第22話 ある英雄の物語(1)

 深夜。


 ガロンはまだ寝ていない。


 いつもの宿の、いつもの部屋の、いつものベッドで、ガロンは横になっている。


 外からは時折、人の声が聞こえる。祭りの残り香とも言える声だ。

 竜はその気になればいつでも寝れるし、起きていようと思ったらいつまでも起きていられる。


 窓から入る柔らかい星の光を浴びながらガロンは昔を思い出している。


 ガロンが人間を守護する象徴となったのは、人間に魅力を感じるから、というだけの話ではない。


 ジーナ・ディードという人間が大きく関わっている。


 ガロンは思い出す。



 それはまだ、ガロンディードが守護竜ではなかった頃の話。


 それはまだ、ジーナ・ディードが生きていた頃の話。


 人の世が乱れ、魔が蔓延り、力が今よりもずっと重要だった時代の話。


 千年以上も昔の話だ。





 その頃のガロンはだいたい山奥の巣で過ごしていた。


 一時は戦いに明け暮れた日々もあったが、竜族にも魔族にも大した相手がいないとわかると戦いにも飽いた。


 竜、というのはそれだけで信仰の対象になる。


 ただ山奥に住んでいるだけなのに、数年もすると決まった時期に人間から貢ぎものが届くようになった。

 貢がれると言っても、その際に人間と言葉を交わすことはない。巣である巨大な洞窟の入り口に、気付くと貢物が置いてあるだけだ。


 なのでそれがどういうつもりで置かれているのかはわからなかった。襲わないでくださいなのか、これをあげるので守ってくださいなのか。姿を現さない以上は前者、という気はしたが真偽を確かめる方法はなかった。

 貢物を置かれても、それはガロンからしたらかわいい小動物が何かをしていて愉快くらいにしか思わない。


 内容の方だが、食料と酒はありがたく頂いた。竜は別に食べる必要はないが、嗜好品としての意味はある。貢がれる食料はガロンの密かな楽しみになっていた。


 他にあったのは金銀財宝の類。これはガロンにとって何の意味もなさなかった。人間の中で価値がある、というのは理解しているが、竜であるガロンには使いようがない。


 入り口に置きっぱなしにしておくと巣が目立つので、財宝は仕方なく巣の奥に溜め込む形になった。

 そんな貢物の中で特に困ったものがある。


 人間だ。


 数年に一度ではあるが、稀に縛られた人間の女が置かれているのだ。

 これにはガロンも非常に困った。


 最初に縛られた女が巣の入り口に置かれていたときは困惑した。まさか同族を差し出して食えというわけではあるまい。そうなるとペットとして飼えとでも言うつもりなのか。たしかに縛られた女は容姿が整っていて可愛らしく見える。


 女の拘束を解いて話を聞いてみると、まさかの食えということらしい。

 どういうことかと問うと、女は泣きながら話を始めた。最近の天候の乱れは竜神様の怒りであり、それを鎮めるには年頃の女を竜神様に捧げるしかないのだそうだ。

 知らんがな。


 天災は天災であってガロンは一切の関わりがなく、自分は人間など食べないと伝えると、また女は泣き出した。

 もしそれが本当だったとしても、自分が村に帰ったら贄となるのを恐れて逃げ帰ったと思われるだろう。村に帰ったら殺されてしまうと女は泣きじゃくる。


 ガロンが村に直接出向いて説明する、という選択肢もあったにはあった。それはかなりのめんどうではあったし、仮に誤解がとけて女が村に帰れたとしても、そんな村で過ごすのは不憫だろうとも思った。


 ガロンは女を逃がすことを選んだ。


 幸いにも巣の奥には使い道のない金銀財宝が山とあった。女には好きなだけ財宝を持っていくように伝え、交友のある精霊に人里まで送らせた。

 女は涙して感謝し、このご恩は一生忘れませんと言って旅立っていった。


 十年が経ったか、二十年が経ったか、どれだけ時間が流れたかわからないが、そんなことがそれから五回はあった。

 五回とも贄として捧げられたのは美しい女で、毎回おなじような反応をして、毎回財宝を持たせて逃した。

 

 

 そしてまた人間の気配。

 三人の人間が巣の入り口へ近づき、ひとりの人間だけが残る。


 またか、と思う。

 ガロンはノソノソと巣から起き上がり、気怠い歩調で入り口へと向かう。

 いい加減何かしらの方法で贄はいらないと村へ伝えるべきなのか、そう考えながら洞窟の外に出ると、いつもと違う点がいくつもあった。


 贄に捧げられた人間は拘束されていなかった。

 人間は巨大な洞窟の入り口の横で、他の貢物と一緒にちょこんと座っている。


 女の子だった。


 ガロンに人間のこまかい年齢はわからないが、それが生まれてから数年しか経っていない女の子だというのはわかった。

 人形みたいな女の子がまんまるな瞳でガロンを見つめている。


 その瞳に恐怖の色はなく、あるのは好奇心だけに見えた。

 巨大な竜と、小さな女の子の目が合う。


『人間よ、おれの言葉が分かるか』


 少女は不思議そうにあたりを見回す。


『おれだ、竜だ』


 少女がガロンを見上げる。


「竜神様なの?」

『そうだ』


 言葉が通じることがわかりガロンは安堵した。見た目だけでは少女の年齢がわからないので、言葉が話せるのかわからなかったのだ。その上念話を受けるにも最低限の素養というものが必要で、下手をすれば念話が通じない可能性もあった。


『お前はなぜここに来た?』


 少女は首をかしげる。


「だってこれからは竜神様と暮らすって」


 いや待てわからん。威厳も何もない発言を危ういところでこらえ、ガロンは続ける。


『どういうことだ? 両親は?』

「お父さんとお母さんはいなくて、でもジロンおじさんとメイディルおばさんがいるの」


 だれだよ。


「でもご飯がないから、ジーナは龍神様のところに行って龍神様と一緒に暮らすの」


 おそらくは口減らしなのだろう。

 人間の側から見れば、ガロンの元へ贄として差し出した女は、誰ひとりとして帰ってきていない。そうなると失礼な話ではあるが、ガロンが女を食っているとしか思っていないはずだ。


 そんな場所に年端もいかぬ少女を送りつけるとは、やはりあの村は滅ぼしたほうが良いのではないかと思う。

 人間には人間の事情があるのだろうが、こんなかわいらしい少女を贄として差し出すなど正気とは思えない。


 だが、今のガロンには村を滅ぼすよりも目先の問題を解決する方が先決だった。

 ジーナと名乗った少女は、無垢な瞳でガロンを見つめ、次の言葉を待っている。


 今までの女と同じようにはいかない。このような年齢の少女に金銀財宝を持たせて人里に送ったところで、まともな生活を送るのは無理だろう。かと言って村に送り帰す気にはならない。

 そんなガロンの葛藤など気にもしない様子で、ジーナは無邪気に口を開く。


「ねえ、ジーナのおうちはどこになるの?」





 結局最初は山の精霊に頼りきる形になった。


 ガロンは山の精霊から勝手に敬われていた。理由は単純で、ガロンは山を荒らさず、ガロンがいれば山を荒らすような者も恐れて近寄らないからである。

 どちらも基本的には干渉せず、山の精霊がたまに挨拶や世間話をしにくる程度で、他には贄として捧げられた女を人里に送ってもらうくらいであった。


 いきなりの頼みにも山の精霊は快く了承してくれた。


 この問題に関してガロンが出した基本方針は、大人になるまでジーナを育てるであった。


 なぜひとりの人間に対してそんなに時間のかかる方針を定めたかといえば、それには山よりも高く海よりも深い理由があった。 

 不憫である、というのはもちろんなのだが、少女の見た目が大いに関係していたのは否定できない。


 かわいすぎるのだ。竜は基本的に人間の見た目を好む。それはガロンもなんとなく理解はしていた。

 しかし、一部の竜が熱狂的な反応を見せるのは馬鹿にしていた。あいつらは頭がおかしいと。


 ガロンは一部の竜の気持ちの片鱗を理解してしまった。


 それでもガロンは誇り高き竜である。


 そんな考えなどおくびにも出さず今後の計画を練った。

 大人になったら今まで同様、財宝を持たせて人里に帰す。もし他に納得のいく解決案が出た場合は順次そちらに移行する。


 そうとなれば、人間の知識が必要だった。

 なんの知識もなしに人里に放り込んだのでは意味がない。人里に帰すまでに十分な教養を身につける必要がある。

 人間の教養を、だ。ガロンはもちろんそんなものは持ち合わせていない。


 そうなると助けがいる。


 そういうわけでガロンは山の精霊に、人間に詳しいエルフを呼ぶように頼んだのだ。

 ジーナの方はといえばお気楽なものだ。ガロンの寝床のすぐ近くに、藁を山にして自分の寝床を作ってすやすやである。

 いったいどういう神経をしているのだろう。人間のこどもとはみなこういうものなのか、それともとんでもない大物の片鱗なのか。


『連れてきましたよ』


 山の精霊からの念話だった。

 すぐにエルフが現れた。

 ガロンは巣から首を持ち上げてエルフを見下ろす。

 エルフで、女で、おまけに美人だった。


 ただし半泣きだった。


 顔は恐怖で青ざめ、目には隠しようのない涙が溜まっており、今までここに送られてきた人間と似たような気配を漂わせていた。


「ラトゥーンの里よりリーザが参りました。ど、どのような御用でしょうか?」


 微かに声が震えている。


『待て、山の精霊から何も聞いてないのか?』

「や、山の精霊様からは人間に詳しい者を差し出せと」

『おまえは人間に詳しいのか?』

「はい、人間に対しては詳しいと自負しております。先の戦争でも人の国で密偵として過ごした時期があります。人間の弱点ならどんなことでもお答えできると思います」

『待て、なぜ人間の弱点が出てくる?』

「ガロンディード様が人間について何かということはつまり、ついに人間を滅ぼすのかと思いまして……」

『おまえはちょっと下を見ろ』


 ガロンが頭で自分の足元を示す。

 そこには人間の幼い少女がいる。呑気に藁のベッドで寝ている。ふたりの存在に気づきもせずにすやっすやである。

 リーザと名乗ったエルフは口をあんぐりと開けている。


「し、失礼ながら人間の調理法などは我々エルフは存じておりません……」

『バカにしているのか』


 リーザの怯えようと言ったらなかった。

 一瞬で平伏して地面に頭をこすりつけて「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と連呼している。


『いやいい、頭をあげろ。お前を呼んだのはそんな理由じゃない』


 リーザがおそるおそる立ち上がる。


『おまえにはこの子の教師役を頼みたい』


 リーザが固まった。何か念話を受け違えたのではないかと精査しているかのように微動だにしない。そして数秒が経ってから、


「もう一度お願いできますか?」

『おまえにはこの子の教師役を頼みたい』


 リーザがガロンとその足元で寝ているジーナを交互に見る。


「それはつまり、わたしにこの子の教師役をして欲しいと?」


 こいつでほんとに大丈夫かな、とガロンは思う。


『そうだ。期限はこの子が大人になるまで。報酬は俺の巣の奥にある財宝から好きにとっていい』

「構わない、ですけど、ガロンディード様がなぜそのようなことを?」

『不憫だろうが、この子は贄として俺に送られてきたんだ』


 リーザは、まるで慈善活動をする魔族でも発見したかのような目でガロンを見ている。


「もしかして、ガロンディード様って、いい竜なんですか?」

『良いも悪いもおれをなんだと思っている』

「いえ、噂ではその、なんでもないです」

『噂ではなんだ、言え』


 リーザは怒らないでくださいよ、と前置きしてから、感情を無にして言った。


「暴竜ガロンディード、暴力の化身、魔族の恐怖、同族喰らい。黒竜ボールドバーグとの戦いで傷ついた体を癒やすためにこの山に潜んでいる。金銀財宝に目がなく、その巣には大量の財宝が貯め込まれている」


 なにも合っていない。

 ガロンは呆れて翼を動かしたが、リーザはそれを勘違いしたのか「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と連呼する。

 そこで、ガロンの足元で寝ていた小さな生き物が動いた。

 藁の山から起き上がり、眠そうな目をこすってリーザを見る。


「だれ……?」

『ようやく起きたか、このエルフがこれからお前の教師役を務める』

「きょうし?」

『あー、先生だ。このエルフは先生』


 その言葉を知っていることが嬉しいのか、ジーナは目を見開いて言う。


「先生はね! 村にもいたよ! でも村の先生の耳は尖ってなかった」

『このエルフは耳が尖っているけど先生だ。これから色んなことを教えてくれる。わかったか?』

「わかった。竜神様は先生をしないの?」

『おれはしない。わからないことがあったらこのエルフに聞け』

「じゃあ竜神様は何をするの?」


 現状ガロンは何もしていない。だいたいは巣にこもってだらだらと過ごしているだけである。とはいえ人間のこどもに何もしていないとは言いづらくガロンは誤魔化した。


『その竜神様という呼び方もやめろ』

「じゃあなんて呼べばいいの?」


 難しい質問だった。お父さん、は絶対に違う。おじさんも嫌だ。ガロンディード様、は正直柄ではない。結局大した案も思い浮かばずに、


『……ガロンと呼べ』


 こうしてガロンの奇妙な生活が始まった。

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