第15話 親切


 魔族はまるでガロンの力を試しているかのようだった。


 魔族から伸びる、黒い蛇のような影が高速でガロンへと迫る。おそらくリヒターという男が貫かれたのはあれだろう。


 ガロンが影を指さして上に持ち上げるような動作をすると、影の軌道に火柱が出現した。

 影が火柱に衝突すると、影は消失し、それ以上迫ってくることはなかった。


 影を次々に指さし順番に焼き払う。


 そびえ立ついくつもの火柱が、地を這う黒い影を焼き尽くしていく。


 しばらくは同じ攻防が続いた。しかし、お互いが出方をうかがっている時間は、そう長く続かなかった。


 影は徐々に、徐々に数を増していた。


 ガロンはその全てを焼いた。

 もぐらたたきのように影を指しては焼いていく。


 ガロンには距離を詰める余裕などなかった。

 それほどに魔族とは使える魔力に差があった。


 影に込められた魔力からして、直撃すればおそらくガロンの防御を貫く。

 影の数は既に十をこえ、焼き尽くすだけでも手一杯になりつつある。


 右から来るの六本の影を右手を振り上げていちどに焼き、正面の影三本を左手で処理し、続けて来る左の影に照準をあわせ、手を交差させるように右手を翻して処理しようとした。


 最後に残った左の影を焼く直前、左の影からさらに分岐するように一本の影が高速で伸び、ガロンへと迫った。


 咄嗟に張った防壁の、三枚のうち二枚までもが貫かれ、ガロンを串刺しにする直前で止まって立ち消えた。


 ぱちぱちぱち、と場違いな拍手の音が聞こえた。


「大した術師ね。もしかして人間の中では有名な術師なのかしら?」

「どうかな、術が得意とは思っていないが」


 それは本当だ。ガロンは高位の竜の中では魔法は苦手な部類に入る。


「謙遜? まあだいたいわかったからもういいわ」

「何がわかったんだ?」


 魔族は笑う。


「何って、あなたの魔法よ。射程も、威力も、反応速度も」


 魔族の気配が明らかに変わった。意思もなく魔族の周囲を漂っていた魔力が明確な殺意を帯びていく。


「わたしの敵じゃないってことも」


 魔族の足元から今までにない数の影が展開され、左右に分かれて恐ろしい速度でガロンに迫った。

 それに加え、魔族自身も正面からガロンに向かって突撃してきた。


 三方向の同時攻撃。


 左右の手を振り上げるとガロンの左右に炎の波が出現し、無数の影を焼き払った。

 正面には迫りくる魔族。その表情は勝利を確信しているかに見える。


 ガロンは考えて戦わない。だいたい勘で戦っている。


 竜はこの世で最強の種族である。そしてガロンはその中でも頂天に君臨する竜だ。その本能は殺し合いにおいて常に最適解を見つける。それが「なんとなく」だろうが、綿密に計算した結果だろうが絶対に最も優れた回答を弾き出す。


 実のところ、術を使うのに手の動きなど必要ない。


 竜は眼で魔法を使う。

 ガロンは「なんとなく」手を動かしていただけだ。


 魔族の笑みが曇る。

 魔族の正面に、吹き上がる溶岩じみた巨大な炎の壁が出現した。


 絶対に避けられないタイミングだった。


 魔族が炎の壁に飲み込まれ、


 瞬きもできぬ間に、魔族が炎壁から飛び出してきた。


 自身の影を魔法で膜のように広げて守ったのであろう。燃えかけた影が魔族の足元に広がっているのが見えた。


 あと三歩という距離だった。

 魔族が両の手に魔力を漲らせ飛びこんでくる。


 殴った。


 ガロンが。


 上から下へと叩き落とすような殴打に、魔族はそれでも反応した。


 両の手を攻撃から防御へと切り替え、両手でガロンの打撃の軌道を塞いだ。


 構わず殴り飛ばした。


 地面へと叩きつけられ跳ね返る魔族を、ガロンはかかとを落とすような蹴りで地面へ磔にした。


 腹部を踏みつけられて動きを封じられた魔族の口から、紫色の血が吹き出した。


 魔族は、何が起こったのか理解できないといった驚愕の表情を浮かべている。


「あのまま魔術戦を続ければお前が勝ったろうに、わざわざ近づいてきてくれるとはずいぶん親切なんだな」


 魔族が口元から血を滴らせ、己を磔にしている生き物を見ている。


 その目には、明確な恐怖の色が浮かび始めていた。


 ガロンはじっくり時間をかけて丁寧に殺すというのが、親切ではないのを知っている。


 親切には親切で返すのが礼儀だ。


 魔族の視線は、ガロンの握りしめた拳に釘付けになっている。


「待っ





 リヒターは頭がおかしくなった、とギルドの全員が考えている。


 あの騒動から二週間が経過していた。


 死にかけのリヒターをガロンとリティシアがギルドへと連れ帰ったときは、ギルドは大騒ぎになった。


 怪我の原因をリヒターは魔族に襲われたと主張するが、それを本気で信じるものはすくなく、中にはガロンとリティシアにボコられたのではないかと噂するものすらいた。


 ほとんどの人間がまさかそんなことは、と考えているが、その噂の根拠とされるものが今、目の前で起きている。


「姉さん、お願いですから受け取ってくださいよ」


 リヒターであった。


「いえ、ほんとにそういうのはいいですから」


 リティシアがとてつもなく迷惑そうにしている。


「いえ、依頼五つ分は絶対に受け取ってもらいます。そうじゃなきゃ姉さんからってことでギルドのみんなに酒でも振る舞いますよ?」

「え、と、じゃあそれでいいです。受け取れません」


 リヒターが大きく息を吸い、


「みんなーーーーー!! 姉さんの奢りだぞーーーーーー!!」


 酒場は一瞬どうしていいかわからない空気に包まれたが、すでに出来上がって正気をなくしている面々が騒ぎ出したことによって、いつものどんちゃん騒ぎが始まった。


 リヒターの変貌ぶりにギルドの全員が困惑していた。

 人が変わった、心を入れ替えた、そんな表現よりも、頭がおかしくなったという方がしっくりと来る。


 どうしてそうなったのか知りたがらないものはいなかったが、ガロンとリティシアはあまり話たがらなかった。そうなると何が起こったのか知るにはリヒターに聞くしかなかったのだ。


 リヒターは喜んで話した。


 自分がいかにしてリティシアに救われたかを。


 話は、これ以上ないほど誇張されていると思われた。

 そして、グリフィンを討伐した話が終わると、リヒターはこう力説するのだ。曰く、リティシアは聖女であると。


 初めは誰もがリヒター流の冗談だと受け止めていた。


 が、そう話すリヒターの表情は真剣そのもので、冗談の気配はまるでなく、ひたすら賛嘆を繰り返すリヒターに皆が恐怖した。


 あまりにもヤバすぎた。


 そんじょそこらの新興宗教の信者なら、泣いて逃げ出しそうな信奉ぶりであった。


 色々なことが起きたが、今回の顛末を一言で表すと以下のようになる。


 リティシアに信者ができた。

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