんですか?」

「魔物が来る」


 不可解なところがいくつもあった。


 気配からほどほどに大型の魔物であるのがわかる。魔の濃さは若干強めといったところだ。

 それくらいの大型の魔物がひらけた道に存在するというのはかなり珍しい。

 それにくわえて魔物はガロンたちのいた森への道を、相当な速度で直進してきている。


 たぶん、狙われている。


 正体不明の魔物が森へ急いでいるところに偶然ガロンたちがいる、というのは考えにくい。

 それよりもガロンたちを狙ってこちらへ向かってきている可能性の方がはるかに高いだろう。

 それにガロンの勘もそうだと言っていた。まだ遠いがそんな気配が感じ取れる。


「危険な魔物ですか?」

「それなりに大きいがなんというか」


 なんだろう。妙な違和感がある。これはガロンの直感の話だ。危険な相手ではない。リティシア単独ならばわからないが、ガロンがいる今なら危険なわけではない。

 そういった要素とは異なるいやな予感がする。こと戦闘が絡むならばガロンの予感は当たる。当たるがその正体がわからない。


「なんとうか? なんです?」

「いやな予感がする」


 ガロンの予感は当たった。


 魔物が近づく。殺意に満ちた速度でガロンたちへと距離を詰めている。

 人間であるリティシアにはまだ見えていないかもしれないが、ガロンには魔物の姿がはっきりと見えていた。


 魔物は狼のような大型の魔物だった。問題はその毛色だ。

 魔物の毛色は、頭部は真っ黒なくせに体は真っ白をしていた。


 さきほどの犬に違いなかった。


 ありえん。


 野良犬が自然に魔物化すること自体極めて稀で、ほぼ考えられないと言い切って良い。それがさきほどまでふつうの犬なのを確認しているとなれば、自然な魔物化であると納得できる理由は何もなかった。


 絶対に人為的な何かがある。


 邪術師か魔族か、いずれにせよろくでもない連中が関わっているのは明白だ。


 犬を魔物化する狙いはわからない。が、そういった裏に潜む何者かについて考えるよりも、今は目の前の問題に対処するのが先決だった。


 殺るか。


 ガロンは一瞬そう考えた。

 結局殺すことが避けられないのは絶対で、そうであるならばリティシアに気づかれないうちに殺る方がまだマシだと考えた。

 リティシアがまともに魔物を見る前に、首から上を消し飛ばせば気づかないという可能性はある。


 迷った。


 今からでは首を飛ばすよりも早くリティシアの目に映る可能性の方が高くなっていそうではあった。

 問答無用で解決してあとからリティシアに問い詰められるか、それともリティシアと対峙させるか。


 ガロンは後者を選んだ。リティシアに何か言われるのがいやだったわけではなく、リティシアを精神的に保護しようという考えが、リティシアに対してある種の侮辱ではないかと思ったからだ。


 唸り声をあげて魔物が接近する。


 リティシアが魔物のすがたを認めて目を見開いている。


 魔物の突進にガロンは合わせた。


 半身になって魔物の側面にすべり込むように入り、魔物の横腹に肩を当てて踏み込んだ。


 突進していた魔物が横からの力によって吹き飛ぶ。魔物は四肢で踏ん張って勢いを殺し、土煙を上げながら止まった。

 ふたりは魔物と対峙する形になる。ガロンが前、リティシアが後ろで控える。ガロンの位置からリティシアの顔は見えないが、どういう顔をしているかは容易に想像できた。


「うそ……」


 消え入りそうなリティシアの声。


 睨み合いが続く。魔物はガロンとリティシアを見て動かない。獲物の予想外の抵抗に警戒しているのだろう。

 その警戒を、リティシアはとても夢のある解釈をした。


「あの子ですよね? もしかしてわたしたちのこと覚えてて止まっているのかも」

「それはないな」


 魔物と化した場合、それ以前の記憶はなくなる。魂が変質してしまうのだ。


「でも…… だって……」

「警戒してるんだ、倒すぞ」

「でも…… あの子ですよね……?」

「いや、あれはもう魔物だ。もう戻せるものでもないんだ」

「戻る……」


 リティシアが沈黙する。

 魔物が覚悟を決めたのか、目の色が変わった。


「倒すぞ」

「待ってください、ガロンさんは魔物の動きを止めてください。せめてわたしの手で」

「わかった」


 苦しまないように一撃で楽にしてやれるのかという疑問はあったが、もはやそんなことを聞いていられる時間はなかった。


 ガロンは指弾から入った。迷彩を施した魔力塊を指で弾いて魔物の眉間にぶつけた。

 魔物は正体不明の衝撃にひるみ、そのときにはガロンはもう魔物の真下に入っていた。

 力だけで魔物を持ち上げて引っくり返し、腹を押さえつけて動きを封じた。


 魔物が四肢を振り回して脱出しようと試みるが、腹部を中心に体自体はびくともしない。


「リティシア、やってくれ」

「はい」


 リティシアが近づき、魔物の額に杖を当てた。

 魔物の四肢がピンと張り、すぐに力が抜けていく。


 ガロンが手を放す。魔物はまだ死んではいないが、これ以上動かないだろうということはわかった。

 リティシアが目をつぶったまま、魔物の額に杖を当て続けている。


 倒れた巨大な狼の額に杖を当てているリティシアの姿は、どこか物語の一幕のようでもあった。

 物語であれば魔物はもとの犬に戻るだろう。現実はそうはいかないが。


 ガロンはその様子を見ている。見惚れているわけではない。観察しているのだ。


 リティシアの魔力の流れがおかしい。


 何度かこういったリティシアは見てきた。


 戦闘の際にもリティシアが直接戦うときに、何度か目にしたものでもある。

 不自然なのは、起こしている事象に対して、発生している魔力が少ないのだ。


 ふつう、魔法は大きな事象を起こせば起こすほど魔力が影響する。今もリティシアは魔物を昏倒させたが、その事象を起こすに値するだけの魔力の放出があったようには見えなかった。


 リティシアは杖をかざし続けて動かない。

 魔物はまだ生きている。


 おかしい。

 リティシアが何かをしているのは間違いない。

 だが影響が見て取れない。

 魔物の生命に何ら変化が見られないのはガロンにもわかる。


「リティシア? 何をしようとしている?」


 リティシアは答えない。動かない。


 信じられないことが起こった。


 魔物が魔物ではなくなっていく。


 魔物の膨張した体がみるみる小さくなり、最後には元の犬へと戻った。 


 ふう、とリティシアが大きく息を吐く。目を開き、元に戻った犬を見てにこりと笑う。

 犬はリティシアの姿を認めてしっぽを振り回している。


 目を疑うような光景だった。


 魔物を魔物から戻す。その条件が現実的に満たされるかどうかはともかく、理屈の上ではできないことはない。肉体・魂の両面において実在するのが疑われる精度の操作魔法が使えれば不可能とは言い切れない。


 ただそれが実現できるとは思えない。

 どれほどの難易度かは、粘土で作った犬を思い浮かべるとわかりやすいかもしれない。粘土でできた犬の中身には別の色の粘土が詰まっている。この中身が魂を代表とする第四要素だとしよう。

 この粘土の犬を全く別の形に作り変え、それから元の形に戻そうとするのだ。中身はいったいどういう状態になるか。


 魔物化した生物を元に戻すというのは、つまりそれくらい無理がある。

 だが、目の前の犬は何事もなかったように元気だ。

 この二ヶ月、リティシアと行動を共にしてどこか違和感は感じていたのだ。

 その答えがわかった。


 魔導、と分類される力がある。魔法は基本的に資質さえあれば努力すれば使えるようになる。それに対して、魔導は生来のもので努力したところで使えるものではなく、それが引き起こす現象は唯一無二であることが多い。


 竜族や魔族など魔力が強い種族に発現しやすいという傾向があるにはあるが、人間にも極めて稀にではあるが魔導が発現することはある。


 リティシアが使ったのは間違いなくそれだ。


 犬の肉体にも魂にも魔法的な処置を行うことなく、ただ元に戻した。

 魔導が引き起こす唯一無二の現象にどのようなものがあるかと言えば、例えば死者の蘇生であったり、空間への干渉。未来予知、神眼、貪食、転生、魔眼、神聖、あるいは、


「時術か」


 そう言われたリティシアはすこし恥ずかしそうにしている。


「え、と、隠そうとしていたわけではないんですけど」

「自分の力がわかっているのか?」

「時間に触れられるみたいで、いつの間にか使えるようになってたんです」


 魔導が使えるそれ自体は悪いことではない。むしろその者の長所であるとさえ言える。


 問題は、それを利用しようとするものが現れる点にある。

 単純に利用しようとするもの、魔導を解明しようとするもの、どちらもあり得る。リティシアの時術がどれくらいの規模のことをできるかはわからないが、興味を持つ輩は間違いなくいる。


 魔族に狙われているのは自分だとガロンは考えていた。

 冷静に考えれば野良の魔族などそうそういるはずがないのだ。


 この前に遭遇した魔族はガロンの特異性に気付いてちょっかいを出したのだと勘違いしていた。

 実際はリティシアの特異性が目的だったのだ。

 あれこそリティシアの魔導に興味を持つ輩だったのだ。


 ガロンの只ならぬ空気を察したのか、犬がおびえるように去っていく。

 この犬も問題だ。


 確率で言えばこの数時間で偶然魔物化するよりも、隕石に打たれて死ぬ方がまだ簡単だ。そうなると確実にリティシアに興味を持っている魔族が近くにいることになる。


 ガロンは今の姿でできる感知の範囲を最大限まで広げてみたが、今はもうそれらしき気配は感じ取れなかった。


「リティシア、もうその力を使うのはやめろ。少なくとも他人の目があるところでは絶対に使うな」

「え、その、なんでです……?」

「あの犬が偶然魔物になったと思うか?」

「それってどういう……?」


 豹変、と言っていい。リティシアの顔が、唐突に青ざめていく。


「魔導が使えるものは狙われる。この前に戦った魔族もおそらくその類だ。そして今もそうだ。あの犬は魔族がけしかけたものだろう」


 リティシアの目が一瞬虚ろになったように見えた。焦点があっていない。何も見えていなさそうな目には涙が貯まり始める。顔は驚くほど青白い。


「もしかして、今までのって全部わたしの……」

 

 想像以上に動揺するリティシアを見て、ガロンもたじろいだ。


 リティシアがいきなり口元を抑えた。背中が痙攣し、喉がおかしな動きをする。


 リティシアが嘔吐した。


 手の隙間から吐瀉物が漏れ出る。


 そんなリティシアを見て、ガロンはようやく冷静になった。

 要するにガロンはこう言ったわけだ。自分たちが襲われたのも犬が魔物にされたのも全部お前のせいだぞ、と。


「すまん、そういうつもりじゃなかった。大丈夫か?」


 リティシアはむせながらも「大丈夫です」とだけ言った。


「とにかくそれ以上魔導を使わなければ大丈夫だ。あとはおれがなんとかする」


 簡単な話だ。心配する必要など何もない。

 今リティシアを狙っている魔族をガロンが消す。

 それ以降リティシアの時術が観測されなければそれですべて問題は解決する。


 帰り道、ガロンはリティシアを支えながら歩いた。

 ふたりはほとんど何も喋らなかった。


 カラスが鳴いていた。

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