第23話 ある英雄の物語(2)

 ジーナは利発な子供だった。

 ガロンは出会ったときからその片鱗を感じていたが、想像以上に頭がよくリーザの教えることは何でも吸収した。


 ジーナの住居は、エルフたちの手を借りて洞窟の入り口近くにある樹上に作られた。

 住居ができてもしばらくは、ジーナは夜になるとガロンの元へ来て藁のベッドで寝ていた。


『あちらの方が居心地がいいだろう。なぜこっちにくる?』

「こわいからイヤ」


 だそうだ。


 ジーナは何かしていないと落ち着かない質らしく、寝る前でもそれは変わらなかった。

 寝るためにただ横になっているのは退屈らしく、


「なんかお話して」


 と決まって話をせついた。


 ガロンは自分の知っている話から教育に悪そうなものを三桁は除外して、その中から比較的おだやかなものを厳選して話をした。竜の話、魔族の話、人間の話。ジーナが理解できるように話すのは骨だったが、ジーナはガロンの話を夢中になって聞いた。


 しばらくしてジーナは樹上の住居で寝ることも増えたが、それでも半分はガロンの寝床で過ごした。


 悪い気分ではなかった。





 日中、勉強が終わるとジーナはガロンの元に訪れた。


 その日の気分でジーナの遊びは変わる。


 例えばガロンの体を遊具代わりにして遊ぶ。人間の子供がガロンの巨体から落ちればタダではすまない。危ないからやめろと言ってもジーナは聞かなかった。

 結局ガロンの方が折れ、いつでもジーナを魔法で保護できるように気を使いながらやりたい放題されている。


 あるいは歌をうたうときもある。ガロンの巣は巨大な洞窟の奥にある。そこでうたうとなれば当然響く。ジーナはそれが気に入っているらしく、力いっぱいの大声で歌をうたう。


 ジーナのうたう歌には統一感がない。動物の歌だったり、間抜けな借金取りの歌だったり、神を讃える歌だったりする。たぶん本人は歌詞の意味は理解していない。それでもジーナは大層楽しそうにうたうのだ。


 人間の成長は早く、時間はあっという間に過ぎた。



 いつの間にか、ジーナの誕生日にだけは空を飛ぶガロンの背に乗って良いという掟ができた。

 ジーナはいつでも背に乗せて飛んでくれとせがんだが、ガロンはそれを拒否した。

 第一にあぶない。魔法で保護するにしても限度というものがある。

 それ以上に、人間の少女を乗せて飛び回るのを誰かに見つかったらまずいという理由もある。ジーナを乗せて飛んでいるところをボールドバーグあたりに見つかったら一生笑われるに決まっている。


 ただ、誕生日だけは別だった。

 ガロンとしても誕生日くらいは特別に何かをしてやろうという気概はある。


 ジーナは体験を重視する。

 人間の女は財宝を好むという話は知っていたが、ジーナはそれに当てはまらないらしい。財宝を見せてもきれいとは思うが欲しいとは思わないそうだ。


 それよりもジーナが喜ぶのは遊んだり、話を聞いたりすることだった。

 だからジーナの誕生日にだけは、ガロンはジーナを背に乗せて飛んだ。

 ガロンの背に乗り自由に大空を飛び回るジーナはとてもうれしそうだった。



 多少の成長をして、ジーナの遊びの趣向も少し変わってきた。


 ガロンの体に乗って遊ぶ頻度は減った。

 歌は今もうたう。昔と違って今は大声でうたうだけではない。しっかりとした旋律がある。人間の歌ではなくリーザから習ったエルフの歌で、森や動物についての歌を美しい声でうたう。ガロンはそれを聞くのが密かな楽しみになっていた。


 ガロンの話を聞くのはいくつになっても喜んだ。ガロンはジーナが大きくなるにつれ教育によろしくない類の話もしてやった。


 色々な遊びの中でも、ここしばらくはジーナのお気に入りは追いかけっこだった。

 ガロンがドシンドシンと樹木をなぎ倒して駆け回り、ジーナがそれを追うというわけではない。それは無理がある。


 追いかけっこは、ガロンは巣に横たわったまま、ジーナは藁の山に座ったまま行う。

 ガロンとジーナの前に小さな光の玉が浮かぶ。

 純粋な魔力の塊だ。


 ガロンの玉が逃げ、ジーナの玉がそれを追う。


 ジーナには魔法の才能があった。それも、並外れた。

 魔力塊を単に放つのは魔法の初歩の初歩だが、これはそれとはわけが違う。

 自分から離れた魔力を遠隔で高速制御する、というのはふつうの人間であれば熟練の魔法使いでようやくできるかどうかといったところだろう。


 ジーナは子供でありながらそれをこなした。


 ガロンが初めて捕まったのはジーナが十二歳のときだった。

 その日のジーナは追いかけっこを始める前からにやにやしていた。

 最近はあともうすこしで捕まえられるというときが多くなり、ジーナが挑んでくる頻度も増えていた。


 ガロンが目の前に光球を浮かせる。

 ジーナの目の前にも光球が浮かぶ。


 三つも。


 ジーナがニヤリと笑う。


「みっつ出しちゃいけないってルールはないよね?」


 ジーナの光球が恐ろしい速度でガロンの光球に迫った。

 制御できるものか、ガロンはそう思ったが、結果はそうはならなかった。


 三つの光球はそれぞれ意思を持っているかのように動き、渦を描くように徐々にその方位を狭め、ガロンの光球はあっという間に捕まって双方が弾けた。


 ジーナはそれはそれは嬉しそうにしていた。

 魔力量などを度外視し、純粋な魔力の制御のみという観点で見れば、ジーナは幼くしてガロンを上回っていた。





 ガロンは今までにないほど穏やかな日々を過ごしていた。

 十年はあっという間だった。


 ジーナがガロンの元に来てから十年が経ち、ジーナは十六歳になった。人間の基準に照らし合わせるなら立派な成人である。

 もうまんまるな目をした幼いこどもではない。美しいひとりの女性になっていた。

 

 大人になるまで、とガロンが決めた。


 ジーナもそのことは理解している。


 竜にも思い出して恥ずかしくなる記憶というものがある。

 あの日あのときはまさにそうだった。ガロンは今でもなぜあんな聞き方をしたのかと恥じ入るときがある。


『大人になるまで面倒を見るという約束だ。リーザももうおまえは一人でやっていけると保証している。だが人間の世界は面倒も多い、ここに残りたければそれも構わん』


 ジーナの瞳を見ただけでどんな答えが返ってくるかはわかった。


「わたし、外に出るわ。ガロンが話してくれた世界をこの目で見たいの」


 

 十六歳の誕生日にも、ガロンはジーナを背に乗せて空を飛んだ。

 その日の空はどこまでも青く、ふとすれば飲み込まれてしまいそうな美しさがあった。

 眼下には狭い洞窟と違う、広大な大地が広がっている。


「ガロン、わたし、自分の足でこの世界を歩いてくる」

『ああ』

「それでね、ガロンがわたしにお話してくれたみたいに、今度はわたしがガロンにお話してあげるの。わたしだけの物語」

『おもしろい。では五年に一度は顔を見せろ』

「ええ、絶対に」

『約束だぞ』





 時間が飛ぶように過ぎていく。


 竜にとって、五年はすぐだった。

 


 五年が経ってジーナは約束通り顔を出した。


「わたし、冒険者になったの」

『冒険者……とは?』

「なんだろ、何でも屋? お金をもらって魔物を倒したり、ものを取ってきたり、人を守ったりするの」

『何が楽しいんだそれは』

「楽しいよ? 色んなところに行けるし、みんな喜んでくれるし」

『そういうものか』

「そういうものなの、人間って」


 ジーナはニヤニヤと笑いながら、


「ところでガロンってすごい竜?」

『なんだいきなり』

「だって、ガロンのこと知らない人はいないんだよ?」

『どうせまたろくでもない噂だろ』

「それは、まあ、その」


 ジーナは急に歯切れが悪くなる。


『どんな噂だ』


 ジーナは目を逸して言う。


「それは秘密」





 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


 そのころにはジーナはすっかり有名人になっていたらしい。

 ジーナがそろそろ来るだろうとガロンは巣に藁の山を用意しておいた。

 

 ジーナはそこに座って、子供のころとまったく変わらない陽気さで話をした。

 まだ冒険者の仕事は続けていて、次第に国からも依頼を受けるようになったらしい。


 いくつもの失敗した話を聞いた。

 その五倍の成功した話を聞いた。


「ねえガロン、今わたしなんて呼ばれてるかわかる?」

『さあ、わからんな』

「竜の巫女だって! 笑っちゃうでしょ?」


 ジーナはそう言って笑った。

 ガロンも笑った。





 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


 それどころかジーナはひとりではなかった。


 男が一緒にいた。


 お世辞にも強そうとは言えない男だった。

 男はガロンを恐れているというよりも緊張している様子だった。


「わたしたち結婚したの、だから紹介しなきゃと思って」


 ジーナが言うには冒険者の組織で仕事をしている男らしい。

 ジーナが駆け出しのころからずっとめんどうを見てくれたそうだ。

 話してみると悪いやつではなさそうだった。

 ふたりが帰ってからガロンはしばらくふて寝した。




 

 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


 あの男と一緒だと思ったのに今度はジーナひとりだった。


『あの男は?』


 そう聞くと、ジーナは首を横に振って涙を流し始めた。

 なんでも人間の世界は今、国同士の戦争をしているらしい。

 あのジーナを慰めることになるなんて、ガロンは想像すらしなかった。





 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


 もうすっかり元のジーナに戻っていた。

 戦争が終わって、今は戦後の処理で大変らしい。

 終わってしまえば、というやつか、ジーナの戦争を語る口調は穏やかで、時折楽しそうですらあった。

 ジーナは大変な勲章をもらったらしいが、本人は馬鹿げていると笑っていた。


『これからどうするつもりだ?』

「また冒険者稼業もいいかもね、まだ考え中」


 ジーナはそう言っていた。





 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


 結局冒険者に戻ったが、今は大忙しらしい。

 何でも戦争の影響で野盗の数が増えていて大変だそうだ。


「危ない子が多いから私がめんどう見てるの」


 そうジーナは豪語する。

 戦争に関わって自信を持ち、そこから冒険者になる若者が多いそうだ。

 今、冒険者は仕事にこと欠かない。

 ただ、そうなると自分の力量をわきまえず無茶をする者が出る。

 ジーナはそういった若者を助けるのを中心に活動してるらしい。


『つまらなそうな仕事だな』

「そうでもないわよ、若い子を助けるのって案外楽しいし」

 




 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


 ジーナは魔法学校の先生になっていた。


「教えるのは楽しいし、子どもたちはかわいいし、もしかしたら天職かも」

『冒険者はどうしたんだ?』

「ああ、あれはもうだめ。冒険者は年齢的にきつくって。冒険者のおじいちゃんも見るけどわたしにはむりむり」


 五年前はまだ若さを感じたが、この五年でジーナはぐっと老けた気がする。

 髪の毛に白髪が混じり、肌は張りをなくし、少し太ったように見える。


 ガロンは、このときになってようやく人間と竜の時間の流れの違いを意識した。

 あるいは、今までわかっていながらも目を逸し続けていたのかもしれない。


「でも教師はずっと続けるつもり。今になって先生がどれだけ苦労したかよくわかるわ」


 そう言って笑う雰囲気は、こどものころとすこしも変わらなかった。





 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


『なんでも魔槍を倒したそうだな?』

「なんで知ってるの、驚かせようと思ったのに」


 魔槍のラングリッツァといえば竜の間でも名のとおった魔族だ。それを人間が倒したとなればあらゆる種族に噂が広がるのは当然と言えた。

 かくいうガロンもリーザからその話を聞いていた。


『そういえばリーザの元へは顔を出しているのか?』

「もちろん。ここに来る前にはいつも会いに行ってるわ」


 そこでジーナはハッとした。


「リーザから聞いたんでしょ!? つまんないの」

『あいつも嬉しいんだろう』


 リーザは自分がジーナに魔法を教えたのだとひどく自慢げにしていた。


「どこでも英雄扱いなんて窮屈で仕方ないわ」

『そう言うな、名前が通るっていうのはそういうもんだ』

「暴竜様が言うと説得力があるわね」

『伊達に千年生きてないからな』

「これじゃ話すことがなくなっちゃうじゃない」

『細かい話は知らないぞ。直接聞かせてくれ、英雄様の物語を』


 そう言われたジーナはどこか誇らしげだった。


「じゃあどこから話そうかな」





 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


 魔法学校の校長になったが肌に合わず、今は王族の個人教師をしているらしい。


「校長なんてなるものじゃないわ。色んな生徒と関われるのはいいけど、ひとりひとりと関わる時間が減っちゃ意味ないわ。生徒と話してるよりも大人と話してる時間の方が長いんだもの」

『それで王族の教師か?』

「そう、わがままな子も多いけどなかなか楽しいわ」

『リーザの気持ちがわかる、か?」

「まあね。でもひとりすごい子がいてね、もしかして私みたいに歴史に名前を残すかも」

『よく言う』


 ガロンは笑った。





 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


『今は何をしてるんだ?』

「もう何も。だって六十六ですもの、立派なおばあちゃんよ」


 ジーナは老いていた。

 美しかった容姿は見る影もなく、老婆としか言いようがない。

 それでもジーナはジーナなのか、弱々しい気配はまったくしない。背筋は伸び、目の輝きも衰えてはいない。


「今は国からの相談がちょっとで、あとは隠居生活。でもこういう生活も悪くないわ。わたしの人生でこんなにゆっくりした時間は初めて」


 ガロンはジーナを見ている。

 今も、ジーナは藁の山に座って話している。

 ついこの間までこどもだったジーナが、今では老婆になっている。

 ガロンは意識せずにはいられない。


 人間には寿命がある。





 また五年が経った。

 ジーナは約束通り顔を出した。


 新しい話はあまりなかった。

 ガロンとジーナは昔の話をたくさんした。


 ジーナがどんな悪戯をしたとか、ガロンが無茶苦茶なことを言ってリーザを困らせていただとかそういった話を。

 ジーナは痩せ細り、動きはひどくゆっくりしていた。もう髪の毛も真っ白に染まり、気配も弱々しい。


「こんなに楽しいのは久しぶり、けどそろそろお暇しないとね」


 ジーナは慎重に藁の山から立ち上がる。


『待て』


 言わずにはいられなかった。


『竜の血を知っているか?』


 人間の伝承に竜の血を飲めば不老不死になるというものがある。それは当たらずとも遠からずといった話で、高位の竜の血には本当に若返りや長寿の効果がある。


 ジーナがそれを知らないはずはなかった。

 だから、ジーナがどう答えるかは初めからわかっていた。


「ガロン、嬉しいけど、それは受けられないわ」

『なぜだ?』

「竜には竜の誇りがあるでしょう?」

『ああ』

「人間にも人間の誇りがあるの。人間が生きていられる時間は短いけど、その分一生懸命生きるの。限られた時間を精一杯生きるのが人間の誇り。わたしは自分の物語に満足しているの。だからそれを歪める気はない」


 わかっていた。ある種の侮辱になりかねない行為だということは。それでもガロンは提案せずにはいられなかった。

 

『すまない』


 ガロンがジーナに本気で謝ったのは初めてかもしれなかった。そんなガロンをジーナは悪戯をして謝る子供に笑いかけるように言った。


「いいわ、嬉しかったもの」


 ジーナの瞳にだけは、今も変わらない光が宿っていた。

 老婆を前にして、これほど人間が美しいと感じたことはなかった。


「ねえ、お詫びと言っちゃなんだけど、また背中に乗せて飛んでくれない?」




 ガロンはジーナを乗せて飛んだ。

 ジーナは行ったことのある場所を指さしては思い出話をした。

 ガロンは背中の声をじっと聞いていた。

 その日の空もどこまでも青く、ふとすれば飲み込まれてしまいそうな美しさがあった。

 眼下には狭い洞窟と違う、広大な大地が広がっている。







 また五年が経った。

 ジーナは来なかった。


 そんな時もあるのかもしれない、とガロンは思った。






 

 また五年が経った。

 ジーナは来なかった。


 わかっていたことだった。

 ガロンの足元には、ジーナのために用意した藁の山がある。


 もうそこに座る人間が来ることはない。





 それからガロンは守護龍になった。

 ガロンにとっては楽しかった思い出だ。

 こういった出来事は良かったことも悲しかったこともすべて引っくるめて考えるべきなのだ。

 だから、これはガロンにとって良い思い出に違いない。


 ガロンは人間が気に入っている。

 今人間に混ざり過ごしているのも、中々楽しいものだと満足している。

 しかし、人間と長く関わればある問題が起きるのも理解してる。


 それは別れが来ることだ。

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