第21話 人のつくった物語


 芝居の鑑賞にガロンは気乗りがしていなかった。

 芝居自体には関心がないわけでもないが、問題はその演目にあった。


 ジーナ・ディード英雄譚。


 人間の中では古くから人気の話らしい。

 リティシアはこれを大層見たがっていた。そういえばジーナ・ディードが憧れだという話をしていた気がする。


 ガロンは気が進まない。


 なにせ、ジーナ・ディードについてはよく知っているのだから。





 広場の一画には舞台が配置されていた。


 辻の芝居を生業にする劇団が用意したにしてはそれなりに大きな舞台で、急造で設営されたながらなかなかの規模に見える。


 観劇の仕方は基本立ち見になっていて、観客の数はほどほどといったところだ。


 ガロンとリティシアは最前列にいる。


 時刻はすでに夕方と言っていいが、日が落ちるにはまだ少し時間がかかりそうだった。

 リティシアを見るとそれはもうわくわくが止まらないといった様子で舞台を見つめている。


「そんなに楽しみか?」

「はい、楽しみです」

「話の内容は知っているんだろ?」

「そうなんですけど、思い出の話なんで」


 リティシアはすこし気恥ずかしそうにして、


「わたし、お芝居で見たのが初めてなんですよ」

「ん?」

「ジーナ・ディードの物語。始めてみたときもディオースのお祭りでした。小さい頃のわたしはお芝居の内容がよくわかってなかったんですけど、女の人が戦う話って珍しかったから、すごく印象に残りました」


 リティシアの口調は、楽しかった思い出を話しているとき特有の饒舌さを帯びていた。


「家に帰ってからあの人みたいになるって大騒ぎして、お母さんを困らせた思い出があります。それから毎晩お母さんはジーナの物語を読んでくれて、私はいつもそれが楽しみでした」


 芝居がじきに始まるのか、舞台袖が徐々に騒がしくなってきた。


「お祭りでこれがやるときはいつも見るようにしてるんです。私が冒険者になった原点ですから」

「そんなにいい話なのか?」

「ガロンさん、見たことないんですか?」

「ないな」

「いい話、かはわかりません。正直わりと子供向けのお話だと思います。でも、本当にあった話ですし、女性冒険者が活躍するようになったのって、この話があったからとも聞きますし、一度は見ておいて損はしないと思いますよ」


 それはどうかな、とガロンは思う。

 舞台袖から赤褐色の大きな竜のハリボテが舞台に出てくる。


「そういえば、ガロンさんの名前ってガロンディードからきてるんですか?」


 本人です、とはもちろん言えない。


「あー、まあ、そんなとこだ」





 芝居はガロンのハリボテにジーナがひざまずいている場面から始まった。

 ジーナ役の役者はいかにも女傑といった力強い女性で、本物とは似ても似つかなかった。


「守護竜の王よ! どうか我に力をお授けください!」


 するとハリボテから、魔法で加工したらしき重苦しい声が響く。


「この山をひとりで登ってきたのか、大した女だ。力を与えても構わないがひとつだけ条件がある」

「それは何でしょうか?」

「その力を、人を守るために使うと誓うか?」


 ジーナ役の役者が立ち上がり、力強い瞳でハリボテを見据えた。


「誓います」

「よかろう、ならば力を与えよう」


 そこからジーナの修行が始まった。そして月日が流れ、ついにはジーナは竜の試練に挑みそれを制覇したのだ。

 竜の試練なるものをガロンは始めて聞いた。


「見事だ、お前に教えることはなにもない。その力を使って人の世を守るのだ」


 ジーナの快進撃が始まる。

 

 黒触獣の討伐、ドーリオスの秘宝の発見、央都武闘会の優勝。


 そして国一番の冒険者と名を馳せたジーナは、王から直々に魔族の討伐を依頼される。

 王子に呪いをかけた魔族をどうか打倒して欲しい、と。


 場面は呪いに伏した王子をジーナが見舞う場面に移る。

 わたしなどのためにあなたが危険を冒す必要はない、そう言う王子を見てジーナは魔族の討伐を決意する。


 魔族との激闘、舞台上で激しい打ち合いが続き、ついには聖剣の煌めきが魔族を引き裂いた。


 祝勝会。

 すっかり元気になった王子がジーナをダンスに誘い、慣れないジーナをリードする。

 それから二人は徐々に中を深め、最終的に結ばれることになる。

 二人は末永く幸せに暮らしましたと語られ舞台は閉じる。


 まばらな拍手が響く。

 芸人がカゴを持って観客たちの間をまわる。

 リティシアは太っ腹にも銀貨を三枚も入れた。ガロンはといえばあまり入れる気になれなかったが、リティシアがいる手前銀貨を一枚だけ入れた。


「どうでしたか?」

「あー、竜はもっとかっこよくしたほうがいいかもな」


 リティシアはふふっと笑い、


「そうですね。でも全体的には良かったと思いますよ」


 色々と言いたいことはあったが、満足そうなリティシアを見てガロンは黙っておくことにした。




 

 少し休憩、ということで、噴水まわりに腰をかけて休むことにした。

 夕日の赤は去り、星空が瞬き始めていた。


 人の数は減らないどころか増えているようにすら見える。

 祭りのために臨時で増やされた街灯のおかげで街並みは明るい。

 ガロンはひとりぼんやりとしながら人の流れを眺めていた。


 千年、という時間は、人が何かを忘れるには十分な時間なのだろうと思う。

 さきほどみた話は、ガロンの知っている話と似ても似つかなかった。


 それについて何か思うところはない。 

 どんな形にせよ、ジーナ・ディードという人間がのちに与えた影響をどう考えるべきなのか思案にふけっている。


「おまたせしました」


 リティシアが飲み物を持って戻ってきた。

 木製のコップにオレンジ色をした果物の果汁が入っている。

 飲み物を渡され、リティシアが隣に座る。


 果汁を飲んでみると、甘さとわずかな酸っぱさに、果物の香りが鼻を抜けてとてもうまい。

 リティシアも美味しそうに飲んでいる。その姿は祭りを楽しむ街娘そのもので、冒険者にはとても見えなかった。


「あれを見て、冒険者になろうと思ったんだよな?」


 リティシアは不思議そうにしている。


「どうしたんですか?」

「いや、別になんでもない」


 ガロンはあの芝居を見ても何も感じることはなかった。ただ、あの話を気に入っているリティシアの前でそれをわざわざ言うのは違う気がした。


 ジーナ・ディードがいたからリティシアは冒険者になっているのだ。

 冒険者はふつうの人間には危険な仕事で、その報酬は命をかけた対価として釣り合うものとはガロンは考えていない。


 冒険者になるものはよほどの腕自慢か、まっとうな仕事を嫌ったものか、夢見る愚か者である場合がほとんどだ。


 英雄譚で語られるような栄光に満ちた職ではなく、かなりヤクザな商売というのがこの二ヶ月ほどガロンが冒険者に協力して得た知見だ。


 そんなヤクザな仕事を、街娘にしか見えないリティシアがやっているという事実にガロンはなんとも言えない気分になっていた。


「冒険者になってよかったと思うか?」


 急な問いかけに、リティシアは困惑したようだった。


「え、と? 良かったと思いますよ? こうしてガロンさんとも会えましたし、いろんな人の役に立ててると思いますし、英雄じゃないですけど、最近は子供の頃に思い描いてた冒険者ーって感じで楽しいです」

「そうか」

「ほんとにどうしたんです? もしかしてお酒の方が良かったですか?」

「いや、これはうまいよ」


 グビリと一口。これは本当にうまい。

 リティシアがおずおずと口を開く。


「やっぱり、私みたいなのが冒険者なのって変ですか?」

「いきなりどうした?」


 昔を思い出して少し感傷的になっていたのかもしれない。リティシアを見るとガロンのことを不安そうに覗き込んでいる。美少女が自分を少し潤んだ瞳で見つめている、という図式にいまさら気づき、謎の罪悪感が芽生える。


「ほんとは、冒険者になって後悔してた時期もあるんです」


 リティシアは遠い昔を思い出すような目で話す。


「魔法学院を出た時も、冒険者になろうとするなんて馬鹿げてるってみんなに反対されました。でもお母さんは自分が思うように生きなさいって言ってくれて、それで冒険者になりました。でも冒険者になってからもうまくいかなくって。最初に組んでた人たちとは依頼の受け方で揉めちゃって。それから組もうって言う人はちょっと変な人ばっかりで。みんなが言ってたことが正しかったのかなって、わたしは冒険者になんか向いてないのかなって思いました。それでもあきらめきれなくってわたしは大陸の端のこの街まで来たんです」

「それからはうまくいったのか?」

「そこでガロンさんに助けてもらったんです」

「助けてもらったのはおれの方だろ?」


 リティシアは子供みたいな顔で笑う。


「そうでした。だから今は本当に楽しくて、子供の頃の夢がかなったって感じです」


 そこで急に声の調子が落ち、


「けど、さっきのガロンさんを見て、もしかしたらわたしと組むのをやめにしようと思ってるのかなって。お金も結構貯まってきたし、行っちゃうのかなって。もしそうだったら私もついて行っちゃ迷惑かなとか、色々考えちゃって……」


 リティシアの目は気付いたら泣きそうになっていた。


「いや、ちょっと昔のことを思い出していただけだ」

「そうなんですか?」

「ああ」


 それは本当だ。


「おれも今が楽しいと思っている」


 それも本当だ。


 あの日あの時、ガロンはボールドバーグに美少女になれることを自慢されて涙した。


 よくよく考えると、こうして美少女と過ごす日々を自慢したらボールドバーグが涙するのではないかと思う。


 リティシアは危なっかしい。冒険者としては間違いなく半人前といっていい。それは戦闘能力の問題ではなく、立ち回りの問題である。それを学ぶまでは面倒を見てやるのもいいか、とガロン考えている。なにせ竜には無限とも言える時間があるのだから。


 しかし、最近それは単なる言い訳ではないかという疑問も持っている。こうして適当な時間を過ごすのが楽しいという思いもあるからだ。それは別に悪いことではない。守護竜として過ごすといっても、ふだんは何をしているわけでもないのだ。


 リティシアの姿を見つめる。いい子でかわいい。助けない理由は何もない。


 ただ、ひとりの人間に執着すると、ある問題が発生するのをガロンは経験から学んでいる。


 竜と人間の時間は違うのだから。

 


 祭りは終わりに向かっている。

 道行く人はどこか浮かれている。いやに陽気で、騒いでいないと祭りが去ってしまうとでも思っているような雰囲気だ。


 祭りの空気に酔ったよっぱらいたちが、祭りの終わりを惜しむかのように騒ぎ立てている。


 赤みがかった空は去り、今はもう闇夜が訪れていた。

 日中の暑さも落ち着き、涼やかな風が吹いている。

 今日は雲ひとつなく、星がよく見える。

 

 満月が出ていた。


 



 街を流れる河の周囲は人で溢れている。

 河には無数の淡い光がいくつも浮かんでいる。

 バングラスの葉で作った小舟が人々の手紙をのせて河を流れてゆく。


 ガロンとリティシアもそれを見ている。


 人々が河沿いにならんで、流れる光を静かに眺めている。

 このときばかりは祭りの騒がしさよりも静けさが勝る。


 満月に照らされた夜。河沿いにならぶ人々。河を流れる光の群れ。

 その光景はどこか現実離れしていて、夢の世界にでも迷い込んでしまったかのような印象を抱かせる。


 空には美しい満月。その周りには月を彩る星々が輝いている。


 死者への手紙が河を行く。


 祭りの終わりだった。

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